むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

現代演劇迷想記「世界が裂け、日本がなくなったことをテントで知った」

2011年04月23日 23時12分34秒 | Weblog
唐組「ひやりん児」
作・演出:唐十郎
4月23日(土)PM7:00~8:05 精華小学校跡地内 紅テント

この芝居、すっかり、省略されている。それは唐の想像力がなくなったのではない。むしろ、齡70年のからだから挑む。

そうだ、それは老人たちの壊れた妄想、ボケたものと評しているものだ。

それがこの劇場という現場にあがると違う。謎を謎としていきる人生のファイターなのだ。

上演時間は10分休憩を入れて70分。唐はふるえ、目は中空をみて、目から透明な血である涙をためている。そして、かつての冒険者として、あがないたっている。

稲荷卓夫演じるおからがたった一丁のこらせたきぬさん(豆腐)から、はてしないロマンを描くのだか、、それはおもいかけめぐらせたためにぐちゃぐちゃになり、みずにたたようはめになり、まだ、あきらめないおからはそれらおきぬさんを集め、荒野へでるのだ。
実際の芝居はそこで終わったが、物語は終わらなかった。

それはなぜなのか。

こんな唐十郎をみたのははじめてだ。鳥山さんが休団になり、役者陣の幅 が狭くなったとはいえる。でも、それは役者でみせる力が弱くなったのではない。

ひやりん児はほんとうにひやりとさせた。なんという現実とのマッチか?震災前、原発災害前に書かれたこの芝居はわたしたちがすでに、現実といいながら自然や風景からずれおち。瓦礫の地獄へ落ちたことである。つまり、みづから仕掛けた幻想に絡めとられて、いくはずのない壊れになったのだ。そんなはずではない。どうなるんだ。どうしてくれるんだ。誰がのせいにはできないことへみづからの限界を力にして、唐は飛び込む。

つかこうへい、井上ひさしは癌で死んだ。唐はさらに死んでいくからだへ挑んでいく。生き残り?違います。死にさらしです。それがいきている。すごい。どっこい、いきているんですよ。どうしょうもなかろうが。

消費税反対。公務員給与カット賛成。そうなると、福祉や文化に皺寄せがくるかもしれません。だから、なんのなんの。死にさらして放射能以上にのこってやりましょう。

終わりない芝居でした。
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京都芸術迷盲記「テオレマ」

2011年04月21日 00時07分16秒 | Weblog
21世紀のパゾリーニのために
映画「テオレマ」&トークショー 川村毅+浅田彰

4月20日(水)PM6:00~8:30 京都造形大学 50名

川村毅は劇作家・演出家
浅田彰は哲学者ともに80年代に有名になり、今はともに造形大にいる。まあ、相変わらず個々の人文や演劇世界で注目されるひとたちだ。

パゾリーニはイタリアのこれまた世界的な芸術家。その彼が60年代に録った映画「テオレマ」(定理)の上映会。なぜ、パゾリーニか。それは若くして殺されたひとで、ようやく,死後40年たって、翻訳されたこと。日本的に注目されていること。川村毅が第三エロチカを解散し、「新宿八剣伝 第5卷」を書いてのつぎに、バゾリーニの戯曲「豚小屋」を上演すること。
それらになにか芸術としての面白さを感じたからだ。

芸術とは芸の方法であって、特別なことではない。個別的、先見的、暗示的、抽象的、哲学的であるし、日本においては非日常的で金持ちの道楽的なものにみられやすいものだ。

確かに無駄な世界であり、大学生がたくさんいるその姿は大いなる日常的むだな群れだ。でも、彼らがいてその街が安心して存在している。

映画はあるブルジョアジーの一家がそこに訪れた男に揺さぶられ、彼が突然いなくなり崩壊していく様を描いている。

暗示的な映画であった。

帰り、東大路通りにでるまでてくてく夜の左京を歩く。京大周辺学生住宅地。おしゃれな洋風居酒屋がさらりとある。学生たちのひとグループを追い越したのだか、別に酔ってるわけではないが、自分たちののりで夜の町に女の子たちが石川さゆりの「津軽海峡冬景色」「天城越え」を軽やかに歌っていた。別に歌っていても大丈夫な住宅地なのだ。「惚れ神」はでないよな。ここになんかボーダーラインがある。
楽しそう学生たちは鴨川ホルモーの世界だよな。

コアなアートからのんべんだらりだけれど、すっとしている安心住宅地は平和が息づいているのだ。
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大衆演劇散歩記「ゆるやかな平凡」

2011年04月20日 17時55分32秒 | Weblog
浪花劇団 浪花新之介
4月20日(水)PM12:00~3:15 梅南座
20分前劇場入り。
平日中日。なかなか入っています。平日は日曜と違ってワントーン低めであるが、あちこちでおばちゃんトーク。新聞読んでるおじさんもいるので。自分もほっと。いききらしながら入ります。芝居ははじまるまでどきどきも大切。ひとがそこそこ、5割以上入るとみんなはなしだすのだなあと思う。
 5分前。7割ぐらいはいってきましたよ。浪花がいいのは老若男女に向いた芝居をしている感じだなあ。もちろん、俺様スター座長よというのが悪いわけでもない。集団プレイがみたいから浪花かな。

第1部 ミニショー
「大江戸浅草花舞台」「男達て」「怒濤」「おしどり道中」近江新之介、浪花みちや、蛇々丸の三人揃って、男の粋さ加減の踊りからスタート。


第2部 お芝居「大晦日、生きたり死んだり」90分
長屋の大工くまと妻とらは旦那の稼ぎも悪く、大晦日というのに、借金とりから二人して逃げ出して、川端でてんわんやの大けんか。気性粗くぶさいくかかあ、おとらに座長近江新之介、うだつのあがらぬ文字もいっぱしにかけない亭主くまに浪花みちや。
離婚されたネタでいじられたおされる大家に蛇々丸。
ドタバタ喜劇。よしもとみたいなギャグで笑わせるのではなく、相手をつっこみたおして、キャラが開き直っていくまで話し倒す。この話し倒すがぴったり。
大半のおばちゃんたちの笑いつぼを押しまくる。
物語は死ぬとまでいわれたくまがしゃーないから死のうか、と言うところに大家があらわれ、死ぬことはないやないか、死なんですむならと金をあっさり貸してくれたり。それやったらともう一度死んでみせよかと、調子のいいくまに、自分よりもはるかに、追い詰められて死のうとする男に、大家から借りた金貸して、だまされてたり。そのうち。おとらも入って、誰が死んだの、生きているのやらと、てんわんやの大騒ぎ。
みているおばちゃん、腹抱えて、ぎゃんぎゃん笑うから、役者が調子のって、脱線に脱線。少し長かった。
第3部 舞踊ショー
役者が芝居で演じまくったので、軽やかにかっこよく美しく見えた。ごてごてのこってりの味、さわやかになったためもあるのか、座長近江新之介の「惚れ神」がよかった。かっこいいねえ。あらためて歌詞が入ってくる。

今日も大入りでした。
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大衆演劇散歩記「散りゆく桜、にほん晴」

2011年04月17日 20時55分51秒 | Weblog

浪花劇団 浪花新之介
4月17日(日)PM12:00~3:15 梅南座
40分前劇場入り。
聞こえてくるお客さまの声。日曜日やから元気なのか。
「さあ、西成の奥へ来ましたよ。おばちゃんたちのピーチクパーチクようしゃべってはりまっせ。70代おばちゃん二人。近所の人のこと世話話。
「うちも一回いったんや、おもしろなんのなかったわ」「あのおばはん、前いったらええのに」「あんな前でようみいひをわ」「からだ、わるしたんかな」「きのう、きとったで」「朝日、いこうとしたら。時代劇やったらあかん。あんなんあかん」「ここはおもしろみがある」「オーエス満員やって」  次から次へおわりなし。ちなみに会話はみんな聞こえたのをかいてます。会話ではないですが、会話になってます。

日曜日にそこそこ入っている。大入りでますかな。

第1部 お芝居 特選通し狂言「忠臣蔵外伝 48人目の男 潮田又乃丞 妻子の別れ」85分
あいだに中休憩を入れて、気合い入った芝居。
 忠臣蔵は有名な話。江戸時代中期、元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、江戸城内の松の廊下にて赤穂藩藩主浅野長矩が、高家肝煎・吉良義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発する。松の廊下事件では、加害者とされた浅野は、即刻切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしとされた。その結果を理不尽きわまりなしとして、赤穂藩とりつぶしになった気配の武士(もののふ)たちが仇をうつ話。
 その理不尽な下々たちの仇討ち話をさらに、お話しにして、赤穂浪士四十七士に入れなかった男をたて、さらに涙を誘う。潮田又乃丞にも仇討ちの密書がくる。そのときかとばかりではあるが、妻には知らせず、まだ、幼いわが子、又乃介と最期であろう湯屋へいく。そこに見張りでもある山本に密書を見つけられ、あげくの果ては妻のおさよをおどし、自分の言いなりになれといわれしたがう。返ってきた妻から離縁を言われ、憮然ながらも怒りのなかで三下り半をつきつけた又乃丞。残されたわが子に捨て置くこともできず、我が子に武士の生きざまとして、切腹を問うと、父上のお役たつならばと、幼いながら、腹をきる。前半線。実際、小学生で役者でもあるタイガー一心が素直に一生懸命に腹切り、我が父に首跳ねられる。その切ない物語はたどたどしければ、たどたどしいほどこちらの涙を誘う。
 後半は離縁して山本についたおさよは実は密書を取り返すために、山本にきりつけていのちかくごで小刀できりつけ、返り討ちに会いながらも密書をとりかえす。そこに出くわす又乃丞。憎まれ口を叩き出ていった妻は実は内助の誉れだったのだ。許せぬ思いでいると仇討ちをかぎつけた武士たちが潰しにかかろうとくる。切って切って切りまくる又乃丞。だが、やがては力つきき、切られ、夫婦共々いのち、散るとき、吉良への仇討ちの勝ちどきが聞こえてくるのだった。涙、涙、涙と拍手のうちの終幕。
第2部 舞踊ショー
芝居に気合いが入ったゆえか、軽やかにのりよい舞踊ショー。にこやかさがついつい湧いてくる。ほのぼのわいわい、浪花でんがな。

大入りでした。
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大衆演劇散歩記「あ。たらしい

2011年04月15日 16時38分56秒 | Weblog

新生真芸座 哀川昇
4月15日(金)PM12:00~3:15 浪速クラブ
15分前から紙芝居で座員の紹介をはじめる。総勢13名紹介を聞くと、とても若いメンバー。さあ、どうなるか。客入れはEXILE。キンソンは湘南乃風「NO WAY」

第1部 ミニショー20分
歌謡ショーから。キリリとした舞踊で、のりよい踊りで客のせていく。哀川芝瞳もちびっこいえども男前に踊りたつ。

第2部 お芝居「鴉」
島流しにあった松五郎親分がお役目を務め、帰ってみる。自分は死んだことになって、一家潰さぬためと代貸し佐太郎が跡目をついで、嫁や我が子を支えあって暮らしているという話。渡世人悲劇の定番。男はもとのさやにはもどらず、みんなのため、また、旅に出るというもの。
誰かのためにがよく伝わってくる。
座長芝居がファンのこころをわしづかみ。

芝居みながら、この国のものたちは誰のためにしているのかと考える。誰のためにが、政治家、行政、マスコミからみえてこない。みんなが自分たちの立場でいっているだけにみえる。
この震災ですべてのひとにドラマがあったはずだ。それも、生き死にの別れがなんの予兆もないあっけなさで。わたしたちはその悲惨さをいまも感じ続けている。なのに、いままで通りではいけないだろう。

芝居をみながら、改めてひとは変わっていく。その変化で気持ちのみえかたが変わるのだ。


第3部 舞踊絵巻。
次から次へ、座長哀川昇の変化。女形は気の強そうな女に、洋風お人形に早かわり。きっちりした感じがこの劇団の特徴かな。
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大衆演劇散歩記「さくら雨でも」

2011年04月08日 23時25分20秒 | Weblog

浪花劇団 近江新之介
4月8日(金)PM12:00~3:15 梅南座
久々です。大衆演劇観劇。地震。自分がかかわる公演6本あったためと、こころひかれる劇団がなかったため、劇団九州男以来、2カ月みていない。雑誌はみても、少し遠くなっていました。
さて、浪花劇団です。1年ぶり。昨年、秋に実兄 蛇々丸がくわわり、パワーアップ。昨年最後はオーエスでした。
来ました来ました。でぃーぷ庶民のまち。西成。西成にくると、なんばはすましているなあ。観客席が色とりどり。老いもこころ若きものの集会場。

さて、劇団の皆様はお元気だろうか。

第1部 ミニショー
「繁盛ブキ」「惚れ神」「裏通り」「演歌桜」のりの良い音楽。軽くでものってます。浪花めだか、浪花真央、浪花みちや、近江新之介、蛇々丸、みんないい感じ。

第2部 お芝居「血涙 吉五郎左衛門の懺悔」
新派の流れなのか、とある大工の棟梁の娘お妙も年頃、惚れた殿方と夫婦になりたいので、父の許しを請うために話しをすると、自分は実の娘ではないことをしる。本当の父親である吉五郎左衛門は身持ちを崩し、実の娘をさらい女郎屋に売ろうとしてあらわれる。さらいにいこうするが、育ての親は身をもって守る。それに対して、自ら売られることを言うお妙。それは実の父のためだという。それを聞いた吉五郎左衛門は。
ラストとぐっと見せ場のある芝居であった。


第3部 舞踊ショー
軽くのりよく、カラットした流れぎこちらが軽くなれる。

いやー久々、ええかんじでした。
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