2010年5/7から5/28の22日間をかけて、「日本橋」を起点に「草津」まで、中山道を歩きました。
6日間をかけ「(中山道)美濃道を歩きました。 1日目:馬籠宿⇒落合宿⇒大井宿 、2日目:大井宿⇒細久手宿、3日目:細久手宿⇒太田宿、4日目:太田宿⇒加納宿、5日目:加納宿⇒赤坂宿、6日目赤坂宿⇒関ケ原⇒醒ヶ井宿、その模様を6分割で掲載します。その6日目:赤坂宿⇒醒ヶ井宿の模様です。その1として「関ヶ原」の模様を掲載いたします。
赤坂宿⇒醒ヶ井宿の間にある「関ヶ原」模様を掲載します。
関ヶ原の模様
6日目の行程 赤坂宿ー垂井宿ー関ヶ原宿ー今須宿ー柏原宿ー醒井宿
関ヶ原考ー私見
今回の旅で最も関心があった場所である。西軍(三成)が何故敗退したのか?素人ながら
現場を見て、過去の書物で得た知識と符合させたかった。
笹尾山(三成本陣)から見た、地理的条件、陣構えから見れば、圧倒的に西軍が有利
と見えた。三成の笹尾山の正面の松尾山には、小早川秀秋が陣を敷き、両者の間には、
島、蒲生、島津、小西、宇喜多、大谷の諸将が陣取り、謂わば「鶴翼の陣」である。この陣形
の中に、東軍は攻め登るしかない。(陣取りは西軍が早く抑えた)殲滅される怖れがあった
と思われる。しかし松尾山が裏切った場合、この陣形は浮き立ち、西軍はひとたまりもない。
これが結果であった。裏切りが無ければ、世界史が変わっていたのではないか?と思われた。
08/18中山道紀行-22(赤坂宿~関ケ原)
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