静岡に向かうの中で娘が言った。
「そう例えば?」
「…着た切り雀とかさ」
「ええ着た切り雀って変な言葉じゃないよ、普通に使うよ」
“舌切り雀”をもじったおやじギャグと思ったらしい
って便利だね
助手席で検索してた娘が「あっホントだ、慣用句だって」
何でもお利口な同僚に
「そんな言葉は聞いたことありません!」と言われたんだそうだ。
そう言えば近頃「着た切り雀」の若者なんて見たことないなあ。
今はユニクロ始め安い服がすぐ手に入るものね。
それがいいんだか悪いんだか分からなくなることもあるけどね。
私の1万円デジカメで撮ってみたら
最近訃報が続く。
2日前にも一人の素敵な女性があちらに旅立った。
3年間を彼女は自分の望んだように生ききった、と聞いた。
それはそれは見事だった、と訃報を伝えてくれた人が話してくれた。
2週間ほど前には友人の94歳の父上が亡くなった。
自転車で買い物に行くのが日課だった。
睡眠中に異常に気づき病院に運んで
そのまま目覚めることなく逝ってしまった。
友人は突然のことで心の整理がつかないようだ。
ねえ、人はなんで死ぬのでしょう・・・お蔦の台詞だっけ?
そんな事考える時間があったら何かやれ!って号令かける私がいる。
でもその「何か」って人生に必要?と思う私が最近現れたのだ。
「何か」のひとつである歌を封印した理由はまだ頭と心の中にしまってある。
でも何もしない、ということではないのだ。
企みは・・・・・・おいおい
今日の空はもう春だ。
注文ミスで生活クラブの瓶牛乳が来なかったからドトールでモーニングしようとを出た。
ところがこの青い空だ
ついつい鉢植えたちや地べたから顔出してる芽たちとイチャイチャしてしまい、
ドトールには10:35着
あらま間に合いませんでした…
去年の秋から慌ただしい日々が過ぎ、その代償か体調を崩したけど、
どうにか「いつもの私」に戻ってきた。
さて、この先どうするとカフェオレ飲みながら考える。
いろいろ思うことがあり年頭に『歌封印』を決めたのだが、
その途端見事にOFFのスイッチが入ったみたい。
これまで私は何かしら“やらなきゃいけないこと”を抱えてやってきた。
~までに資料を探す、~までに譜面を作る、~までに曲を覚える、
台詞を覚える、あっちでレッスン、こっちでレッスン、
教わる、教える、歌う、落ち込む・・・・
言ってみればいつもいつも、宿題をし残した8月30日の子どもみたいな気分で生きてきた。
ふと気がついたらその不安な気分から解放されているみたい。
何かに追っかけられてる気分無しに庭をいじり、草花の世話をし、猫と戯れ……
でも、それって…
川越街道沿いのドトールで途方にくれている。