〇東海道歩行時に見れたお城-①:山中城址
2009年7月に、18日間かけて、東海道(お江戸日本橋~京都三条大橋)を歩行しました。その際、道筋にある、山中城址、掛川城、岡崎城が見れました。先ず、山中城址の模様(7/09)を掲載します。(6日目の、箱根宿から原宿へ向かう途中で出会えました。)
◇山中城
山中城は、戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530~1560年頃)、小田原に本城をおいた後北条氏によって番城(城主を置かない城)として築城されました。山田川や来光川の源流に挟まれ、急峻な斜面に囲まれた自然の要害の地につくられた山城は、標高580メートル、城の範囲は東西500メートル、南北1,000メートルに及びます。
山中城のある伊豆地方北部は、武田・今川領と国境を接しており、本城である小田原城にとって西方防御の要の地でありました。天正年間、全国制覇をめざす豊臣秀吉が小田原攻めに着手すると、山中城は韮山城、足柄城とともに最前線の軍事拠点として重要視され、堀や出丸などの大改修が行われました。天正18年(1590年)3月29日、6万7千の豊臣軍の総攻撃をうけ、4千の北条勢は必死に防戦しましたが、鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したそうです。
◇山中城址の模様(2009/07/09)
当日は、凄い濃霧で先に進めず、残念ながら、土塁の一部しか見れませんでした。
05/02山中城址
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