MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2578 思い出の旧き良きホンダ車たち

2024年05月02日 | うんちく・小ネタ

 「主婦と生活社」の男性向け情報サイト『LEON』に、自動車ジャーナリストの岡崎宏司(おかざき・こうじ)氏が「岡崎宏司の車備忘録」と題する連載を行っています。

 11月19日のお題は『ホンダの熱かった日々。N360、1300、バモス……カッコ良くて面白いクルマが次々誕生した!』というもの。1970年代のホンダは、私自身の記憶の中でもかなり個性的で魅力的な車を数多く発表していた印象があり、記事を懐かしく、そして楽しく読ませてもらったところです。

 「エスロク」や「エスハチ」などの軽量スポーツカーでクルマ好きをワクワクさせてくれたホンダ。そして、次に世に送り出した軽乗用車もまた、多くのクルマ好きを痺れさせるものだったと岡崎氏は記事に綴っています。

 そう、ホンダは、1967年に初の軽乗用車「N360」をデビューさせたが、これがまた驚くようなクルマだった。庶民の日々の足とはいえ、「走りに賭けるホンダの熱い想い」は、結果的に「元気よく、楽しく走る!」方へと、より力を注ぐことになったというのが氏の思うところです。

 31ps/8500 rpmの最高出力を引き出す強制空冷4サイクル2気筒エンジンは、気持ちよく9000rpm辺りまで回るまるでバイクのようなエンジンだった。それもそのはず、これはドリームCB450のエンジンをベースにしているもので、同時代の軽エンジンの主流であった2サイクルが20ps台前半の出力だったのに対し、N360のパワーは突出していたというのが氏の記憶です。

 それに、初期型ではオートバイの構造に近いノンシンクロの4速ドグミッションを採用していたのも(マニアックで)楽しかったとのこと。回転合わせのためのアクセル操作も案外簡単にでき、時々ガリッといわせたりはしても、大概の人は大過なく運転できたということです。

 9000rpmまで回るエンジンと4速ギアボックス。もちろん回せば気持ちいいが、ふつうの人がふつうの乗り方をしても、ストレスのないフレキシビリティも兼ね備えていたと氏は言います。この車を「初めての自家用車」として購入した若者も多かったはず。実際、N360はデビュー後数カ月で、軽自動車の販売台数首位を記録し、「安価で、使いやすくて、楽しくて、カッコいい」といった多くの魅力で、黎明期の日本のモータリゼーションを強力に牽引したということです。

 私も、20代前半の時分、知り合いのN360やバイト先のアクティ(軽トラ)をよく運転していましたが、ホンダの高回転型しかも粘り強いエンジンはスズキやダイハツの2サイクルよりもずっと運転しやすかったのを今でもよく覚えています。

 さて、3年後の1970年には、そんなN360をベースにしたスペシャルティカー「Z360」がデビュー。これはいわば、N360の2ドア クーペ版で、斜めにカットされ、太く黒い枠のガラスハッチをもつルックスは個性的で印象的だったと氏は話しています。デビューの翌年に追加された「GS」は、36psのエンジン、ドグミッションの5速MT、前輪ディスクブレーキを採用した、カッコよさと走りの楽しさを併せ持ったものだったということです。

 そして、Z360より少し早い1969年に送り出されたFFの「ホンダ 1300」も、時代を先取りした強烈な個性の持ち主だったと氏は(さらに)振り返っています。

 オーソドックスなデザインの4ドア セダンと流麗なスタイルの2ドア クーペがあったが、最大の特徴はそのエンジンにあった。「DDAC=一体式二重空冷」と名付けられたエンジンは、世界初にして世界最後のエンジンで、ホンダらしいアイデアと個性、そして強力なパワーを持っていたと氏はしています。オールアルミ製の1298cc 4気筒のエンジンはドライサンプ機構を持ち、上位のスポーツモデルはオートバイ並みの4キャブレター仕様。115ps/7500rpmの出力は、当時の1.8〜2.0ℓ並みだったということです。

 パワフルでスムース、エンジン単体としては非常に魅力的だったが、難点はエンジンの仕組みが複雑で、重くて、高コストだったこと。FWDだったこともあり、とくに前輪荷重の大きさがもたらす、ハンドリング面でのマイナスは大きかったと氏は言います。アンダーステアは強く、迂闊にアクセルを戻すと強烈なタックインに見舞われる。そんな癖を上手くコントロールしてワインディングをいかに速く走らせるか、仲間内で競ったりしたことなども記憶に残っているということです。

 実は、このホンダ1300は、私にとっても思い出深い車の一台です。新しもの好きの父親が1970年にこのクーペを新車で購入。家族で大阪万博などに出かけたのは子どもの頃の良い思いです。この車の個性的なスタイルにほれ込んだ父はその後もこの1300を10年以上乗り続けましたが、最後の方はオーバーヒートやエンジンの不調に随分苦しめられていたようです。

 ホンダ 1300 は決して成功作とは言えない。いや、間違いなく失敗作だと岡崎氏も記事に記しています。確かに、弱点欠点はいくつも挙げられた。でも、不思議なことに「妙に惹かれる、妙に気になる!?」クルマだったことは間違いないというのが氏の見解です。

 一方、同時期、1970年にデビューした「バモスホンダ」も楽しかったと、氏は次に振り返ります。定員2名と4名の2種があったが、基本フルオープンで幌は座席部分のみと「フルホロ」が用意された。ドアはなく、転落防止用のガードパイプが設けられているだけ。車体前面にマウントされたスペアタイヤは「衝突時のショック吸収」との説明はともかく、ルックス面での魅力を大きく引き上げていたということです。

 バモスのシンプルさは、ストレートにカッコよさに繋がっていた。その魅力は50年以上経った今でも旧さを感じさせず、これほど理屈抜きでカッコいい車は今でも見当たらないだろうというのが氏の見解です。

 そして、ワクワク時代のホンダを締めくくるのは、何と言ってもシビックだろうと氏は話しています。同車は、1972年に登場したコンパクトHB。現在のSUVにも通じるようなシンプルでバランスのいいデザインは世界的にも拍手で迎えられ、ホンダ1300の失敗で窮地に立たされたホンダの救世主になったと氏は指摘しています。もちろん、(デザインとともに)成功の牽引役を果たしたのがCVCCエンジンで、厳しい排気ガス規制「マスキー法」を、後処理装置なしでクリアした世界初のエンジンとして、自動車史氏に残る存在となったということです。

 第4次中東戦争に端を発する第1次オイルショック。その影響で、燃費のいいコンパクトカーの世界的需要は一気に高まったが、CVCCシビックのデビューは、そのタイミングにもピタリと合ったと氏はしています。

 そんな時代背景もあって、CVCCシビックは世界的な大ヒット車になった。中型車や大型車に乗っていた人たちからの乗り換えも少なくなく、(米国を中心に)コンパクトでクリーンなイメージのシビックに乗っていると、「インテリに見られる」といった知的側面も人気を後押ししたとされるということです。

 さて、栃木県にある「モビリティリゾートもてぎ」に、ホンダ創立50年を記念して開館した「ホンダコレクションホール」という施設があります。ホンダが生み出してきた歴史ある車たちが所狭しと並び、車やオートバイ好きであれば丸一日を十分に楽しんで過ごせる空間となっています。

 かつては浜松の町工場のひとつにすぎなかったホンダも、時代と共に様々な変貌を遂げっていったことがよく分かります。現在では、押しも押されもしない世界企業となったホンダですが、たまには、クルマ好きはもちろん、そうでない人たちをもワクワクさせながら、4輪メーカーへの基盤を着々と固めていった歴史を振り返るのも悪くないと話す岡崎氏の視線を、私も興味深く受け止めたところです。



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