けさ紹介するのは習学寮十二境の最終12番吹出の峰、即ち阿蘇山のことである。阿蘇山は五高の東約40キロのの地点に位置する火山である。現代は五高の位置からはとてもこのようには見えない、この百年余の間に阿蘇まで開拓が進み近代の工場が建ち並び住宅街も出来上がっている百十年昔は住宅も少なかったろうし、交通網もほとんどなかった。これも明治ははるか遠くなりにけりと言う証拠であろうか?
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阿蘇山
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阿蘇山火口を望む
吹出の峯 吐龍峯
原を出でて東の方に廻れば、千代のはやしをへだてて、この峰の影落つる見ゆ、これぞいはゆるあその神山なりける、世にありがたき火山にして、その、もとつ形を、千年の後までも、そのままにとどめ、そのすぢの学びのためにもは、こよなき標本なりとて、うちつ国の学者のたどり登はさらにもいはず、遠きとつ国の人さへ、遥々之に尋ねくというなり、ふじの煙は、すでにたえぬれども、この山の煙は、今に絶えせずはう〃とたちのぼり、東にたなびき、にしにただよい、その色の黒き時はをちかたまでこれをぐらく
白き時は、その口までも、見えわたさるるようなりけり、さてその近き所は、よりよりよなというもののふりて見るも苔しげなれど、このあなたよりみるには、さるかたのわづらいもなく、春の曙、秋の夕暮、さては、冬の日、ふるしら雪の下より、轟きわたりて、大空を凌ぐ、万古の豪風も、吹きたたづ、阿蘇山上,一線の煙とようたうべからん、そのけしき、えも言わずなれば、朝夕これろながむる人々のおもいも、取々なるベし、天地の理りは、呼吸のふたつにあり、この山は、その故よしを、ときあかして、余のり剰さへ九州の巨鎮となりて嶺を雲根のくらきにさしはさみ、よものむら山を子孫のように、したがえる、をヽしきすがたなれば、
いざ学び終えての後はたかき名をふきでの峯の空にたてなむ、との心おのづからおこりぬべし、あなたふと、
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阿蘇山
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阿蘇山火口を望む
吹出の峯 吐龍峯
原を出でて東の方に廻れば、千代のはやしをへだてて、この峰の影落つる見ゆ、これぞいはゆるあその神山なりける、世にありがたき火山にして、その、もとつ形を、千年の後までも、そのままにとどめ、そのすぢの学びのためにもは、こよなき標本なりとて、うちつ国の学者のたどり登はさらにもいはず、遠きとつ国の人さへ、遥々之に尋ねくというなり、ふじの煙は、すでにたえぬれども、この山の煙は、今に絶えせずはう〃とたちのぼり、東にたなびき、にしにただよい、その色の黒き時はをちかたまでこれをぐらく
白き時は、その口までも、見えわたさるるようなりけり、さてその近き所は、よりよりよなというもののふりて見るも苔しげなれど、このあなたよりみるには、さるかたのわづらいもなく、春の曙、秋の夕暮、さては、冬の日、ふるしら雪の下より、轟きわたりて、大空を凌ぐ、万古の豪風も、吹きたたづ、阿蘇山上,一線の煙とようたうべからん、そのけしき、えも言わずなれば、朝夕これろながむる人々のおもいも、取々なるベし、天地の理りは、呼吸のふたつにあり、この山は、その故よしを、ときあかして、余のり剰さへ九州の巨鎮となりて嶺を雲根のくらきにさしはさみ、よものむら山を子孫のように、したがえる、をヽしきすがたなれば、
いざ学び終えての後はたかき名をふきでの峯の空にたてなむ、との心おのづからおこりぬべし、あなたふと、