1.黒崎宿から銀杏屋敷(茶屋)
出発点の「春日神社(田町)」ヘと向かう。この辺りは、昔「人馬継所」があったところと記されており、問屋街であったのでは?と思われる。
藤田及び熊手銀天街を真っ直ぐに通り抜け、しばらくすると「乱橋」にいたる。
この橋を渡り左折する曲里の「長崎街道入口」が見えてきた。 入り口の正面に立つと、松林を背景にした石畳があり、いよいよはじまるといった思いで胸が高まる。又、約50年間親しんできた黒崎の町にこういう場所があったとはこれまで気づかなかった自分が恥ずかしい。石畳を上り詰めると、真っ直ぐな松並木が続いている。「曲里の松並木」この路を松陰、龍馬達が歩いたと思うと自分も彼らになったつもりになり、足が軽くなり自然に足早となる。進んでしばらくすると、「古代道表示の道標」にぶつかる。
その後、約 20分で国道に突き当たる。これを横切り、しばらくすると幸神の「一里塚遺跡」に出会う。この道は200号線と並行して走り、現在は裏の路地裏風情となっているが旧道の面影も残っていた。
春日神社を出て約1時間で引野に到着。昼食兼休憩をとる。旧道と200号線の合流点で、小嶺側より歩行して来る旅人に出会う。リュックを担ぎ、手には自分と同じの本を持っているではないか?長崎を出て今日で6泊目であるという。終点、小倉:常盤橋までは約20kmですよと行って別れる。
そうこうしている内に、小嶺台に到着。又、旧道に入る。約10分程で「銀杏屋敷(茶屋)」に至り、休憩をとる。この銀杏屋敷は約160年前に焼失し、再度建造されたとの説明を受けた。焼失時、銀杏も焼かれ株だけが残ったとの事であるが、現在の隆盛ぶりを見て、生物が持つ不思議な生命力を改めて感じさせられた。
2.銀杏屋敷(立場茶屋)から木屋瀬宿
いよいよ、昔、難所と言われた「石坂」へ向かう。現在は石の階段が整備されているため、とても昔 難所であったとは思われない。石坂の階段を降り木屋瀬へ向かう。馬場山で又もや、200号線と合流するも、再び旧道に入る。しばらく歩行していると、茶屋の原で「一里塚」に出会い、木屋瀬は間近かにあると思い、足が軽くなる。
約20分程進むと、木屋瀬一丁目の標識が目に入った。途端「やった!」と声をあげた。それから、遠方にひなびた古い町並みが視野に入ってきた。
いかにも古そうな商店「村岡店」の「兜展」が目に付き中に入ってみる。素晴らしい兜がズラリと展示されており、由緒ある古い町であることを再認識した。
村岡店を出て、約50メートルの本陣跡地に「郷土資料館&木屋瀬座」が新たに整備されており、いかにも由緒ある宿場町であった事を示している。見学は次回に回し、木屋瀬座の茶店で休憩をとる。
その後、古い作りの「旧高崎家住宅」を見学する。いかにも古く、広々とした邸宅であり、昔の権力者の財力を見た感じであった。なお、木屋瀬が生んだ放送作家である「伊馬春部」の生家との説明も加えられていた。
ともかく、第一日目の目標を達成、明日も頑張ろう。
10/02長崎街道紀行-1日目(黒崎宿~木屋瀬宿)
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