〇越谷宿から日本橋
2012/5/14から5/25にかけて、奥州日光街道を福島:白河宿から日本橋へ向け、歩行しました。最終日(5/25)、越谷宿から日本橋まで歩行しました。千住宿から東京在住の同窓生が道案内をしてくれました。その際の模様です。
越谷駅前出発 8:00 ⇒草加駅着 10:20
ホテルを8時に出発、直ぐに4号線に乗り草加宿を目指します。10分後に越谷市指定史跡の供養塔がある「照蓮院」に着き、境内を見物。
その後30分程 歩行し、「蒲生本町信号」から左折し旧道に乗ると、直ぐ左に越谷市の有形文化財となっている「清蔵院」がありました。ここの山門は江渡時代初期の構造物として、又、日光東照宮にまつわる伝説を残す資料として貴重な山門だそうです。
●清蔵院の山門
山門の竜は左甚五郎の作と言われ、夜な夜な山門を逃げ出して畑を荒らしたことから、逃げ出さないよう金網で囲ったという。この製作者は東照宮にかかわった工匠の一人であると思われています。
そこから前進しますと、左側に「馬頭観音」があり、更には「蒲生の一里塚」に出会いました。この一里塚は埼玉県内で唯一現存するものであるそうです。
その前にある綾瀬川を「蒲生大橋」で渡り、延長1.5kmにわたる「松並木」を綾瀬川に沿って歩きます。いつの間にか「松並木公園」との表示が出て、「札場河岸公園」では芭蕉像が見られました。綾瀬川と松並木の一体化した景観は素晴らしいものでした。
その後、「でんうかわ」を渡ると、「神明町信号」です。この信号を横断し、草加宿へ入りました。昔をしのばせるような街並みでした。これと共に「神明神社 」「草加神明庵」「東福寺」「清水本陣跡」等の遺構も保存されており、先の「松並木公園」等の整備も充分であり、草加市のなみなみならぬ歴史物保存への意欲が伺えました。その後、一時休憩のため「草加駅」に立ち寄りました。時計は10時20分を指していました。
草加駅前出発 11:00 ⇒北千住駅着 13:50
一時、休憩後、草加駅前を11時に出発、北千住を目指します。14時には北千住で東京組の同窓生が合流し日本橋まで歩く約束になっています。雨が降 って来ました。雨天装備の対応を行い、歩き始めます。4号線を10分程歩いた所に「浅間神社」がありました。それから10分後に県境の「毛長川」に架かる「水神橋」を渡ります。どうやら足立区に入ったようです。早めの昼食をとる事にし、全員一致で、江戸前ならぬ「回転すし」を食べる事にしました。
昼食休憩後、雨の中を再び歩き始めました。「保木町4丁目信号」を通過中、電話あり、北千住で待っている同窓生からでした。何とか14時までに合流出 来る場所に来ているようです。その後、「千住新橋」を渡り、千住宿へ入りました。「横山家住宅」「宿場町通り」等を見物し、同窓生の待つ「金蔵寺」には13 時50分ギリギリに到着しました。雨の中、案内役を引き受け、笑顔で迎えてくれた、E君、S様には感謝いたしました。
千住新橋を渡ると、千住宿に到着しました。いよいよ、東京見物の始まりとなりました。
北千住発 14:10 ⇒日本橋着 17:00
さて、小休止の後、14時10分に再スタート、日本橋を目指します。これまでの街道歩きの経験から東海道:品川、中山道:巣鴨、甲州街道:新宿と江戸に入るアクセスルートについては、解っていましたので今回の浅草方面からのアクセスは初めてで、凄く関心がありました。
昔の宿場町雰囲気が残る「ヤッチャバ通り」「千住大橋」「すさのお神社」「千住回向院」の前を通り、浅草七丁目の「泪橋信号」に15時に着きました。
それから「待乳山聖」の見物をし、「墨田公園」で休憩をとりました。3日前に(5/22)オープンしたばかりの「東京スカイツリー」が眼前に聳えたつ姿を見る事が出来ラッキーでした。
スカイツリーの付帯効果と思われますが、多人数が繰り出し、大盛況の「雷門」「浅草寺」「駒形堂」を久しぶりに見物し、「浅草橋」を渡り日本橋に17時に到着しました。これで家康が整備した五街道を踏破したことになりました。
19時より、東京在住の同窓生が銀座で報告会も兼ねた祝宴を催してくれました。大いに語り、大いに飲ませていただきました。ありがとう!!
10/01奥州日光街道紀行-12(越谷宿~江戸)
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