オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

月百姿 住よしの名月

2017-06-25 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『住よしの名月 定家卿』 

明治二十年届

 

 

藤原定家(ふじわらのさだいえ=ていか)は鎌倉時代前期の公卿(くぎょう)・歌人。

藤原俊成(としなり)の子。母は美福門院加賀。

「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の撰者となり、「小倉百人一首」も撰した。

応保二年(1162年) ~ 仁治二年(1241年)八月二十日 

 

 

国立国会図書館デジタルコレクション 044

 

 歌人として知られる藤原定家が、難波・住吉神社へ詣でた際

夢の中に住吉明神が現われて神託を下し、

定家の和歌に対する迷いを晴らしたとされる逸話を

描いたとされるweb記事が多いのですが

その逸話が何であるのかは不明でした。 だから逸話なのか!

「明月記」では超新星の記述が有名で「明月記」に

この夢の記述があるわけではなさそうですね。

 

ひとつ面白い記事があったのが「定家と家隆」の記事で

定家の父親 俊成が住吉社に十七日間籠り

もしも歌はいたづらごとであるというならば

今後は歌をやめて一向に後生の勤めをしよう と祈念したところ

他のことはするな、歌でもって往生すべきである とお告げを得て

いよいよ歌の道を重くしたと伝えられている。とあり

定家が住吉明神参拝の際に神託によって作成した『明月記』の話とも

重なっているのかな?と思ったりしています。