夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

60. ガーランドのような旅

2009-10-13 | ジャズ小説

Img_4203 Bright and Breezy (Jazzland)・RED GARLAND


 月曜日は、ジャズ喫茶“サマーフィールド”の休業日だ。夏原は久し振りに恵比寿にある写真美術館におもむいた。
 かつて夏原は写真を撮る毎日をおくっていたが、この商売を始めるにあたってそれを諦めた。今はもっぱら鑑賞する立場だ。これはこれで愉しいが素晴らしい作品を目の当たりにすると、昔とった杵柄で写欲が沸き上がってくるのは如何ともし難い事ではあった。
 カタルシスを求めるつもりが、こころの葛藤をうむことになるのであった。とは言っても今更写真家に戻るわけにはいかず、翌日からターン・テーブルの前に立つ日々に戻るのだった。
 作品を見終わって館内のショップに入ると、正木の姿があった。
「あれ、来てたの」
「夏原じゃないか。もう観終わったの」
「そう、今出てきたばっかりなんだ」
 暫くして、二人は最寄りの喫茶店のテーブルをはさんで向かい合っていた。
「青春キップというのを知ってね、この前初めて使ってみたんだがなかなか面白い旅ができたよ。各駅停車の愉しさを再発見したんだ」
 正木が口火を切った。
「今風に言えばスロー・ジャーニーだね。何事もスピード優先の世の中にあって、目的のない旅というのが如何に大切であるかがよく分かるよね」
 夏原は何度か経験があるので、キップの仕組みはよく心得ていた。
「これと思った駅で途中下車して、知らない町を無目的に歩くのがこんなにも解放感があるとは思ってもみなかったよ。寅さんが受けるのはよく分かるね。誰ものこころのうちにはその願望があるからじゃないだろうか。もっと早くこういう旅をすべきだったと悔やんだよ。若者だけが対象のようなあのネーミングがよくないよね」
 口惜しそうな表情が正木に溢れていた。
「いわばレッド・ガーランドのような旅だ」
「レッド・ガーランドのような旅 ?」
 正木が問い返した。
「ジャズ喫茶のオヤジ的に言えばね」
 夏原は勿体ぶるように少し間を置いてから続けた。
「ガーランド独特のスロー・ジャズの味わいと共通項があるんじゃないだろうか。『ホエン・ゼア・アー・グレイ・スカイズ』をはじめ『ブライト・アンド・ブリージー』なんかも、じっくりとかみしめるようなバラード群には、人生のある段階に達した人にしか分からない何かがあると思う。例えば『ブライト・アンド・ブリージー』の『ホワッツ・ニュー』なんかにね」
「よくカクテル・ピアノと揶揄されるやつだね」
「しかしそれはボクに言わせればガーランドにしかできない弾き方であるし、その境地なんだよ。だからガーランドの盤はトリオでなきゃだめなんだ。マイルスのコンボにいた頃にはそれらしさは出せなかった」
 夏原は力説した。
「ガーランドって、元はボクサーだったんでしょ。スピードを身上としなければならないボクサー出身が、スローな持ち味が受けているというのも面白いところだね」
「顔だけで判断すれば、とてもこんな繊細なタッチを駆使するようには見えないけどね」
「いっぱい殴られた跡がありありだね。腫れぼったい目なんか」
 笑いながら正木が言った。
「人は見かけに寄らない典型かもね。多分、この顔で損してるところは多分にあるよ」
「何かこの辺がヒントになって作品に反映できればいいかもしれないな。今度行く時はガーランドを聴きながらインスピレーションをもらうかな」
「いい写真が撮れるといいね」
「そうだね」
 夏原の言葉に正木は、テーブルの上に置いてある自分のライカM3の軍艦部を、まじないをかけるかの如く指で撫でた。


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