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日の出を待ち、日の出と共に駆けてみた

2017-01-04 14:59:05 | 神戸
明けましておめでとうございます。

今年も良い一年に。

していきましょう。


年末に昨年のまとめ的なものを書けたら書こうかなと思っていたが、バタバタとしていて書けなかった。

色々原因はあったが、一番やばかったのは年賀状。

クロスワードパズルを自分で作ってその答えが自分の作った年賀状サイトのURLになっているというアイデアまではよかったが、それは詰まるところ自分でサイトを作らないといけないということでもあり…。

年賀状そのものは既に送ってしまっているので、元旦の朝に友人達がパズルを解き終えるまでにサイトを完成させないといけないというプレッシャーと戦うハメになった。

ネタバレになるので、当然「手伝って」とも言えないし、弱音も吐けない。

結局年明けの朝5時まで作業していたのは、我ながらアホである。


まあでも、何だかんだで一応仕上がって、気持ちの良い年始を迎えることができ、ほっとしている。



去年は仕事や居住地などがガラっと変わり、海外も放浪し、色々と動きのあった一年だったが、今年もかなり色々と動きがありそうで楽しみである。

何がどうなるのかは当の自分もよくわかっていないという無責任感であるが、それだけまわりの人間に依存する部分も多いということでもあろう。

肩肘張りすぎず、焦らずひがまず、いつも通り飄々と日々を過ごせたらと思う。


ちなみに正月は地元の友人達と集まり、ゲームセンターに行き、ダーツに行き、飲み会をして、ゲームセンターに行き、温泉に行き、最後に自転車を借りて空港まで日の出を見に行くという高校生のような一日を過ごした。

余計な気遣いもなく、特に積もる話もなく、でも一緒に馬鹿なことをして屈託なく笑える仲間がいることは、やっぱりいいことですね。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。



Q.E.D.

東京にいったい何があるというんですか?

2016-11-21 08:08:30 | Tokyo

東京で暮らし始めて1ヶ月が経つ。

 

新しい会社、おそろしく高い家、復活した人間関係。

目が回るぐらい必死というわけでもなかったのだろうけれど、時が経つのは結構早い。

それこそ、東南アジアの3倍速くらいの感覚だ。

 

正月まであっという間かも、と思い年賀状の心配をし始めていたが、先日ちょっとした用事で帰省することになり、夜行バスで東京を出発したその日の夜に新幹線で帰るという暴挙にでた。

暴挙の割には全てが順調で、感覚が研ぎ澄まされていて、感じることも多かった。

そして、久々に「書きたく」なった。

だから、とりあえず今書きたいことだけ書く。

(フィリピンとか北海道の話は一体いつ書けるのか。。)

 

東京とは何だろう。

 

未だに僕にはそのはっきりとした解が見つからない。

面倒なので、その問いと、わざと向き合わないようにしているのかもしれない。

そもそも僕は東京が好きではない。

 

訳の分からない海外の国に行きたいと思っても、東京には行きたいと思わないし、フィリピンの満員電車は許せても、東京の満員電車は許せない。オチのない話を聞くぐらいだったら、イスラミックなお経を聞いている方が100倍マシだ。

食わず嫌いや偏見ではなくて、事あるごとに心の底からそう感じてきたという自負がある。

多少は「みんなと同じ方向を向きたくない」という斜に構えたい願望があるのかもしれないが、それを差し引いても余りある負の印象を持っていた。

東京に行きたくて行けないのは問題だけど、東京に行きたくなくて行かない場合は何も問題はない。

だから特に困らなかった。

 

けれども、そういう僕は世間ではマイノリティで、大抵みんな東京に行きたがる。

だから「とりあえず東京っしょ」という人達には、純粋に聞いてみたいと思っていた。

東京にいったい何があるというんですか?

と。

 

けれども今、僕は東京にいる。

東京嫌いの価値観とかスタンスはそんなに変わっていない状態で、しれっと何事もなかったかのように東京で暮らしている。

なんなら、生活自体を楽しんでいる節もある。

不思議だ。

中学とか高校で昨日まで険悪だった奴らが翌日、急に仲良くし始めて「あれ、お前ら喧嘩してたんじゃなかったっけ?」と思うあの感じだ。

  

結論から言おう。

やっぱり東京には何もない。

 

けれども何もない良さがあるのだと今は思う。

 

神戸に帰って少し物足りなく感じた。

居心地が悪いとまでは言わないけれど、何かしらの違和感があった。

言語化するのは少し難しい感覚だけど、あえて言うなら「自分の居場所をここだと決め切った感」であろうか。

それを街全体が醸し出していた。

もちろんそれは悪いことではない。むしろ、素晴らしいことだ。

やっぱり最後は神戸に住みたいなと思ったし、これ以上求めるものは何もない街だと思う。

でも今の自分には、多分まだ早いみたいだ。

 

もう一度言おう。

東京には何もない。

何もないけれど、その何かを追い求めている時の美しさみたいなものは、もしかすればあるんじゃなかろうか。

それを感じられるようになった時が東京を離れる時だ。

 

 


認めよう。僕は商社に興味があって、起業がしたい

2016-10-12 15:54:53 | 京都

北海道に行った後、サイパンに行って、ミャンマーに行って、今は京都にいる。

北海道の話はすごく濃密で、何度か書こうとしたのだけれど、なかなかうまくまとまらない。ひとまずペンディングリスト行きだ。

サイパンはサイパンと割り切って、何も考えない時間を過ごせたので、満足。

ミャンマーの話はワケが分からなすぎて、背景を説明するのに骨が折れるのに加え、「何が面白いんだ?」となる可能性があるので、今は詳細には書かない。

 

そして舞台は京都に移る。

 

僕は今、大学時代住み慣れた、ボロボロの一軒家に滞在しているわけだが、とても心地がいい。

やたらと広い感じとか、ちょっと寒い感じとか、物音一つしない感じとか、銭湯までトボトボ出かける感じとか。

何より「今京都にいるんだ」という実感がいい。

色んな人に再会し、色んな下らない話を披露し、色んな悩みに共感し、少しだけビジネスの話をし、京都の各地を駆け回る。

うむ、人間らしくて良い。

 

そして気づいた。

 

こんな感じの生活がしたい。

 

 

この家を拠点に、時間の制約なく、気の赴くままに出かける。

少しだけ真面目な話をして、大半は下らない話にあてる。

見たい景色を見る。

食べたいものを食べる。

そんな暮らしがいい。

 

そして理解した。

 

それを世間では起業というのだ。

 

 

大学から感じていたことだが、僕はすぐ話をビジネスモデルに結びつけたりとか、やたら世界を変えたいという熱を持っている人達があまり好きではない。

おそらく根本的に合わないので、できるだけ距離を置くようにしている。

決して悪い人達ではないし、むしろ僕なんかより人間できていると思うけど、確実にベクトルが違うと感じるのだ。

ちょっと難しく言うと、彼らの考え方はトップダウン的で、まず莫大な理想を掲げてそこに酔いしれ、それをモチベーションとして頑張る。

一方で、僕はどちらかと言うとボトムアップ寄りの考え方だ。

本質的なことに集中し、正しい努力を積み重ねれば、それは商売としても大きな価値になるし、世の中へのインパクトにもつながる。

何だかんだベースとなる能力は必要だし、それを得るための地道な積み重ねこそが美徳だと思っている。モチベーションは純粋な反骨精神だ。

古臭いと言えば、古臭い。

 

どちらが正しくて、どちらが間違っているという議論をするつもりはない。

結果がすべてと言えばそれまでだ。

けれども、とにかくそういった考え方の違いがあり、その違いが僕のアイデンティティでもあった。

僕が人よりブレにくい要因の一つであったし、反骨精神の源泉にもなっていた。

そして、その自分と対極にいると思っていた彼らが一様に口にする単語。

それが「起業」ないしは「起業したい」だったのだ。

 

だから今まで僕は必要以上にその言葉を使うことを避けてきたし、事あるごとに「別に起業がしたいわけじゃないんだけど」と予防線を張り続けてきた。

そうすることで自分のアイデンティティを守ってきた。

 

けれども、認めよう。

今このタイミングが適切ではないかもしれないけれど、認めよう。

僕は、彼らと同じく、起業をしたいと思っている。

根本的な部分で色々違いはあるかもしれないけれど、起業したいという思いに関しては何も変わらない。

世の中をもし2つに分けるとしたら、確実に僕はそっち側だ。

そのことに気がついた。

 

 

そして、もう一つ最近気づいたことがある。

僕は商社のビジネスが好きだ。

 

黒木亮の「エネルギー」という本を読んで、実は商社って面白いんじゃないか、と思い始めたのがきっかけだけど、それがミャンマーに行って加速した。

未知なる環境に行き、様々な利害関係者を結びつけ、お互いの妥協できる範囲を探る。

常識的に考えて無理だ、頭がおかしいと思われることでも、案外やってみると上手くいき、そのスリルと達成感が半端ではない。

 

どうしても日本人の”商社”に対する目とか、とりあえず商社に行きたい人達とか、そのカルチャーとかが好きになれなくて、就職活動中もかけらも関心を示さなかったけど、今になって楽しそうだと思う。

そして向いていると思う。

相変わらず商社を取り巻く環境については好きになれないし、組織の為に頑張るという価値観は持てないと思うけど、色んなものをとっぱらってフラットな目で見ると、商社の仕事は本質的で面白い。

それはどうやら認めないといけないようだ。

商社なんてミーハーの塊でやりたいことのない人達の集まりだと思っていたけれど、中には本当に色々考えて商社という選択をした人もいるのかもしれない。

 

 

最近起こったこの二つの発見が将来結びつくのかどうかは、分からない。

 

けれども自分とは全く違う人達と案外近い位置に自分はいる、ということに気づいたのは大きな成長だ。

社会に出たからか、世界を旅しまくったからかは分からないが、いい意味で少し丸くなったように思う。

物事を先入観なしで見れるようになりつつあると思う。

 

でもやっぱり、僕のアイデンティティは少なからずまだ京都に残っていて、バランスのとれたカッコイイ大人になるのは、まだ無理なようだ。

「俺はただ文句を言いたいだけだ」と言い放ち、清々しいまでにあらゆる不満を口にする友人や、趣味のレベルを超えたITスキルを備えた友人や、鉄ヲタすぎて家に運転台を作ってしまったりする友人がいる。

 

どんな無茶を言っても「オッケー」の一言が返ってくる先輩がいて、どんな無茶を言っても嫌々引き受けてくれる後輩がいる。

 

バカみたいにニッチで深い次元で悩みを共有し、一緒にグダグダと時間を過ごせる優秀な同級生たちがいる。

 

僕は何かに追われず、自分の時間を生きている彼らが最高に好きだ。

世間の価値観など物ともせず、自分に嘘をつかず生きている彼らが最高に好きだ。

モラトリアムだから、と言ってしまえばそれまでだが、できればずっとこのままでいたい。

 

もし、それを可能にするために、僕が社長になる必要があるのなら、喜んで引き受けよう。

もし、それを実現するために、リスクを取る必要があるのなら、それをチャンスと捉えよう。

 

それぐらいの覚悟はできた。

 

そのために、ひとまず東京で頑張る。

 

Viva 京都

 

Q.E.D.


again and again

2016-09-25 06:32:52 | 北海道

何度目だろう。

また北海道へやってきた。

年末の特番さながら、毎年恒例のようになりつつある。

今回は東京から女満別にやってきたが、空港から一歩外に出ると、そこは異国であった。

寒くてタクシーの勧誘のない東南アジアを連想してしまったが、それはもはや東南アジアではなく、単に道が分からなかったのが不安だっただけなのかもしれない。

18:00に着いて真っ暗。

道は真っ直ぐ。

大地は真っ白。

ではなく、まだ雪は降っていない。

 

飯はやたらと美味い。

宿はログハウス。

風呂は檜風呂。

コンビニはSeicomart。

 

あ~いよいよ北海道だ、と思ったのは朝日を浴びた瞬間。

日の出が早すぎて、笑ってしまった。

日の出と共に人々が活動を始める感じが、またすごく自然だ。

一歩外に出て、その大地の広さを確認して飯を食う。

幸せだ。

 

フィリピンから日本に帰ってきた時は違和感しか感じなかったが、久しぶりに北海道を訪れても、戻ってきた感しか感じない。

帰属意識とは、慣れではなく、根源的欲求の問題ではないだろうか。

 

とにかく、小難しいことを考えなくても、ここにいるだけでただただ幸せだ。

これからの旅が楽しみでならない。

 

 

 

Q.E.D.


I wish they all could be

2016-09-22 23:35:46 | 詩とか

書かなければならないことが溜まっている。

けれども、一向に書く気が起きない。

 

特に書きたいこともない。

これといって変わった出来事もない。

 

でも、とりあえず書いておこうと思う。

 

 --- 

 

仕事を辞めてしばらく経つが、毎日楽しく過ごしている。

不安は特にない。

 

悩みがないのが悩みだと、人には言うことにしている。

 

けれども、自由になったという実感もない。

ちょうど大学生の長すぎる夏休みが自由でないのと同様に、僕の獲得したモラトリアムも自由ではない。

キリンやライオンは、檻から飛び出しても自由になれない。

時間はいつも、刻一刻と流れている。

割れた花瓶は、元には戻らない。

そういうことだ。

 

ただ、風を感じることができるようにはなった。

変化といえば、それぐらいだ。

 

時間があればダラダラやるし、時間がなければテキパキやる。

時間がなさすぎる状況に陥るほど要領は悪くないし、何がやりたいか分からなくなって気を病むほど精神が脆弱でもない。

お金があれば家賃が上がるし、お金がなければ家賃は下がる。

仕事があろうがなかろうが旅には出るし、村上春樹の文庫本は大抵の古本屋で買うことができる。

ウイスキーはどのみち、チビチビしか飲めない。

 

何も変わらないのだ。

時間もお金もそれほど大事な要素ではない。

 

時間をお金で買うなんて言っている人は、多分何も分かっちゃいない幸せ者だ。

 

---

 

話を戻そう。

自由についてだ。

 

仕事を辞めても自由にはなれない。

時間があっても、お金があっても自由にはなれない。

 

けれども、時間を止めることはできる。

少なくとも、時間を止めても差し支えがでないぐらいには。

 

だから、僕は日の明るいうちから風呂に入り、本を読む。

体が熱くなり、額が汗ばんでくるまで本を読む。

風呂から上がり、体が冷えてくると、まずまずなコーヒーを作り、また本を読む。 

少しだけ、時の流れを止めるのだ。

 

だから、僕はまた旅に出る。

北へ行き、東へ行き、西と南の間に行く。

気が向けば、日記でも書く。

 

チャラチャラした文章が書けるうちに、たくさん書いておくのだ。

 

 

イーストコートの娘はイカしてる。

ファッションだってご機嫌さ。

南部(サウス)の女の子の歩き方、しゃべり方、

うん、ノックダウンだね。

中西部(ミドルウエスト)のやさしい田舎娘、

ハートにぐっときちゃうのさ。

北部のかわいい女の子、

君をうっとり暖めてくれる。

 

素敵な女の子がみんな、

カリフォルニア・ガールならね……。

 

California Girls (村上春樹『風の歌を聴け』より)

 

Q.E.D.