月岡芳年 月百姿
『住よしの名月 定家卿』
明治二十年届
藤原定家(ふじわらのさだいえ=ていか)は鎌倉時代前期の公卿(くぎょう)・歌人。
藤原俊成(としなり)の子。母は美福門院加賀。
「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の撰者となり、「小倉百人一首」も撰した。
応保二年(1162年) ~ 仁治二年(1241年)八月二十日
国立国会図書館デジタルコレクション 044
歌人として知られる藤原定家が、難波・住吉神社へ詣でた際
夢の中に住吉明神が現われて神託を下し、
定家の和歌に対する迷いを晴らしたとされる逸話を
描いたとされるweb記事が多いのですが
その逸話が何であるのかは不明でした。 だから逸話なのか!
「明月記」では超新星の記述が有名で「明月記」に
この夢の記述があるわけではなさそうですね。
ひとつ面白い記事があったのが「定家と家隆」の記事で
定家の父親 俊成が住吉社に十七日間籠り
もしも歌はいたづらごとであるというならば
今後は歌をやめて一向に後生の勤めをしよう と祈念したところ
他のことはするな、歌でもって往生すべきである とお告げを得て
いよいよ歌の道を重くしたと伝えられている。とあり
定家が住吉明神参拝の際に神託によって作成した『明月記』の話とも
重なっているのかな?と思ったりしています。