MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1261 「恩赦」は何のためにあるのか?

2019年01月02日 | 社会・経済


 昨年5月1日の産経新聞は、政府が今年5月の皇太子さまの天皇即位に伴い、国家の刑罰権を消滅・軽減させる「恩赦」を実施する方向で検討に入ったと伝えています。

 国家の慶弔時などに行われる「政令恩赦」や「特別基準恩赦」が実施されれば、平成5年の皇太子さまのご成婚時以来四半世紀ぶりで、現行憲法下では11回目となるということです。

 また、8月7日の毎日新聞は、改元に当たっての恩赦に併せ、政府は公務員の懲戒の免除を検討していると報じています。記事によれば、これは恩赦とバランスを取るための措置で、ここのところ立て続いた省庁の不祥事をめぐる高官たちの減給処分なども免除される可能性が高いということです。

 政府による特別な恩典として犯罪者が許される恩赦が(特に国民に諮られることなく)戦後だけでも11回行われてきたことは驚きと言えば驚きですが、司法の判断が(ある意味)恣意的に覆されたり無効になったりされるとすれば、それ自体が司法への信頼に関わることとも言えるでしょう。

 それでは、こうして皇室の慶事などに伴って行われる恩赦や懲戒免除には一体どんな意味があるというのか

 こうしたシンプルな疑問に対し、元東京地検特捜部主任検事の前田恒彦氏が8月8日のYahoo newsに、「恩赦と懲戒免除 なぜあるのか」と題する論考を掲載しているので、参考までに紹介していきたいと思います。

 改めて、「恩赦」とは何かと言えば「特別な恩典として罪を赦(ゆる)すというもので、行政や立法といった裁判所以外の判断により、刑事裁判の内容やその効力を変更させたり消滅させたりする制度」を指すと前田氏はこの論考で説明しています。

 恩赦は、刑罰に関する歴史的な経緯や政治的事情などを踏まえ世界各国で広く採用されており、わが国でも、中国・唐の影響を受け、大化の改新ころから天皇陛下の専権事項として始まった古い制度だということです。

 現行憲法下では、内閣が決定し天皇陛下が国事行為として認証するもので、具体的な手続は「恩赦法」という法律によって定められるとされています。

 氏の説明によれば、恩赦法に基づく具体的な恩赦には以下の5つの種類があるということです。

 ひとつ目は「大赦」で、有罪の言渡しが確定した者に対しその効力を失わせ、確定していない者には公訴権を消滅させるもの。受刑者は釈放され、被告人は免訴判決が言い渡され被疑者は捜査が終結するということです。

 二つ目は「特赦」といって、有罪の言渡しが確定した特定の者に対しその効力を失わせるもので、特赦を受けた受刑者は釈放されるのだそうです。

 三つ目は「減刑」で、死刑を無期懲役に変更するなど、刑の言渡しが確定した者の刑を軽くしたり、執行猶予中の者の猶予期間を短縮したりするもの。

 そして四つ目は「刑の執行の免除」で、執行猶予中の者を除き、刑の言渡しが確定した特定の者に対し、刑の執行を将来に向かって全部免除すること。

 最後の「復権」は、有罪の言渡しを受けたために喪失・停止した資格を回復させるもので、選挙違反事件による公民権(選挙権や被選挙権)の停止を回復させる効力があるそうです。

 それでは、肝心の「どうして恩赦が行われるのか?」についてです。

 法務省保護局はその狙いについて、「特に重要なのは、罪を犯した人たちの改善更生の状況などを見て、刑事政策的に裁判の内容や効力を変更する」ところにあるとしています。

 恩赦は有罪の言渡しを受けた人々にとって更生の励みとなるもので、再犯抑止の効果も期待でき、犯罪のない安全な社会を維持するために重要な役割を果たしているということです。

 確かに、(もしかしたら)いつかは恩赦があって犯した罪も許されるかもしれないと考えれば、それまで真面目に罰を受けようと考える受刑者はいるかもしれません。しかし、この論考で前田氏も指摘しているように、恩赦が有罪の言渡しを受けた者にとって真に更生の励みとなっているかについてはよくわかりません。

 国家的慶弔などいつ起こるか分からず、かつ実際に自分が選ばれるかどうかも分からない状況でそうした不確実な目標に向かって更生の道を邁進するとは考え難いところがあります。なおかつ、(罪の意識や反省からではなく)「恩赦期待」で服役態度を改めるというのも、刑罰の本題の趣旨とは少し違うのではないかと思うところです。

 国民の中から選ばれた裁判員が刑事裁判に関与する時代において、果たして改元などの理由でその判断を内閣が事後的に覆すことに国民の理解が得られるだろうか。被害者がいる事件では、それこそ被害者や遺族の納得すら到底得られないだろうと前田氏もこの論評に記しています。

 しかも、同じような罪を犯しても、運良く国家的慶弔時に服役していれば恩赦の対象となり、そうでなければ対象外となるのは確かに明らかな不公平と言えるでしょう。

 そのような視点に立てば、もはや政令恩赦や懲戒免除など時代遅れの産物にほかならず、本来であればこの機会に制度そのものの抜本的な見直しを図るべきだと、前田氏は元検事の立場から主張しています。

 権力がその威光を示すためにいたずらに法的な秩序を乱せば、恩赦のタイミングを見越して違法行為を犯したり、自首をしたり、判決の確定を急いだり伸ばしたりする輩もいるかもしれません。

 もしも恩赦を行うのであれば、政府は対象となる人物や違法行為の内容を明らかにしたうえで国民のその是非を問うべきではないかと、前田氏の指摘から私も改めて感じるところです。



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