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幻夏

2015-09-01 21:29:21 | 詩とか

夏だなあ、暑いなあ。

そんな風に思わない夏が来るとは思ってもみなかった。

「死んでしまう!」と思って実家から慌てて持ってきた扇風機も、結局使わず終い。

日の入りも知らぬ間に峠を超え、太陽に合わせて寝ると少し早すぎるようになってしまった。

日の出に合わせて起床すると、そのうち遅刻してしまうかもしれない。

夏の暑さが好きというわけではないけれど、だらだらと汗をかき、ベッドの上で悶え苦しむ、というのが恒例の夏。

それがないというのは何というか、結構寂しい。というよりも、もはや不自然だ。

 

唯一夏を感じるチャンスだった高知は、2日とも雨。

1ヶ月以上続く調査の終盤にお邪魔した際、「今年はまだ一日しか雨が降ってないんだけど」「そういえば去年もずっと雨だったよね」と方方から言われ、雨男のレッテルを付与された。

宿のお上さんにも「また雨だね」と笑われた。

けれど、あまりに寒かったため、滅多にいかない温泉にみんなで「行こう!」となったのはきっと雨のおかげだ。

前後の二日に自転車で自走したのだが、これもいい感じに曇り。

朝5時ぐらいに走り始めたので、昼過ぎには到着して、暑さを感じることもほとんどなかった。

といっても、いきなり200km走ったので、体はボロボロになったけど。

帰りのフェリーが寒くて、まさかお風呂があるなんて思わなくて、それを知ったときには文字通り飛び込んでしまった。

 

夏の終わりに行った鳥取は、これまた曇りのち雨。

到着した夜のあまりの涼しさに、後輩と「マジ適温!」といって騒ぎ、翌日同期と海に潜って、その寒さと大量に浮いているクラゲの恐怖に震えていた。

そういえば、この時も温泉に行った。

露天風呂の外(風呂と池がつながっていた)で跳ねている魚を見て子供のように騒いだ後、魚たちがあまりに一生懸命飛び跳ねているので「お前らも大変だなぁ」と少ししんみりした。

 

 

ここまで読むと、もはや温泉を楽しむために海に行って無理をしているんじゃないかという疑惑が生じてくるが、決してそんなことはない。

僕は本当は夏と、海と向き合いたいのだ。

 

夏を感じないまま夏が終わってしまう、というのは僕とって地味に気になることのようで、鳥取からの帰りのバスで、あれこれ考え、焦っていた。

結果、今年訪れる予定の南半球に思いを馳せた。

「オーストラリアだったら、これから夏なんじゃないか!?」

一縷の望みに希望を託し、目的地の月の平均気温を調べてみたが、これまた「マジ適温」。

事実上、僕の夏は終わってしまった。

 

「もう31日!?」と思う暇もないほどバタバタしていた八月最後の一日は、夕日を見ることすらできなかった。

 

ああ、夏よ。

夏のくせに、挨拶もせずに去っていくなんて、冷たいじゃないか。

 

ああ、夏よ。

夏のない一年なんて、牛乳のないコーンフレークよりも寂しいじゃないか。

 

ああ、夏よ。

今年は、ちゃんと相手できなくてごめんな。

 

ああ、夏よ。

ちゃんと一年後、会いに来てくれると約束してくれるか?

 

 

僕は、楽しく、面白く生きたい。