ショーペンハウエル
難解である。
『われわれの表象には、直感と抽象の区別がある。抽象的な表象は概念である。概念を持つことができる能力が理性である。
いっぽう、直感的な表象の対象は世界の全体・経験の総体であり、時間と空間は先見的に直感の普遍的なものさしである。現在が過去と未来の境界線にすぎないように、空間と時間の両方にわたって存在するもの、つまり、原因や動機から生じるいっさいのものは主客の境界にあって相対的な存在である。そして、いっさいのものは互いに依存している。インドの聖賢の言葉に従うならば、「世界は有るともいえるし、無いともいえるのである。」』
改竄と言うよりもわたしの解釈。はっきり言って翻訳がひどすぎる、日本語になっていない、文章になっていない、5度読んでも意味を把握できない。翻訳者はもっと日本語表現の勉強をしなくてはならないと思いつつ、怖いもの見たさに翻訳者の名前を見てみると、なんとかの西尾幹二さんだった。歴史認識論争でも他の論者たちと議論がかみ合わないはずだ。テキストを変えるかどうか悩む・・・。
難解である。
『われわれの表象には、直感と抽象の区別がある。抽象的な表象は概念である。概念を持つことができる能力が理性である。
いっぽう、直感的な表象の対象は世界の全体・経験の総体であり、時間と空間は先見的に直感の普遍的なものさしである。現在が過去と未来の境界線にすぎないように、空間と時間の両方にわたって存在するもの、つまり、原因や動機から生じるいっさいのものは主客の境界にあって相対的な存在である。そして、いっさいのものは互いに依存している。インドの聖賢の言葉に従うならば、「世界は有るともいえるし、無いともいえるのである。」』
改竄と言うよりもわたしの解釈。はっきり言って翻訳がひどすぎる、日本語になっていない、文章になっていない、5度読んでも意味を把握できない。翻訳者はもっと日本語表現の勉強をしなくてはならないと思いつつ、怖いもの見たさに翻訳者の名前を見てみると、なんとかの西尾幹二さんだった。歴史認識論争でも他の論者たちと議論がかみ合わないはずだ。テキストを変えるかどうか悩む・・・。