3時過ぎか・・どうするか
少し水分取りすぎたか もう起きるかな
ブログニュース見るとどうも 目が冴えてしまうんだ
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やっと資産運用が出来る環境が整って来た
親も考えれば、40代の頃から子供を是非とも全員短大へ入れる為と戸建てを
最終的に建てる目標を立て「ワリトー」という割引債である債券だ・これを勉強し
開始したのだろう、その原資を担保に札幌へ出て来て自分は田舎に犬猿の仲の婆と留まり
俺らを大学に入れ、嫁入り道具を買ってやりついに最初の集合住宅を購入したんだ、
その借金も2年で償却した。
切れる母だった。北大病院で肺癌で殺される前までは・・
もっと色々教えてほしかった、今はもういない母
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彼女の教育方針はこうだった。
小学6年頃までは、よく叩かれた。スパルタで赤鬼の様な形相でやられた。「またオネショしたんでしょう」だが、
しかし・・「ここからは自分で切り開いて生きなさい」と
つまりそれからはもうスパルタしない「男は自分で人生を切り開くのよ」と
一転して放任主義に俺の場合は変わった。音楽気狂いで、でかい声で練習するにも、東京の大学へ行きたい・にも
何も言わなかった。貴方のやりたい様に好きな様に人生を生きなさい・・ではなかったか
そんな母に父も尻を引っ叩かれて思えば、見合いしたばっかりに
「おまえ大学に行かなくていいだろう・・・」可哀想だったな・それで定年延長したんだ
さらに苦労したのだ
俺は黙っていた・・。
しかし後半は俺が支えてあげた。親戚は父のことを羨ましいと言っていた
「家にいるんでしょう・・・」「看ててくれる人いて、いいねぇ・・」と叔母さん
その方は恐らくもう、施設だろう・・。
葬儀の声がかからないから、室蘭の母の弟もまだ、死なないで頑張ってるんだ、
香典・・ホント助かる
この叔母さんも在宅ではないと思う確か男・一人っ子だったか
離れて暮らしているはず、嫁がいるならこの叔母を預からないだろう・楽したいから
でも、俺の場合は親戚も知らんぷり兄弟も施設に入れて当然・の意見の中机を叩き
大反対しシモの始末までクソとともに風呂に入れ介護したんだ・・・死ぬかと思った。
まぁ それはいい
昔は誰でもそうだったろう、現代は自分のことばかり考え義理もへったくれもない
汚く古くなったら残飯を捨てるが如く始末する。
自分もそうされるのに、みてるんだよ誰かが、
間違いなくそうしたものは、そうされるから
地獄が待っていると言うことだ
この世の実在する地獄
3点拘束か最悪5点拘束であろう。
あぁ、ヤダヤダ歳は取りたくない自分で孤独死した方が幸せだ
どうせいつかは人は死ぬんだよう、他の人に拷問はされたくない