「伝習録 中巻」
読み下し文
「知の真切篤実の処はすなわちこれ行にして、行の明覚精察の処はすなわちこれ知。知行の工夫は本離るべからず。真知はすなわち行たる所以にして、行わずんばこれを知と謂うに足らず。知行の体は本来かくのごとし。」
訳
知が心の本体において真切篤実に発現する。そのところがとりもなおさず知であり、行いが、澄明な自覚と精察において機能する、そのところがとりもなおさず知であり、知と行の功夫は、もともと不可分のものです。真の知とは行いとなってこそのものであり、行わなければ知というに値しない。知行の本来的なあり方とはもともとこのようなものである。
注
真切・・・気持ちや表現に真実さがあること。まじめであること。またそのさま。(小学館 日本国語大辞典)
篤実・・・人情があつく、まじめなこと。正直で親切なこと。(角川 新国語辞典)
澄明・・・チョウメイと読む。
功夫・・・=工夫
読み下し文
「心は一のみ。その全体惻怛を以て言えば、これを仁と謂い、その宜しきを得るを以て言えば、これを義と謂い、その条理を以て言えば、これを理と言う。心を外にし以て仁を求むべからず。心を外にし以て義を求むべからず。心を外にして以て理を求むべけんや。理を吾が心に求むるは、これ聖門の知行合一の教えなり。」
訳
心は一つのものです。その全きあり方において人の悲哀を惻怛とわが身に哀憐する。その側面からこれを仁といい、それが宜しきにかなっている側面からはこれを義といい、それが条理にかなっている側面からこれを理という。
注
惻怛・・・悲しんで心をいためること。ソクダツと読む。(小学館 日本国語大辞典)
以上、中央公論社「世界の名著 朱子 王陽明」溝口雄三訳 (注は、はやと)
な、何なのだ、この訳は一体。
読み下し文
「知の真切篤実の処はすなわちこれ行にして、行の明覚精察の処はすなわちこれ知。知行の工夫は本離るべからず。真知はすなわち行たる所以にして、行わずんばこれを知と謂うに足らず。知行の体は本来かくのごとし。」
訳
知が心の本体において真切篤実に発現する。そのところがとりもなおさず知であり、行いが、澄明な自覚と精察において機能する、そのところがとりもなおさず知であり、知と行の功夫は、もともと不可分のものです。真の知とは行いとなってこそのものであり、行わなければ知というに値しない。知行の本来的なあり方とはもともとこのようなものである。
注
真切・・・気持ちや表現に真実さがあること。まじめであること。またそのさま。(小学館 日本国語大辞典)
篤実・・・人情があつく、まじめなこと。正直で親切なこと。(角川 新国語辞典)
澄明・・・チョウメイと読む。
功夫・・・=工夫
読み下し文
「心は一のみ。その全体惻怛を以て言えば、これを仁と謂い、その宜しきを得るを以て言えば、これを義と謂い、その条理を以て言えば、これを理と言う。心を外にし以て仁を求むべからず。心を外にし以て義を求むべからず。心を外にして以て理を求むべけんや。理を吾が心に求むるは、これ聖門の知行合一の教えなり。」
訳
心は一つのものです。その全きあり方において人の悲哀を惻怛とわが身に哀憐する。その側面からこれを仁といい、それが宜しきにかなっている側面からはこれを義といい、それが条理にかなっている側面からこれを理という。
注
惻怛・・・悲しんで心をいためること。ソクダツと読む。(小学館 日本国語大辞典)
以上、中央公論社「世界の名著 朱子 王陽明」溝口雄三訳 (注は、はやと)
な、何なのだ、この訳は一体。