月岡芳年 月百姿
『貞観殿月 源経基』
貞観殿(じょうがんでん):平安宮の内裏の建物名 内裏の北辺にある。
明治二十一年印刷
源経基(みなもとのつねもと)は平安時代中期の武将。清和源氏の祖。
延喜17年(917年)?~ 応和元年(961年)11月4日
花山寺の月(4/20)に登場した源満仲は経基の嫡子。
国立国会図書館デジタルコレクション 060
< 前太平記 巻一 第五話 経基射鹿給事> より
経基鹿を射る
『やはり曲者であるな。もしも私の姿を見れば、逃げてしまうだろうか。
射損ねたようでは、この時の恥辱のみならず、末代までの不名誉である。』
と、貞観殿の階段の下に座り隠れて、弦を少し湿らし、鏑矢をつがえ、
あの鹿のいる場所を十分に気を付けてよく見て、少し弓を引きしぼって、
狙いを定めてひゅっと放つ。その矢は少しも狙いを外さず、
左の胸先から右の耳の根まで、白い矢先を射出したので、
どうして少しでも堪えることが出来るか、真っ逆さまに転び落ちる。
摂政(藤原忠平)をはじめとし、三公九卿の家々の武士や内侍、命婦の女官に至るまで、
「おお、撃ったぞ、撃ったぞ」という声に、御殿も揺れ動くほどである。
その後、この時の鹿を淀川の浅瀬に柴漬(ふしづけ→罪人などを簀巻きにして
水中に投げ入れること)にしてしまった。
すぐに斎部・卜部の両家にお命じになって、色々な御払いをして、穢れをお清めになった。
出典元:gekkaan.web.fc2.com/zt5.html