観劇日:2009年6月15日月曜日午後7時開演 京都府立文化芸術会館
平日の月曜日。夜から京都府立文化芸術会館へ観劇。会館は平日であるがりっすいの余地なく、立ち見も出て満席。観客、年齢層も高い。
白石加代子「百物語」第二十六夜である。
知るひとぞ、知る。日本の演劇シーンをかえた女優で怪優である。
その女優のひとり語り芝居。
朗読であるが、からだのすべてから、声となっていくものであった。
すごいと感じさせないすごさ。
普通、舞台に立つと、立っているだけで、その存在の寂しげがひとりであるゆえに感じさせてしまうのであるが、まったく感じさせない。とてもにぎやかなのだ。
話しは小泉八雲「耳なし芳一」と芥川龍之介「杜子春」。
「耳なし芳一」は語りの中心となる平家物語の壇之浦の段を語り入っていく。
「杜子春」は主人公より脇の仙人がとても人間くさい。人間くさいことがやけ
に怪しさを感じさせる。これは仙人という妄想おっさんの詐欺話ではないか。
そう思わせるほど、奥行きを感じさせる。
ともに不思議で悲しさが伴う作品であるが、そういうテーマ性には重きなく、テンポ軽く、がんがんと進み、落としもさりげない。 テレビにあるドラマのベタはいっさいないし、かといって歌舞伎のようなケレンでもない。
でも、すいすいと語りが進み、ふとおわる。
いまも残っているし、考える。
いや、すごいひとはみるもんです。うわさはうそばかり。
平日の月曜日。夜から京都府立文化芸術会館へ観劇。会館は平日であるがりっすいの余地なく、立ち見も出て満席。観客、年齢層も高い。
白石加代子「百物語」第二十六夜である。
知るひとぞ、知る。日本の演劇シーンをかえた女優で怪優である。
その女優のひとり語り芝居。
朗読であるが、からだのすべてから、声となっていくものであった。
すごいと感じさせないすごさ。
普通、舞台に立つと、立っているだけで、その存在の寂しげがひとりであるゆえに感じさせてしまうのであるが、まったく感じさせない。とてもにぎやかなのだ。
話しは小泉八雲「耳なし芳一」と芥川龍之介「杜子春」。
「耳なし芳一」は語りの中心となる平家物語の壇之浦の段を語り入っていく。
「杜子春」は主人公より脇の仙人がとても人間くさい。人間くさいことがやけ
に怪しさを感じさせる。これは仙人という妄想おっさんの詐欺話ではないか。
そう思わせるほど、奥行きを感じさせる。
ともに不思議で悲しさが伴う作品であるが、そういうテーマ性には重きなく、テンポ軽く、がんがんと進み、落としもさりげない。 テレビにあるドラマのベタはいっさいないし、かといって歌舞伎のようなケレンでもない。
でも、すいすいと語りが進み、ふとおわる。
いまも残っているし、考える。
いや、すごいひとはみるもんです。うわさはうそばかり。
