田舎から東京へ出てきた時・・
そうだなぁ あれはもう何十年前だろう
こおり・布団は後で送られてきて不気味だったが、自分が上へあげるというのを睨まれ
先輩が一人で担いで行くと言う
母はニコニコしていた、サービスがいいと思ったのか、不気味だった自分の思い
寮は2年だったな、それからは退寮し初めての六畳間での一人暮らし、音楽があったので、
寂しくはなかった。
フォークを聞きに短大生が何人も遊びに来ていた。
そう、そこは男子禁止だったが、大家が「じっ」と見て。
あなたならいいわ・と住める様になったのだ
◇
自由と共に、一人で食って行かねばならない厳しさも生まれた。
だが音楽があったので、どうって事はなかった。金がないなら土方をすればいいんだと
大学仲間内では自分はハローワークだった。
何人仕事を斡旋してやったか、「バイトしたいならあいつに聞け」が、合言葉だった様だ
そうだな、東京は10年いたんだ、セミプロにはなれて金も稼いだ、でも積立すると言う案が
浮かび上がらなかった。
稼いだら稼いだだけ使う、バイクは4台位くらい買ったか、東京での最後はFX-Zと云う
400ccの新車だった。
160キロ出してニコニコと交通取り締まりに切符切られたっけ、天井の6・7万円の罰金を
支払ったなぁ。「君はどう云う気持ちになったら、あんなスピード出すんだ」などと笑顔で
聞かれたなぁ
走り屋だったよヤングの頃は
族には属してないけれど、会社仲間は元族だったのが、二人いたな
色々逆ハンとかヒール&トウとか教えてくれた。
246のアパートではでかい声で歌たっても誰にも文句言われなかったな
そこが、東京の良い所なんだ、良くも悪くも関知しない、例え隣の部屋で人が死んでいてもだ
知らんぷり、田舎みたいにベタベタしていないんだ、そんな東京生活も一度は帰り、
また今度は背広姿で再び東京へやって来た。
東京は好きだった、自分にとっては自由があり、稼げて、遊べて
良い街だったなぁ
・・
良い街だったなぁ