夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

22. 名画座前の出来事

2008-11-23 | ジャズ小説

Img_3718_2The Quintets Lennie Niehaus Vol.1 (Contemporary)・LENNIE NIEHAUS
 

「夏原さーん」
 映画館から出ると、背後から声がしたので振りかえると山下だった。
 夏原の店の数軒先にある山下動物病院の院長だ。時々猫を診てもらっていたのでよく知っていた。定休が同じ月曜日なので、やはり映画館に来ていたのだろう。
「ひとつおいた隣に夏原さんが座っていたのが判っていたんですが、中で声を掛けると気が散って申し訳ないと思って」
 人なつこい顔を寄せて来た。
「そうですか。映画はお好きですか」
「ほとんど名画座しか行きません。しかし、それも少なくなりましたね」
 夏原は相槌を打って、言った。
「残念ですね。以前はN座などによく行きましたが」
「いやぁ、六十を超えると見逃していた名画を優先したいので、封切館には脚を運ばなくなりました。それにしても良かったですね『マディソン郡の橋』。今日で4回目です」
「よろしかったら、お茶でもいかがですか」
 夏原が誘った。
「貴重なお時間でしょう、いいんですか」
「もちろん、むしろ山下さんの方が」
 それに答えるかわりに、山下は笑みをもらして大きく手を振った。
「まともな喫茶店も少なくなりましたね」
 適当な店が見つからず、全国チェーン店の席で二人はどちらともなく洩らした。
「クリント・イーストウッドの演出力もたいしたものですよ。大人の演技ができるメリル・ストリープの個性をうまく引き出していると思いました」
「まったくね」
 夏原も共感するところだ。
「イーストウッドは大変なジャズ好きのようですね」
「チャーリー・パーカーの伝記映画『バード』を撮っているくらいだから筋金入りでしょう。自ら楽器も演奏するようですよ。『バード』もそうだけど、いつも音楽はレニー・ニーハウスを起用していますね」
「仲がいいんでしょうかねえ」
 かく言う山下は夏原の店の常連ではないが、診療の休憩時に時々顔を出すことがあった。
「ボクはいまひとつ際立った個性を感じないのですが、イーストウッドとはお互い信頼し合っているのかもしれませんね」
「実は行って来たんです」
「えっ、どこにですか」
 山下は唐突に言い、年甲斐もなく少々顔を赤らめた
「え、まああの橋にです。マディソン郡の屋根付きの橋、あのローズマン・ブリッジです。ああいうのを総称してカバードブリッジというんだそうですが」
 そういえば、昨年の年末年始にかけて1週間程休診札が出ていた事があったと、夏原は思い出した。
「やはりあれだけ小説や映画で有名になったものですから、色んな所から来ていて私のような物好きが結構いるもんだ なと、感心しました。ただ期待していた映画のような出会いはありません
Img_3719_2でした。ハハハ」
 冗談とも本気ともつかない言い方だった。山下は、十年程前に奥さんを亡くしていたのだった。
「それは残念でしたね」
「イーストウッドが重用したんだから、ニーハウスって人は凄いんですか。明日にでも聴きに行きますよ」
 夏原は少々返答に窮した。
「そうですね。うちには『ザ・クインテッツ』という盤しかないんですが、ボクのなかでは申し訳ないけど、ウダツの上がらないアルト吹きって感じですね。顔もアメリカの田舎に行けばどこにでもいそうな…」
 そこまで言った夏原は、しまったと思った。何となく山下とよく似ているのに気がついたのだ。
 微妙な空気を感じたのか山下のポカンとした顔を眼前にすると、夏原は笑いがこみ上げてきそうで、目の持って行き場に窮した。
 店に来てジャケットを見たらどんな顔をするだろうかと想像すると、また笑いがこみ上げてきそうになるのだった。

無断で複製・転載等を禁止します