「一生一緒にいてくれや、みてくれや才能も全部含めてぇ~」の歌詞で知られる2001年のヒット曲「Lifetime Respect」。この曲でレゲエ界初のオリコンチャート1位に輝いたのが、本日登場のレゲエミュージシャン、三木道三改め「DOZAN11」さん(47)だ。今どうしているのか?
■「コードもキーもよく分かってなかった」
DOZANさんに会ったのは、都内にある所属事務所の一室。機材でメロディーを奏でながら、ノートパソコンに向かって熱心に作業をしていた。
「ええタイミングで来たね。実は最近、『PhotoMusic』っていう、画像をメロディーに変換するソフトの開発に関わってるねん。書いてもらうとしたら、ゲンダイさんが初めてやで」
02年の絶頂期に三木道三としての活動を突然引退したDOZANさんは、14年に新曲「Nippon!!」などをリリースして再デビュー。現在はライブや楽曲プロデュースを中心に活動している。
ただ、プロデュース業を始めた当初は意外な悩みを抱えていた。
「実は、売れた当時は音楽の知識が全然なかったの。コードもキーも小節もよく分かってなかった(笑い)。だから、曲を提供したり、スタジオで曲をアレンジしたりすると、知識がないからコミュニケーションがうまく取れなかったんよ」
音楽の知識がなくてもレゲエミュージシャンとして活躍できたのは、リズムを重視する“ラップスタイル”だったからだとDOZANさん。
「極端な話、リズムに合わせて歌えば成立してた。リズム感や音感は必要やけど、知識はなくてもよかったの。でもプロデュース業はそうはいかない。だから勉強したわけ。そこで『音楽はこうなっていたのか!』ってやっと分かった(笑い)」
現在は音楽への理解が深まり、画像から音楽を自動生成するソフトの開発に音楽担当として携わるなど、新しい取り組みにもチャレンジしているそうだ。
■人気絶頂で突然の引退、一時は“死亡説”も……
さて、DOZANさんは、関西の大学在籍中にレゲエに目覚めて音楽活動を開始。
しかし、米国留学していたある冬の夜中、砂漠で乗っていた車が横転事故に遭い、ヘリコプターでラスベガスの病院に運ばれた。右ひざにボルトを入れたほか、当時住んでいたサンフランシスコに戻ってからも手術を余儀なくされた。
「顔の骨に腰骨を移植したよ。医者には『こんな事故だと8割は死んでる』って言われて、『人生いつ終わるか分からん』と強烈に思ったな。それで活動の速度を上げてん」
帰国後、大阪を拠点に精力的に活動。メジャー3枚目のシングル「Lifetime――」でレゲエ界初の快挙を成し遂げ、絶頂期を迎えた。だが、そんな時期に突然の引退。一体なぜ?
「これだけが理由じゃないんやけど、古傷が痛み出して体がもう限界だったんよ。肩は上がらないし、足も曲がらない。腰も痛い。損傷したままのところもあちこち残ってた。しっかりリハビリをしたかったし、再手術をして右ひざのネジも抜きたかった」
その後もケガと病気の連続だった。古傷の治療と並行して、ほかのアーティストの楽曲制作に関わっていたが、自律神経が乱れて体調が悪化。ほとんど寝たきり状態に追い込まれたという。
「逆流性食道炎で2年半、筆談みたいなこともやってた。日韓W杯観戦後ブラジルへ行った時も激しい腰痛に襲われてね。向こうで2カ月間、寝たきりになった。ケガや病気の期間が本当に長くて、かれこれ10年くらいになるかな。今でもところどころ痛くなり、最近だと複雑骨折した足のつま先が一番痛いんよ」
表舞台から消えて10年以上、沈黙し、一時は“死亡説”まで出た。しかし、DOZANさんは笑う。
「だって面白いじゃん。『死んだ』って言うなら、今のオレは『死のふちから蘇った』ってことでしょ。ハハハ」
九死に一生を得た男は、懐が深い。
- 最終更新:6/26(月) 10:28