
受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案を巡り、小規模なバーやスナック以外の飲食店は店内を原則禁煙とするかどうかが国会を二分する議論となっています。
厚生労働省は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックが、タバコの煙のない「スモークフリー」な環境で行われるよう、同法案を今通常国会で成立させる方針です。
一方、小規模飲食店の経営の観点から4年間での完全禁煙には無理があるとして、超党派の愛煙家国会議員の集まりである「もくもく会」などを中心に、「分煙」基調とした対策を主張する動きも強まっているようです。
さて、国民医療費の総額は既に41兆円を超えており、これは国民一人当たりに直しても31万円以上の金額です。既に国民医療費は国民所得の11%を超えていて、さらに毎年1兆円を超えるペースで増え続けています。
今後、団塊の世代が75歳以上となる2025年には(高い確率で)60兆円を超えると考えられており、医療費の削減は日本の社会にとって正に喫緊の課題と言えるでしょう。
こうした医療費の増加の主な理由が、①社会の年齢構成の高齢化や、②糖尿病・高血圧症などの生活習慣病の増加、③医学の進歩に伴う高度先端医療費などにあるとすれば、まずは、なるべく病気にならずに健康を全うするための「予防医療」が、問題解決のカギを握っているのではないかと誰しもが考えるところです。
果たして、「健康」に投資したり、煙草をやめるなど生活習慣を変えたりすることで、医療費の削減が本当に実現するのでしょうか?
1月5日の日本経済新聞では、東京大学教授で医学博士の康永秀生(やすなが・ひでお)氏が「健康」と「医療費」の関係について、「喫煙」(という分かりやすい習慣)を例に大変興味深い指摘を行っています。
健康はすべての国民にとってかけがえのない便益であり、例えば予防医療などによって病気の発生や進行を抑え健康を維持・増進することは、国家レベルでも個人レベルでも優先度が高いのではないかと康永氏はしています。
政府も、予防医療に投資をすることは病気の発生・進行を抑え、結果的に医療費の抑制につながるとして、予防医療の推進をたびたび掲げてきました。
例えば、小泉進次郎氏ら若手議員が提言した、健康診断の受診など健康管理に努めた人に公的医療保険の自己負担割合を引き下げるという(いわゆる)「健康ゴールド免許」制度が話題になったのも、記憶に新しいところです。
しかし、予防医療を推進することによって、国民医療費を削減することは実際に可能なのか。実は、これまでの医療経済学の多くの研究によって、予防医療による医療費削減効果には限界があることが明らかにされていると、康永氏はこの論評で説明しています。
それどころか、大半の予防医療は、長期的にはむしろ医療費や介護費を増大させる可能性があり、そのことは医療経済学の専門家の間ではほぼ共通の認識だということです。
例えば、禁煙対策によって医療費は削減できると一般には考えられています。禁煙によってたばこ関連疾患の発生率が低下し治療費がかからずにすむ分、結果的に国民医療費を削減できるという考え方です。
しかし、氏は、(結論的に言って)この考え方は正しくないと断じています。
喫煙によって、がん・心筋梗塞・脳卒中などのたばこ関連疾患の発症や悪化に至ることは既に明らかになっており、禁煙対策は絶対に推進すべきだと康永氏は言います。しかし、1990年代頃から議論が続けてきた結果、長期的に見れば禁煙対策が医療費を増やす方向に作用することは今ではほぼ常識になっているということです。
1997年に臨床医学論文誌のニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスンに掲載された「喫煙の医療費」と題する論文によれば、喫煙者と非喫煙者にかかる医療費を比較した場合、40~60歳代にかけては喫煙者のグループの方が医療費は少し高くなっているものの、70歳を過ぎると逆転し、以降は非喫煙者の医療費の方が大幅に高くなるということです。
なぜ、そのようなことが起こるのか?
康永氏は、非喫煙者で40~60歳代にたばこ関連疾患にかからなかった人でも、70、80と長生きすれば加齢が原因で癌や心筋梗塞などにかかる人が増えてくると言います。また、そうした病気にならなくとも、それ以外の病気、例えば認知症にかかったりする人も多いということです。
一方、喫煙者は、非喫煙者よりも早くがんや心筋梗塞にかかり、若いうちに死亡してしまっていると氏はしています。当然ながら、死んでしまった後には医療費も介護費も(年金さえも)かかりません。
つまり、「非喫煙者」は「喫煙者」に比べ40~60歳代の医療費は(煙草を吸わない分)やや少なくなりますが、寿命が延びた結果、生涯にかかる医療費や介護費の総額は増えるということです。
誤解のないように言えば、康永氏はこの論評で、禁煙対策自体は絶対に推進すべきだと主張しています。禁煙は健康長寿(つまり「幸せ」で「長生き」な人生)という何ものにも代えがたい便益をもたらすものであるのは言うまでもないでしょう。
しかし、それを実現すれば、結果的には余計にお金がかかるのもまた現実です。
結局、人間が長生きするようになれば、それだけのコストはどうしてもかかってくる。そしたジレンマから、私たちは(どうにも)逃れることができないという悲しい現実を、康永氏の論評は私たちに突き付けているようです。
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