M特派員の寄稿です。写真はそのカテコ。
ボリショイ ロンドン公演(at London Coliseum)
7 Aug 2007
「Spartacus」グリゴローヴィッチ版
スパルタカス:デニス・マトヴィエンコ(キエフ・バレエ プリンシパル)
クラッスス:ウラディミール・ネポロージニ
フリージア:スヴェトラーナ・ルンキナ
エギーナ:マリア・アレクサンドローワ
今年のロンドン公演ではスパルタカス役は3回とも他のカンパニーのゲスト・ダンサーによる。ボリショイのクレフツォフは怪我でツアーに来れず、ベロゴロフツェフも来英しなかったので、何だかいつもより寂しいと思っていたが、昨日のアコスタも見ごたえがあったし十分満足していた。しかしマトヴィエンコのスパルタクスは格別!!強烈なショックを受けた(もちろん良い意味での)。これまで、彼のような小柄で華奢なダンサーはボリショイのカラーに馴染まないと、冷ややかな目で見ていたのだが、グリゴローヴィッチ氏の80歳の誕生日公演に際して、マトヴィエンコが去年抜擢された理由がわかった。
とにかく形容詞がみつからないほど素晴らしかった。
彼がこれほどにまで舞台で大きく見えるとは思いもしなかった。テクニックのレベルの高さは他の演目でも十分見せてくれているが、彼はそれに加えてスパルタクスに必要な要素を全て備えている。「入魂」という言葉も当てはまらない。外から肉付けした役柄ではなく、スパルタクスが宿っているとしか思えないほど、演技や役作りを通り越して彼そのものがスパルタクス。その筋肉や血管、汗しぶきにいたるまで、エネルギーが漲っており、感情表現が取って付けたものではなく、自然と体の内面から湧いているのが感じ取れた。
やはりスラヴ民族には独特の「熱さ」がある。音楽やストーリーの解釈も、本能的にできてしまうDNAがあるとしか思えない。
カチャトゥリアンの壮大な音楽に合わせて舞台を端から端まで使い、大きく羽ばたく。ジャンプも高く、着地の音もしない。回転には切れがあるし、俊敏さが見ていて気持ちがよい。サポートも難しい片手リフトも数種、完璧にこなしてくれた。
アダージョではその切ない表現に、涙が出そうになった。
3幕の終盤では体が張り裂けんばかりに踊っていた。もの凄いパワー。
さすが、ダンサーには事欠かないボリショイが抜擢しただけの事はある。伝説に残るスパルタクスであると思った。
実は半年ほど前にマトヴィエンコはロンドンでのグリゴローヴィッチ・ガラでスパルタクスを踊っているが、ひと幕だったせいか、この日のようなインパクトは全くなかったと、同公演を観た友人は語っていた。
相手役のルンキナは、いつものように演技はそれほど熱くならないが、踊りではすらっと伸びる手足が美しかった。昨日のアントニーチェワと違って、2幕目のアダージョでは「喜び」の感情は出さない。逆に「不安」や「怖れ」といった感情を表現して踊るので、この場面では解釈が昨日と全く違って見えた。
ネポロージニもいつも淡々と踊るダンサーだが、相手のアレクサンドローワのオーラと色気に触発されてか、アレクサンドローワに触れた途端に「スイッチが入った」ように見えた。急に優柔不断そうなお坊ちゃまから暴君クラッススの目になる。
アレクサンドローワはまたひときわ個性的に輝いていた。ダイナミックに上がる脚や軸の強さ、敵陣を誘惑する場面では濃厚な色っぽさを見せてくれる。目の表情が自信に溢れていて観客をも魅了する。踊りももちろん歯切れ良く、申し分なかった。
3人の羊飼いにこの日もイワン・ワシリーエフ君が当日のキャスト表にも名前があったにもかかわらず降板。代役を務めていたのはロパーティンのよう。ボロティンと杖を空中で打ち合う場面で息が合わなかったり、どちらかが群舞とのダンスで滑ってこけてしまったりしたのも、急な変更だったからであろう。連日メドヴェージェフが登場する場面を自分のものにして光っている。
マトヴィエンコのスパルタカスが今回一度しかないのが残念でならない。しばらくは他のキャストで観たくなくなってしまった。これまで見てきたマトヴィエンコの役ではそれほどピンとこなかったが、スパルタカス役では現在彼の右に出るダンサーはいないように思えた。ロンドンの地で、アコスタの公演の日にサンドイッチされているだけに、一度のスパルタカスでこれまでにないほど全身を捧げたのかもしれない。
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