MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1876 日本人とオリンピック

2021年06月12日 | 社会・経済


 6月9日のNewsweek日本版に、「日本は不思議なことに、オウンゴールで五輪に失敗した(GAMES LOST BY "OWN GOALS")」と題する、日本を拠点にアメリカ人タレントとしてメディアなどで活躍するデーブ・スペクター氏へのインタビュー記事が掲載されています。

 東京五輪が世界の人々の日本のイメージを悪化させている。そして不思議なことに、日本はオウンゴールで失敗したと、氏はこのインタビューで話しています。 
 東京五輪は競技自体まだ始まっていないにもかかわらず、これまでの(政・官入り乱れた)運営サイドの動きには、国民を呆れさせ「もういいよ…」と見放されるのに十分な不手際があったということです。

 まず東京オリンピックに対する世間の見方は、コロナ禍が深刻化する前に既にしらけていたと氏は言います。膨大なコストは約束よりも膨れ上がっているし、暑過ぎてマラソンは札幌でやるという。コロナ前にもう日本は観光大国になっていたから、オリンピックは観光誘致のためでもないし、福島のためというのではもちろん誰にも通用しない。結局、何のために日本でやるのか、その狙いが国民にはわからなくなっているということです。

 そういうさ中にコロナ禍になって、さらにオウンゴールは連発され続けた。組織委員会の森(喜朗)前会長の女性蔑視発言とか、開会式での女性タレントのブタ演出案とか、何をやっても細かい失敗ばかりで、日本の運営サイドが自分たちでオリンピックをしらけさせているというのが氏の指摘するところです。
 本来はシティー(開催都市)が行うはずのオリンピックが、いつのまにか(政治問題と化し)自民党に乗っ取られている。東京オリンピックじゃなくて、永田町オリンピック。運営側の不純さなども次第に目立つようになり、既に多くの人々が応援したくない気分になっているということです。

 確かに、今回のオリンピック・パラリンピックに関しては、大会延期の以前から様々なミソが付きすぎて、相当汚れてしまっている感があります。国外ではIOC内の権力争いや利益主義によって、また国内では政府自民党と小池都知事の間で政争の具として転がされ続け、アマチュアリズムにのっとったスポーツの祭典、そして平和の祭典・文化の祭典と言われてもあまりピンとこないのが現実です。

 スペクター氏は昨年3月28日の同誌のインタビュー記事(「日本がオリンピックを美化するのはテレビのせい」)において、「そもそも何のためにオリンピックを開催するのかが良く分からない」)と話しています。
 純粋にスポーツの大会だとしたら、3時間の開会式なんていらないし、他のスポーツの世界大会でそんなことやっていない。スーパーボウルのハーフタイムショーはCMを入れなきゃいけないし休憩が必要だからで、本来、スポーツ競技の大会に大げさな開会式なんて必要ない。平和のための開会式だというが、オリンピックを開催して世界のどこが平和になっているというのか。24時間テレビと同じでやっても地球は救われていないということです。

 現代のオリンピックは、美化されていて、白々しさがある。お金もかかりすぎだし、若者をつなぎとめるために種目を増やしたりと、無理してやっている観があると氏は指摘しています。政府は「みんなで盛り上げよう」と開催に大変な公金を投じているが、日本においても、みんなが本当に興味を持っているのかという分析は聞いたことがない。(ある意味)戦前の精神主義のように、「応援しなきゃいけない」「興味を持て」と言われているように感じるというのが氏の見解です。

 一方、テレビを中心としたメディアにとっては、視聴率が確実に取れる放送の1つがスポーツの大規模イベントだと氏はしています。今の日本にとって、オリンピックに限らずスポーツの放送権は巨大なビジネスになっている。なので、利害が一致した政治とメディアが足並みをそろえ、「国民的行事」の美名のもとに「踊らにゃ損」という雰囲気を無理やり作り出しているというところでしょう。
 さらに、NHKの大河ドラマ『いだてん』を見ても分かるように、日本は昔から「どうにかして海外に認められたい」という願望が根底にあるように見えると氏は続けます。日本が世界を相手にメダルを取った!日本すごい!というカタルシスによる国民の一体感は、確かに政権には良い影響を与えることでしょう。

 そうしたこともあって、ただのスポーツイベントであるオリンピックが日本では神聖化され、出場する選手は日本国民を代表する存在に祭り上げられて、それぞれ個性のある存在としては扱われないと氏は話しています。
 プロ野球なら、負ければバカヤロウと言えるが、「オリンピック選手」と言われたとたんになんだか「先生」みたいな敬意が込められる。「出場することに意義がある」と言われるように、結果よりも頑張りを見せることや謙虚なふるまいなどが「日本精神の発露」として尊重されるということです。

 さて、話は元に戻って、芸能人が聖火ランナーを辞退すると手を挙げただけで名前が売れ、イメージがアップするような現在の状況を、政府やメディア、そして国民はいかにとらえるべきか。
 今も、海外メディアが五輪関連で報じるとしたらワクチンの遅れなどトラブルばかり。1年延期になったために、しかも強引に開催することになったために、海外の人々はあきれ、日本のイメージダウンになっていると氏は(6月9日の)このインタビュー記事で指摘しています。

 実際、国会における先日の党首討論では、野党党首から菅総理に対し、オリンピックの中止・見直しを強く求める発言が相次ぎました。
 私自身は、ここまで投資を続けてきた以上、(それらを少しでも回収するためには)中止よりも安全開催を目指すべきだとドライに思います。しかしその一方で、何とか無事に大会が終えられたとしても、「ああよかったね」「コロナに負けずよく頑張った」で終わらせて良いものとは思えません。
 日本人にとってのオリンピックとは何なのか、オリンピックへの投資は本当に正しかったのか。大会終了後には、この数年間の準備や意思決定過程、そして大会の成果に関するしっかりした検証が必要だと強く感じているところです。



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