The Scene Changes (Blue Note)・BUD POWELL
ヒゲ村が調べてくれた靖国神社の奉納大相撲が、店の休業日と一致した。
毎年四月の初旬に行われるのだが、今年はちょうど月曜日とタイミングがよかった。
「久し振りに行ってみるか」
窓際で朝陽にあたりトミーとディックが気持よさそうに眠っていた。夏原はペット・フードをいつもの場所に置いて出ようとしたら、匂いを嗅ぎつけて食いしん坊のトミーが起きて来た。
「まったくおまえは食う事には目がないよ」
仕方なくトミーの分だけ多めにしてから、店を後にした。
少し早めに出たのは、神保町でいくつかの中古レコード店を覗いてみたかったからだ。
外出した夏原は久し振りに開放的な気分にひたった。一人でジャズ喫茶をやっていれば、そうそう街の空気を吸う機会はない。
見慣れた風景が、初めて来たように新鮮に見えてくる。ある店に通じるビルの階段を上がってドアを開けた。その瞬間、あの匂いが夏原の鼻孔をつく。ジャケットやレコードに長年染み付いた特有の匂いは、中古レコードが発する無言のメッセージといえるものだった。
ダンホール箱に詰められたレコードを手に取る人たちが、ストンストンと音をたてていた。日本人に混じって外人の顔も見かけられた。コレクターにとって異国の店は気になるもので、日本人が外国に行っても同じ行動をとるものだ。
二、三の店を覗いて少しは鬱憤をはらした夏原は、靖国神社に向かって歩を進めた。皇居の堀に沿った桜並木がまさに満開だった。
境内の人出は多く、靖国独特の軍服を着た集団も散見された。相撲場に行く途中、本殿の方から化粧まわしをつけた力士たちが現われ、一列になってゆっくりと歩いて来た。その姿を撮らえようとカメラを向ける人たちが近寄った。
ピース・サインなどで気安く応じる力士も多く、本場所とは違ってリラックスした雰囲気だ。夏原も手にしていたカメラにその情景を収めた。
相撲場の周辺では大勢の人たちの間をぬって、明荷をもった下位の力士たちが慌ただしく立ち働いていた。
夏原は取り組み表をもらって入場口に向かうと、ひと際背の高い外人がいた。バド・パウエルの『シーン・チェンジス』を胸のあたりに掲げていた。よく見ると先程の中古レコード店で見かけた外人で、たしかその時は一人だった。夏原はそれで合点がいった。初対面の人と会うために、目印のレコードを探していたのだろう。
時々レコードを上げたりしながら、人待ち顔が左右交互に動く。こんな所でパウエルに対面するとは思ってもみなかった。
入場するとかなりの席が埋まっていて、空場所を探すのに一苦労した。入場者の顔を見ると外人が多いのに驚いた。日本人でさえこの奉納相撲を知っている人は少ないのに、どこで情報を得たのか不思議だった。
場内にも桜が咲き誇り、色とりどりのまわしをつけた力士に文字どおり花を添えていた。花見
と相撲が一挙に楽しめるなんてそ
うはないものだ。
本場所とは違い目一杯の勝負を期待するのは無理で、雰囲気を楽しむのが奉納相撲だ。控えの場所でサインばかりねだり、勝負目的ではない客が多いのも致し方がないのかもしれない。
やがて横綱同士の結びの一番が終わり、出口に向かって人が流れだした。
夏原がふと脇を見るとあの外人が同じ姿勢のままでいた。明らかに落胆の表情を浮かべていたが、まだ諦めきれないのか立ち去る様子はなかった。
そんなにしてまで未だ現われない人を待つということは、相当の事情があるに違いない。
まさかそんな事を聞く訳にもいかず、夏原は相撲場を後にした。力士のまわし姿とパウエルの顔とのユニークな対比が、脳裡に焼き付いて離れなかった。
日本人に一番好かれたパウエルの曲がこれだった。帰途の道すがら『クレオパトラの夢』のメロディが何回も去来した。
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