Hamp’s Piano (Mps)・HAMPTON HAWES
「オレはやはり以前のハンプトン・ホーズが好きだよ」
『ハンプス・ピアノ』のA面1曲目『ハンプス・ブルース』が流れると、ヒゲ村が言った。
「でも、こっちのホーズの方が耽美的で素晴らしいと思うんですけど」
マジ村が異論を唱えた。
夏原の店には、中村という名の男性客が二人いるのだが、苗字だけで呼んでいた頃に話が混乱した事があったので、便宜上夏原はヒゲ村とマジ村という呼び名にしていたが、それが今では誰にでもそう呼ばれていた。
ヒゲ村はフリーターでいつも無精髭を生やしている。マジ村は銀行員という身分でいつもスーツ姿で店に来る。このようにごく単純に見た目のとおり、夏原が命名したものだ。
「たしかにここではホーズの持ち味であるスイング感が影を潜めているよね」
夏原が言った。
「身体が自然に動き出してくるんだ。あの頃のものは。コンテンポラリーに吹き込んだ50年台のトリオものの作品が最高だよ」
「たしかに否定はしないけど、ヤクの影響からひとまず癒えてヨーロッパ・ツアーした時のこの作品はホーズの新境地を見せようという意気込みが感じられるんです。一音一音が吟味されたこの作品はホーズの集大成といえるんじゃないでしょうか」
マジ村が持論を展開して食い下がった。
「それぞれ好みがあるから一概には言えないけど、ボクもどちらかと言うと50年代の方が好きだね。ホーズのピアノほどスイングするピアノはないよ」
夏原はヒゲ村の考えに同調した。
「そうかなぁ」
「このアルバムは明らかにビル・エヴァンスを意識しているよね。『枯葉』や『マイ・フーリッシュ・ハート』などの曲を選んでいるのは偶然じゃないはずだよ」
「しかし、この『枯葉』はエヴァンスに勝るとも劣らない出来じゃないですか。録音の良さもあるけど澄み切った音はリリシズムにあふれていますよ。ベースのエベルハルト・ウェバーとのコラポレーションも見事です」
A面が終わるや否や、賛美の言葉がマジ村の口をついて出た。
「こうなると『マイ・フーリッシュ・ハート』を聴かないわけにはいきませんよ。エヴァンスへの挑戦だ」
マジ村のリクエストに応えて、夏原はくるりとB面に代えた。
「そうなると、その後はエヴァンスの『マイ・フーリッシュ・ハート』も聴かないわけにはいかないね」
ヒゲ村がもう次のリクエストをした。
「もちろんエヴァンスのは言う事ないけど、ホーズのもまたいいんだから」
マジ村は一向に退かなかった。
「どういう心境の変化なんだろう。このホーズの変わり様は」
ヒゲ村は腕を組んで、右手を顎に運んで親指と人指し指で支えた。シャーロック・ホームズにでもなったかのようであった。『マイ・フーリッシュ・ハート』にかかると、さらに前傾姿勢になって聴き込んだ。
「考えてみればエヴァンスだって初期の『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』では、バド・パウエルの影響が感じられたからね。いろいろと模索するんだよ。画家の画風も少しづつ移ろっていくように」
夏原が言ったところでB面が終わった。引き続いて『ワルツ・フォー・デビー』をかけようとレコード棚に向かう夏原の背中に、ヒゲ村の声が追っかけた。
「マスター、さっきの止めて『ニュー・ジャズ・コンセプション』をお願い。演奏スタイルも移ろうけど、リクエストも時とともに移ろうんだ」
そのひと言で、店内の緊張がほぐれ一同が大笑いになった。
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