オオカミになりたい(遺言)

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月百姿 朱雀門の月

2017-06-27 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『朱雀門の月』 博雅三位

明治十九年届

朱雀門(すざくもん)は平安宮の大内裏(だいり)の南面中央にある正門のこと

 

源博雅(みなもとのひろまさ)は平安時代中期の公卿、雅楽家。

延喜十八年(918年)~天元三年(980年)九月二十八日

醍醐天皇皇子の克明親王の長男。母は藤原時平の娘。

横笛、琵琶、大篳篥(おおひちりき)の名手で、その楽才をたたえる説話が多い。

 

 国立国会図書館デジタルコレクション 078

 

十訓抄 巻十第二十話 (博雅三位 朱雀門の鬼の笛)

月の明るい夜。博雅三位が直衣姿で朱雀門の前をそぞろ歩いていました。

夜もすがら、笛を吹き遊んでいると、同じように直衣姿の男が

笛を吹きながら歩いてきます。 「いったい誰であろうか」 と

耳をそばだててみると、その者の笛の音は、世に類のないほど美しい。

不審に思い近寄って見たものの博雅のまるで知らない人でした。

われも話しかけず、かれも話しかけず。二人はこのようにして

月の夜ごとに行き交い、一晩中笛を吹きあったのです。

その者の笛があまりに見事なので、ためしに笛を交換してみると

かつて見たこともないほどの名笛でした。その後も月夜ごとに笛を吹き交わしたのですが、

かの者は「笛を返せ」ともいわないので、笛はそのまま博雅の手元に残りました。

 

博雅が亡くなった後、帝がこの笛を譲られたため、当時の上手どもに吹かせてみたのですが、

誰も博雅のように吹き鳴らせる者はありません。

その後、浄蔵という笛の名人が現れました。帝がこの者を召して

吹かせてみると博雅に劣らず吹きこなしたものです。

帝は御感のあまり、「そもそもこの笛の持ち主は朱雀門あたりでこれを得たという。

浄蔵よ、そこへ行って吹いてみよ」と仰せられたのです。

月の夜、帝の仰せにしたがい朱雀門へ行きこの笛を吹いてみました。

その時、「いまだ逸物かな」と、楼上より雷のごとき音声が落ちてきて、浄蔵の笛を称えたのです。

これを帝に奏上したため、はじめてかの笛は鬼のものであったと知れました。

これが葉二(はふたつ)と称される天下第一の名笛です。

 

能文社web 千年の日本語を読む 風流の鬼、博雅の三位 より転載