夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

17. 道場破り

2008-10-22 | ジャズ小説
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Mingus Three (Jubilee)・CHARLES MINGUS
 

 客のいない昼下がりに一息つこうと、夏原はコーヒーをいれようとしていた時だった。ドアが開いて、辺りを睥睨するような眼つきの男が現われた。
 つかつかと歩み寄ると、いつもはスミちゃんが座る場所に腰掛けた。胡散臭さをただよわせ男は店内をぐるりと見回した。他に客がいなくて良かったと夏原は内心思った。
「コーヒー」
 呟くようにひと言いうと、苦行僧のような顔つきで店内に流れるカール・パーキンスの『イントロデューシング』に聴き入った。道場破りだなと、夏原は直感した。
 江戸の昔、突如道場の門前に現われ「頼もう」と剣道の手合わせを願い出る浪人がいた。道場主も弟子がいる手前受けない訳にはいかないので、そこそこの腕前をもつ弟子から対戦させ、負けるとさらに上級者へとあがる。
 ついには師範へとなるが、これは敵わないと思う道場主は浪人を脇へ呼んで、いくばくかの金銭を与えて引き取ってもらう。時代劇などで誰もが知るシーンだ。
 金銭を与える事など勿論ないが、今の時代でこんな言葉が生きているのはジャズ喫茶くらいのものかもしれない。パーキンスが終わると、男はリクエストを願いでた。
「『ミンガス・スリー』を」
 そう言い放った顔中髭だらけの眼光鋭い男は、コーヒーを二口か三口くらいで飲み干した。1曲目の『イエスタデイズ』で身体を大きく前後に揺らし始めた。その度、椅子の脚が浮きガタガタと鳴った。
 そして急に動きを止め、不意に問いかけてきた。 
「このレコードの録音中にホーズがヤクを射ちに行っている間、その場にいたソニー・クラークがエンディングを替わりに弾いたんだけど、どの曲か知ってる」
「その話は解説なんかで知ってるけど、どの曲なのかは知らないね」 
「ジャズ喫茶やっててそんな事くらい知らないの」
 男は馬鹿するような言い方をした。
「そりゃジャズ喫茶やってるからといって、何でも知ってる訳はないよ」
「じゃ、次に来るまでの宿題だな」
 夏原はカッとなったが、この手の客にいちいちむきになるのも大人気ないと思い直した。
「勉強のヒントをくれてありがとう。次にはきっと解答できるようにしておくよ」
 夏原が苦笑して言った。
 それに満足したのか、男はニヤリと笑った。結局2時間ほどいたが、その後もジャズの逸話を持ち出して、自らの知悉を誇示し勝ち誇るような顔で帰った。
 丁度入れ違いにスミちゃんが来た。
「今、道場破りが来ていたんだ。そこに座ってあらゆる難問をぶつけてきたよ」
「さっき出て行った髭面の人ね」
「ああいうのがたまに来るんだ。自分のありったけの知識をひけらかして、いかにも店主よりジャズ通であるかを示したくて、自己満足を得たいがためにやってくるんだ」
「へえ、どんな質問をしたの」
「例のミンガスのレコードで、ホーズの替わりにソニー・クラークが弾いたという部分があったよね。それがどこか知ってるかと聞いてきたんだ。それは前にも皆で話題になった事があったけど結局判らなかった」
「で、どの部分だと言ったの」
「結局言わないんだ。宿題にしておくとかいってたな」
「マスター、その男も知らなかったのよ。知らないから聞き出したかったのよ。マスターが反対に聞いてこない性格だと読んでいたのよ、その男は」
 スミちゃんは言い切った。
「知ったかぶりをして、次に来る時までに調べさせておきたかったのよ。それが手よ」
 夏原はスミちゃんの慧眼に脳天を痛打される思いがした。そこで夏原が教えを乞いたいと下手に出ればこの男は窮地に陥ったはずだ。男のペースにまんまとしてやられたのかもしれない。
 沈黙が続いた後、
「もう一度ミンガスを聴いてみるかい」
 夏原は誰に言うでもなく、もう一度『ミンガス・スリー』をかけた。
 二人は黙りこくって聴き入った。つくづくジャズ喫茶とは不思議な空間で因果な商売だと、夏原は今更にして思わざるを得なかった。

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