
◎芦野温泉から、「夫婦石神社」
10分程の歩行で、早速、「夫婦石の一里塚」を見ることが出来ました。さらに10分程で「夫婦石神社」に着きました。(この神社の由来は、今から数百年前に一組の男女が敵に追われ、石の割目に身を隠したところ、白蛇2匹が巨大な石を動かし追手を追い返したそうです。その後、この石が夜になると互いに寄り添うという話しが伝えられて夫婦石と呼ばれるようになり、神社として祭られるようになったそうです。現在では諸願成就、縁結びの神社としてあがめられ、毎年御祭礼を行われているそうです)
○夫婦石の一里塚
○夫婦石神社
◎「夫婦石神社」から「鍋掛十文字交差点」
その後、72号線を耽々と歩き、黒川、余笹川の二つの川を渡り、約1時間で「寺子の一里塚公園」に着き、小休止をとりました。(この一里塚は江戸から数え42番目であるらしい) 富士見峠を越え、1時間程で越堀宿へ到着です。(仙台の伊達侯が参勤交代で江戸に向かう途中、那珂川の増水で渡れず、ここに小屋を設けて水の引くのを待った。その小屋を中心にしてやがて町が開け、宿駅になったとのことである) 那珂川にかかる「昭明橋」を渡り、10分程の所に「芭蕉句碑」がありました。直ぐ近くに、鍋掛十文字交差点 があり、そこに唯一のコンビニがあり昼食を兼ね休憩をとることにしました。
○黒川
○余笹川
○寺子の一里塚
○越堀宿
○昭明橋と那珂川
○芭蕉句碑
○鍋掛交差点
◎「鍋掛十文字交差点」から、「葛籠石」
30分程の休憩の後、歩行を開始しました。直ぐ右手に「鍋掛の一里塚」(江戸から41番目)がありました。その10分後に、「葛籠石」に出会いました。(樋沢神社の中にあり、八幡太郎義家が奥州平定時にお宮があるのを見て軍勢止めた。戦勝祈願にと馬で一気で丘を駆け上がった。あまりの勢いに境内にあった巨石の上に愛馬の前足が乗ってしまい蹄の跡がくっきりと刻みつけられたという)
○鍋掛の一里塚
○葛駕石
◎「葛籠石」から那須与一像」(太田原宿)
それから炎天下の72号線を耽々と歩いて行くと30分後に、大田原市に入りました。「明治天皇駐輩記念碑」「十九夜塔」を見て市街を目指します。右手に大きな「高野槇」が見えてきました。(大田原市天然記念物:推定樹齢400年、高さ17mとあります)
「一里塚」「平家の豪族:瀬尾氏居館」の前を通過し、「蛇尾川」を渡り、市街地に入りました。「金燈籠」(大田原宿有志38人により、防火や町内安全、旅人の無事を祈願し上町十字路に建てられた)の近くに、大田原氏の象徴:「那須与一像」がありました。芦野宿ホテル出発6時間半後の15時30分に無事到着しました。
○高野槇
○一里塚
○瀬尾家居館跡(平家の豪族)
○太田原宿に入る
○蛇尾川
○金燈籠
○那須与一像
09/22奥州街道紀行-3(芦野宿~大田原宿)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます