むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

現代演劇迷想記「遠い彼方とからだという脳」

2011年01月30日 21時53分15秒 | Weblog
2011年1月30日(日)

桃園会「ダイダラザウルス」
作・演出:深津篤史
観劇:2011年1月30日(日)PM3:00~4:30 伊丹アイホール

(感想)
 舞台は階段。大きな階段でいくつかの話が拡げられていく。それは車掌との会話であったり、動物のいない冬の遊園地の話だったり
、一間の私とあなたと猫の話だったり。おかんとのありそうでなさそうな話だったり、風景とともにおもい出されていく話はどこかさびしくてにぎやか。

こんなわたしをいきている。明滅する明りの重なり帯びる有機交流電灯のひと。

 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」がみえてくるのは、おもてのひとのドラマだけではなく、うらのドラマがあるためだ。おもてが生ならば、うらは死。作者は生きているところにしかいないのだから、死にあがないながら、死へのドラマに向かい合っていく。

 誰もいない教室で一生懸命に宇宙の話をする女。ケンタウロスといい、星を指さす女。生んだこともないのにおかんになっていく女。その女たちは生を放つ登場人物たちだ。

 男1という登場人物だけがわきにいる。おそらく、わたしであり、わたしだけがこの世界を背負い、抗いつづける。それは誰もがだどる現実だ。

 それに対して、話の風呂敷をひろげ続けていく。わたしがやりつづける世界へのアクセスだ。

 芝居はどこまでも閉ざしていかない。たとえ、わたしがいなくなっても。

今回、男1を演じる役者さんが急遽代役になったとのこと。どうしてもことばが空気になるところでのやり取りは難しく、わたしがみえにくくはあったが、かろやかに必死であったことを感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大衆演劇散歩記「寿式三番叟」

2011年01月02日 20時36分53秒 | Weblog
都劇団 都若丸

2011年1月2日(日)PM12:00~15:20

今年も大衆演劇からスタート。現代演劇は日常のハレになるとなりをひそめる感じがする。

第1部 寿式三番叟(ことしきさんばそう)25分
背筋ピンとのばして、気引き締まる舞をみている感じ。かきわりの大きな松に白鶴日本酒、米。神事だろう。太夫の舞に三番叟の舞。途中から座長若丸がくずしにかかり笑いをさそう。「大衆演劇ですから」とくすぐり。

休憩15分

第2部 お芝居「瞼に母」
あの有名な長谷川伸作
瞼の母思いきや、おこもさんのごろやん(五郎)の人情喜劇。
おこもさんのごろやんと大工まさやん(政吉)は町の顔なじみ。まさやんはごろやんがおこもさんであろう関係なく気さくにして、弁当の残りものであろうとあげ、ごろやんはそれがええという間柄。まさやんがほつれたお守りに気づくごろやん。わけを聞くと、なくなった母の形見だという。そんなお守りをうっかり落としてしまうまさやん。おっかけるごろやんに気づかない。
そんな所にそのお守りは亡き妻のかたみといいだすものが。そして、息子だといって庄屋のりっぱなあと取りといってごろやんについてまわりのてんやわんや。その男こそ、妻子を貧乏で捨ててしまったまさやんの父だったのだ。
ごろやんに都若丸座長。藤山寛美ばりのボケキャラおこものごろやんは面白い。声は次長課長の河本に似ている。親しみやすい男前でした。

第3部 舞踊ショー
ラストの芸者メドレーがいい。若丸座長の女形芸者は目もきれて切符のよい姐さん。


親しみやすい劇団ののりがさわやかで軽い。
満足。次回もみに行こう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする