第三日目:鴻巣宿ー熊谷宿(休養日) 付近を荒らしまわる熊を退治した事によると言う。「白井権八の延命堂」なるものを見て、 広大な荒川の土手を歩く。遠方に榛名・赤城山の姿が映る。 そろそろ、上州を感じるところまで来たようです。 |
○吹上宿(間の宿)
中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて7番目の宿場である鴻巣宿と8番目の熊谷宿との、中間地点に位置する街道沿いの集落(路村)であった吹上村に興った。鴻巣宿 - 熊谷宿間は約16.4kmと他の宿場に比して距離が開きすぎていたため、旅人の需要が自然に発生させたものであり、吹上村は非公式の休憩地・中継地として機能したらしい。
○白井権八延命地蔵堂
熊谷宿の手前、荊原の外れにある地蔵堂に安置される石地蔵で、「権八延命地蔵」「権八物言い地蔵」「権八地蔵」「物言い地蔵」などともいう。この辺りで辻斬りをしたという平井権八(鳥取藩士が、傍に立っていたこの地蔵に口封じをしたとの伝説がある。平井権八は歌舞伎の演目『鈴ヶ森の登場人物・白井権八にあたる。鳥取から江戸に向かう途中で路銀に困った権八は、通りすがりの上州の生糸商人を斬殺し、金300両を強奪した。その現場で事の一部始終を見ていたかのように佇む地蔵に権八が「今の事は他言してくれるな」と戯言を言ったところ、石造りの地蔵が「吾(わ)れは言はぬが 汝(なれ)言うな」と言い返したという。史実の平井権八は延宝7年(1679年)に悪運も尽き、豊島郡大井村の鈴ヶ森刑場にて磔刑(たっけい)に処されている。なお、地蔵の銘文には、火防のため元禄11年(1698年)建立とある。
08/08中山道紀行-3(鴻巣宿~熊谷宿)
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