今朝、① 阪神大震災その後の12年・・・と
② 新日本紀行、浅草・人情通り「人を育て守る街」を見ました。
①は大学生の息子さんを亡くされたお母さんの生き様。
②は数十年浅草寺を訪れる人々を撮り続けておられる写真家の方を通しての
人間味ある浅草の歴史と風景。
①のお母様はある時、大学生の息子さんに手紙を貰いました。
「自分のお母さんであってくれた事にアリガトウ」
「自由に翔ける翼をアリガトウ」
「自分は生きている限り翔き続けます」・・・と言った事だったかと。
(お年頃の私は、記憶力がはなはだ低下)
然し、震災で息子さんは帰らぬ人となってしまいました。
数年は、亡くなる事を予知したかのような息子さんからの手紙を「不憫」・・と
思っておられたようです。 ・・が・・TV でこの事が紹介され
各地から、励ましや生きる勇気を貰ったとの手紙をもらい
その縁での交流が深くなるにつれ、
自分を励ます為の手紙だったと思えるようになり
今では近くの教会で200人も集まるほどの偲ぶ会(励ます会)になっている
のを知りました。
②は浅草寺境内で人物写真を撮り続けておられる写真家の方と街の様子、
浅草の人情、歴史を継承しなければいけないと言った方たちの係わり合い。
この中で「時間の共有」と言う言葉を聞きました。
私は「袖触れ合うも多生の縁」とか「一期一会」と言う言葉を
知ってはいましたが、縁あって話をしたり行動を共にしたり・・・と言う事は
生きている時間を共有しているのだと言う実を知りました。
こうして日記を書いている時も、見ていただける皆様と・・・
同じ時間を共有しているのだな~と実感しながら。。。
② 新日本紀行、浅草・人情通り「人を育て守る街」を見ました。
①は大学生の息子さんを亡くされたお母さんの生き様。
②は数十年浅草寺を訪れる人々を撮り続けておられる写真家の方を通しての
人間味ある浅草の歴史と風景。
①のお母様はある時、大学生の息子さんに手紙を貰いました。
「自分のお母さんであってくれた事にアリガトウ」
「自由に翔ける翼をアリガトウ」
「自分は生きている限り翔き続けます」・・・と言った事だったかと。
(お年頃の私は、記憶力がはなはだ低下)
然し、震災で息子さんは帰らぬ人となってしまいました。
数年は、亡くなる事を予知したかのような息子さんからの手紙を「不憫」・・と
思っておられたようです。 ・・が・・TV でこの事が紹介され
各地から、励ましや生きる勇気を貰ったとの手紙をもらい
その縁での交流が深くなるにつれ、
自分を励ます為の手紙だったと思えるようになり
今では近くの教会で200人も集まるほどの偲ぶ会(励ます会)になっている
のを知りました。
②は浅草寺境内で人物写真を撮り続けておられる写真家の方と街の様子、
浅草の人情、歴史を継承しなければいけないと言った方たちの係わり合い。
この中で「時間の共有」と言う言葉を聞きました。
私は「袖触れ合うも多生の縁」とか「一期一会」と言う言葉を
知ってはいましたが、縁あって話をしたり行動を共にしたり・・・と言う事は
生きている時間を共有しているのだと言う実を知りました。
こうして日記を書いている時も、見ていただける皆様と・・・
同じ時間を共有しているのだな~と実感しながら。。。