今回は、私たちのグループが最近刊行した『現代中国のジェンダー・ポリティクス-格差・性売買・「慰安婦」』(小浜正子・秋山洋子編、勉誠出版、2016年10月)という本から、中国のジェンダー研究者の最前線の議論を紹介しよう。近代以来、日本や西欧とは異なった歴史を歩んできた中国では、男らしさと女らしさの捉えられ方も、独自の変遷を辿ってきた。
中国の近代の幕開けの時期、中国の男性知識人は、女権の実現は近代文明の指標であり、中国の富国強兵の前提条件だと考えた。男尊女卑の伝統社会で苦渋をなめてきた女性たちは、「一人の人間」としての権利を求め、男性と同じように社会で活動しようとした。
中華人民共和国は、女性解放・男女平等を国是として掲げ、社会主義によってそれは達成されるとして女性の社会進出を進めた。ミシガン大学の王政教授は、近代以来求められてきた男性を基準とした(女性が男性並みになることによる)男女平等が極点に達したのは、毛沢東の「時代は変わった。男も女も同じだ。男の同志にできることは、女の同志にもできる」という言葉が流布した文化大革命の時期であるとする。女らしい服装は批判されてユニセックスの人民服をみなが着用し、高圧電線での作業など男性の職域とされた仕事に取り組む女性が「鉄の娘」ともてはやされた。このような社会主義中国の男女平等は、女性の地位を大きく向上させたが、一方で、家事などは相変わらず主に女性が担い続けるという二重負担(ダブル・バーデン)を伴うものでもあった。(毛沢東は「女にできることは男にもできる」とは言わなかったのだ。)
1980年代から改革開放の時代が始まって、抑圧されていた個性や自由の追求が始まった。男女ともにファッションは多様化し、化粧やスカートも広まって、おおっぴらに女らしさも表現されるようになった。
しかし自由の拡大は、社会主義が達成した平等を掘り崩した。経済的な格差が広がり、都市と農村の格差だけでなく男女の格差も広がった。社会主義時代、男性と大きくは変わらなかった女性の就業率も収入も、現在ではかなり差が開いていることを、南京師範大学金陵女子学院の金一虹教授は詳細に明らかにしている。(とはいえ、日本の男女格差は世界でも際だっているので、日本に比べれば差は少ない。)
しかも、自由な市場の発達は、社会主義時代には存在しなかったセックス・マーケットの出現と成長をももたらした。現在の中国都市には、華やかなショーに登場するタレントもどきの高級娼婦から、出稼ぎ労働者が消費する下級売春婦まで、多様なセックス市場が存在している。中国人民大学の宋少鵬教授は、現代中国の権勢のある男性の男らしさは、性的な消費を含む男性としての気概として求められるようになり、一方、出稼ぎ労働者は性的な欠乏からセックス・マーケットを求めるという。前者は、高位の政治家が愛人を囲うのがおきまりの腐敗のコースとなったのはなぜかを説明もしている。中国社会が、改革開放時代に新たなジェンダー秩序を構築する-すなわち男らしさ、女らしさを定義し直す-プロセスは、まず新たなセックス化として実現し、男性間の格差の拡大と女性の収入の低下が多様なセックス・マーケットを発展させたのである。
以上のような改革開放の進展する現代中国の男らしさと女らしさのあり方は、非常に市場化・商業化されたもので、それは社会主義時代の反動という側面も少なくない。単純にどちらがよいとはいえない変化の様子には、どのような男女のあり方が理想なのか、考えさせられるものがある。
中国の近代の幕開けの時期、中国の男性知識人は、女権の実現は近代文明の指標であり、中国の富国強兵の前提条件だと考えた。男尊女卑の伝統社会で苦渋をなめてきた女性たちは、「一人の人間」としての権利を求め、男性と同じように社会で活動しようとした。
中華人民共和国は、女性解放・男女平等を国是として掲げ、社会主義によってそれは達成されるとして女性の社会進出を進めた。ミシガン大学の王政教授は、近代以来求められてきた男性を基準とした(女性が男性並みになることによる)男女平等が極点に達したのは、毛沢東の「時代は変わった。男も女も同じだ。男の同志にできることは、女の同志にもできる」という言葉が流布した文化大革命の時期であるとする。女らしい服装は批判されてユニセックスの人民服をみなが着用し、高圧電線での作業など男性の職域とされた仕事に取り組む女性が「鉄の娘」ともてはやされた。このような社会主義中国の男女平等は、女性の地位を大きく向上させたが、一方で、家事などは相変わらず主に女性が担い続けるという二重負担(ダブル・バーデン)を伴うものでもあった。(毛沢東は「女にできることは男にもできる」とは言わなかったのだ。)
1980年代から改革開放の時代が始まって、抑圧されていた個性や自由の追求が始まった。男女ともにファッションは多様化し、化粧やスカートも広まって、おおっぴらに女らしさも表現されるようになった。
しかし自由の拡大は、社会主義が達成した平等を掘り崩した。経済的な格差が広がり、都市と農村の格差だけでなく男女の格差も広がった。社会主義時代、男性と大きくは変わらなかった女性の就業率も収入も、現在ではかなり差が開いていることを、南京師範大学金陵女子学院の金一虹教授は詳細に明らかにしている。(とはいえ、日本の男女格差は世界でも際だっているので、日本に比べれば差は少ない。)
しかも、自由な市場の発達は、社会主義時代には存在しなかったセックス・マーケットの出現と成長をももたらした。現在の中国都市には、華やかなショーに登場するタレントもどきの高級娼婦から、出稼ぎ労働者が消費する下級売春婦まで、多様なセックス市場が存在している。中国人民大学の宋少鵬教授は、現代中国の権勢のある男性の男らしさは、性的な消費を含む男性としての気概として求められるようになり、一方、出稼ぎ労働者は性的な欠乏からセックス・マーケットを求めるという。前者は、高位の政治家が愛人を囲うのがおきまりの腐敗のコースとなったのはなぜかを説明もしている。中国社会が、改革開放時代に新たなジェンダー秩序を構築する-すなわち男らしさ、女らしさを定義し直す-プロセスは、まず新たなセックス化として実現し、男性間の格差の拡大と女性の収入の低下が多様なセックス・マーケットを発展させたのである。
以上のような改革開放の進展する現代中国の男らしさと女らしさのあり方は、非常に市場化・商業化されたもので、それは社会主義時代の反動という側面も少なくない。単純にどちらがよいとはいえない変化の様子には、どのような男女のあり方が理想なのか、考えさせられるものがある。
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