オオカミになりたい(遺言)

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月百姿 貞観殿月

2017-06-20 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『貞観殿月 源経基』 

貞観殿(じょうがんでん):平安宮の内裏の建物名 内裏の北辺にある。

明治二十一年印刷

 

 

源経基(みなもとのつねもと)は平安時代中期の武将。清和源氏の祖。

延喜17年(917年)?~ 応和元年(961年)114

花山寺の月(4/20)に登場した源満仲は経基の嫡子。

国立国会図書館デジタルコレクション 060


< 前太平記 巻一 第五話 経基射鹿給事> より

経基鹿を射る

『やはり曲者であるな。もしも私の姿を見れば、逃げてしまうだろうか。

射損ねたようでは、この時の恥辱のみならず、末代までの不名誉である。』


と、貞観殿の階段の下に座り隠れて、弦を少し湿らし、鏑矢をつがえ、

あの鹿のいる場所を十分に気を付けてよく見て、少し弓を引きしぼって、

狙いを定めてひゅっと放つ。その矢は少しも狙いを外さず、

左の胸先から右の耳の根まで、白い矢先を射出したので、

どうして少しでも堪えることが出来るか、真っ逆さまに転び落ちる。


摂政(藤原忠平)をはじめとし、三公九卿の家々の武士や内侍、命婦の女官に至るまで、

「おお、撃ったぞ、撃ったぞ」という声に、御殿も揺れ動くほどである。


その後、この時の鹿を淀川の浅瀬に柴漬(ふしづけ→罪人などを簀巻きにして

水中に投げ入れること)にしてしまった。

すぐに斎部・卜部の両家にお命じになって、色々な御払いをして、穢れをお清めになった。


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