「わが身に腹のたつことがあると身の正常を保つことはできず、恐れおののくことがあると身の正しさを保つことは出来ず、楽しい好きごころがあると身の正しさを保つことができず、悲しい心配ごとがあると身の正しさを保つことはできない。つまり、心が動揺すると身は修まらないということである。
心がしっかりと正常に落ちついていないと、何かを見てもはっきりとは見えず、何かを聴いてもはっきりとは聞こえず、何かを食べてもその味がわからない。『わが身をよく修めるには、まず自分の心を正すことだ』というのは、そういうことである。」
このような崇高な教訓を垂れられると自分が聖人君主とは無縁の存在であることを思い知らされる。古人は上手いことを言うものだ。それにしても今日という日はこの文言に随分と慰めてもらった。
心がしっかりと正常に落ちついていないと、何かを見てもはっきりとは見えず、何かを聴いてもはっきりとは聞こえず、何かを食べてもその味がわからない。『わが身をよく修めるには、まず自分の心を正すことだ』というのは、そういうことである。」
このような崇高な教訓を垂れられると自分が聖人君主とは無縁の存在であることを思い知らされる。古人は上手いことを言うものだ。それにしても今日という日はこの文言に随分と慰めてもらった。