三浦つとむ著「認識と言語の理論 第二部」(勁草書房)を購入した。第一部を買ったのが東京にいる頃のことだから云十年ぶりで第二部を手にしたことになる。表題は随分厳めしい。しかし、内容は平明で解りやすかったと記憶している。解りやすかったといってもどこまで理解が及んでいたのだろうか。それを見極めるために第一部を読み返して第2部まで読み終えたら第3部を購入する予定にしている。
最近読んだ「頭はよくならない」という新書の中で著者小浜逸郎は、柄谷行人が「純粋他者」という抽象概念をカントの「物自体」の概念と勝手に結びつけて論証抜きの断定をしていると酷評していた。哲学辞典を手に論証を追ってみたら小浜に分がある。誤った理解は読む者が読めば解るものだと感心した。愛読する林達夫、加藤周一、丸山真男の場合、巧みな文章・表現につられてかれらの論理や主張を鵜呑みにしてきた。多くを読んだわけではない柄谷行人、然りだ。ご用心、と自らに言い聞かせる。
最近読んだ「頭はよくならない」という新書の中で著者小浜逸郎は、柄谷行人が「純粋他者」という抽象概念をカントの「物自体」の概念と勝手に結びつけて論証抜きの断定をしていると酷評していた。哲学辞典を手に論証を追ってみたら小浜に分がある。誤った理解は読む者が読めば解るものだと感心した。愛読する林達夫、加藤周一、丸山真男の場合、巧みな文章・表現につられてかれらの論理や主張を鵜呑みにしてきた。多くを読んだわけではない柄谷行人、然りだ。ご用心、と自らに言い聞かせる。