平成22年度も全くの年度末になった、いわゆる官庁では新年度を迎えるに当たって担当者の入れ替えが行われるが、ここ大学でも人事異動とか、この記念館でさえ移動があるようで人事の担当者は今年はまだ予算が通過していないので職員を削減するとかと説明しているそうである。
公務員は自分が一寸でも幹部から目にかけて貰うように努力するのは性であろうか、平職員は早く主任にでもなろう、主任は係長に係長は課長になろうと努力する。このことは官庁に於いての事務方には特に顕著である。これは俺の40年に亘る公務員生活からの経験がそういわせるのである。
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復原教室
五高記念館の週一回の勤務も新年度からは更新しないと言われて、これは昨年からの懸案であったもので、しかし一年間更新を延ばしてもらったお陰で今までも一寸紹介したこともあったと思うが、この五高記念館を中心に開催された「くまもと自然と文化の学芸員講座」を修了して学芸員として認定して貰ったことはよかった。
事務担当者から新年度から更新出来ないと言うことを館長の方から話はあっていますかと言われたとき、俺自身が今年までと思っていたので「わかっています」と答えたものであった。週一回の出勤ではなにがしからの金銭が支給されていることもネックのひとつのようであった。
俺の五高記念館に関する対象関係者は30年の間、ほとんどすべてといってよかろう。教育職の先生方であった。行政職であった人は何時の時代でもこの五高記念館に関しては誰一人知ったことかと考える人ばかりであった。このことは記念館創設の時から感じていたことであり、もう少し行政職の事務系の人が積極的に関係しておられたらもっと早くこの記念館は充実したと何度思ったことであったろうか。
教育職であれば、教官研究費が配当され自分の研究のために利用出来る、しかし事務屋では独立行政法人になって変化も見られるそうであるが、まずそんなことはあり得ない、
研究者(教官)であれば自分の専門分野で活躍されて退官後もあの先生にお願いしてと取引があるが、事務屋であった俺などはこんなことはありえない、
考えてみれば俺の在職期間39年だったと思う。この記念館に直接的に関係してから20余年、その前の職員とての在職中は兼務させられていたので都合30年以上になるだろうか、こんなことを考えると俺の公務員生活はこの五高記念館に関係して生活したことになる、そのためであろうか、ただ広く浅くは研究者以上に五高についての関する知識は収集したつもりであり、学内に於いては五高記念館のことはあいつに聴けばと言う域には達したようであった。ただし今の若い世代ではそのようなことは考えられなく歴史的なことなど知ろうと思う人などいないようである。
昨年12月には現在の館長、準教授両先生はじめ、研究員、学芸員各先生方の努力が認められたのであろう、博物館相当施設として文科省から指定されたことも、これでもう俺の出番は必要でないと考えたものである。
新年度からは五高記念館市民研究員としてボランテイアで出てくれと言うことであるので、まだまだ俺のこの記念館とのつきあい・縁は切れないようで、29日にはけじめはつけておかねばならないと思い、俺の週一回の常勤の出は今日までと言うことで、直接関係した諸先生お世話になった各先生方に、学内に居られる方には、研究室へ足を運び、そうでないお方については、電話で挨拶をしておいた。・・・週一回の常勤を終わるに当たっての感想である。
明日は学芸員講座の報告書「旧制第五高等中学校の建造物と残されている史料について」を紹介してみたい
公務員は自分が一寸でも幹部から目にかけて貰うように努力するのは性であろうか、平職員は早く主任にでもなろう、主任は係長に係長は課長になろうと努力する。このことは官庁に於いての事務方には特に顕著である。これは俺の40年に亘る公務員生活からの経験がそういわせるのである。
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復原教室
五高記念館の週一回の勤務も新年度からは更新しないと言われて、これは昨年からの懸案であったもので、しかし一年間更新を延ばしてもらったお陰で今までも一寸紹介したこともあったと思うが、この五高記念館を中心に開催された「くまもと自然と文化の学芸員講座」を修了して学芸員として認定して貰ったことはよかった。
事務担当者から新年度から更新出来ないと言うことを館長の方から話はあっていますかと言われたとき、俺自身が今年までと思っていたので「わかっています」と答えたものであった。週一回の出勤ではなにがしからの金銭が支給されていることもネックのひとつのようであった。
俺の五高記念館に関する対象関係者は30年の間、ほとんどすべてといってよかろう。教育職の先生方であった。行政職であった人は何時の時代でもこの五高記念館に関しては誰一人知ったことかと考える人ばかりであった。このことは記念館創設の時から感じていたことであり、もう少し行政職の事務系の人が積極的に関係しておられたらもっと早くこの記念館は充実したと何度思ったことであったろうか。
教育職であれば、教官研究費が配当され自分の研究のために利用出来る、しかし事務屋では独立行政法人になって変化も見られるそうであるが、まずそんなことはあり得ない、
研究者(教官)であれば自分の専門分野で活躍されて退官後もあの先生にお願いしてと取引があるが、事務屋であった俺などはこんなことはありえない、
考えてみれば俺の在職期間39年だったと思う。この記念館に直接的に関係してから20余年、その前の職員とての在職中は兼務させられていたので都合30年以上になるだろうか、こんなことを考えると俺の公務員生活はこの五高記念館に関係して生活したことになる、そのためであろうか、ただ広く浅くは研究者以上に五高についての関する知識は収集したつもりであり、学内に於いては五高記念館のことはあいつに聴けばと言う域には達したようであった。ただし今の若い世代ではそのようなことは考えられなく歴史的なことなど知ろうと思う人などいないようである。
昨年12月には現在の館長、準教授両先生はじめ、研究員、学芸員各先生方の努力が認められたのであろう、博物館相当施設として文科省から指定されたことも、これでもう俺の出番は必要でないと考えたものである。
新年度からは五高記念館市民研究員としてボランテイアで出てくれと言うことであるので、まだまだ俺のこの記念館とのつきあい・縁は切れないようで、29日にはけじめはつけておかねばならないと思い、俺の週一回の常勤の出は今日までと言うことで、直接関係した諸先生お世話になった各先生方に、学内に居られる方には、研究室へ足を運び、そうでないお方については、電話で挨拶をしておいた。・・・週一回の常勤を終わるに当たっての感想である。
明日は学芸員講座の報告書「旧制第五高等中学校の建造物と残されている史料について」を紹介してみたい