熊谷ー本庄宿
熊谷を出て約1時間、「新島の一里塚」と出会う。昔も今も変わらない。同じように休憩
を取っていたようだ。
それから、深谷宿に入る。秀吉の小田原平定により、近江、越後から多数の商人が移住し
てきて商業都市として、発展した。
街角には「渋沢栄一」の出身地という、モニュメントが数多くあった。
○深谷宿
深谷宿は中山道で最大規模の宿場で、本陣1(飯島家) 、脇本陣4、旅籠80余。商人が多く、また飯盛女も多く、遊郭もあり、江戸を出立して2晩目の宿を求める人で大いに栄えたらしい。
○渋沢栄一
渋沢 栄一は、江戸時代末期から大正初期にかけての日本の武士、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。理化学研究所の創設者でもある。
○高島秋帆幽囚の地
砲術家で西洋砲術により幕府軍隊の近代化を促進。
長崎に帰ったところが,かねてから蘭学を嫌っていた幕府町奉行鳥居耀蔵によって天保13年謀反の罪を着せられ,投獄される。その後ペリーの来航など世情も大きく変化したこともあって,幽囚10年の嘉永6(1853)年に赦免となった。
08/08中山道紀行-4(熊谷宿~本庄宿)
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