むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

現代演劇迷想記「非情なる全体幻想」

2010年05月30日 17時56分59秒 | Weblog
午前11時10分。京阪天満橋駅停車、淀屋橋いき特急のなか。今日はミナミへ。精華に燐光群の芝居を見に。さすが、日曜日の大阪。人が多い。

2010年5月30日(日)PM2:00~精華小劇場

燐光群「ザ・パワー・オブ・イエス」
作:デイヴィット・ヘアー 演出:坂手洋二

サブプライム問題から一連の金融でおこったことを淡々と描く。これは芝居ではない。ひとつの話であるというきり口のなか、お金をかせぐことどのように金融世界はしているのか。台詞のなかにあるが欲望と恐怖のバランスで動いていること。その連鎖し合ういきものようなものが淡々とみえる。
言葉がすべての幻想を生み出す世界がこの金融であるのをみながら知っていく。
ここにひとの繋がり会う等というものはない。情はないのだ。
非情の世界が理性的合理のベースにある。また、この幻想の先には全体主義的な世界を生み出すものさえ感じる。
戦争はまさに非情なものから生み出されていくことも間違いない。

難しい経済用語をききながら、そんな印象を持った。
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城陽むかしくらしことば語り

2010年05月29日 21時18分50秒 | Weblog
午後8時51分。帰宅途中。今日は午後からJR城陽にあるぱれっとJOYOにて、城陽むかしくらしかたりの会にて、城陽に伝わる民話をシアターワーク京都そらまめにて、朗読劇にして発表した。
城陽は身近にキツネやタヌキがいて、それがひとかかわりながら生きていた。そのむかしから伝わる話がこの城陽が山城といわれる豊かさだ。
お客さんは真剣に聞いていたたきいいものになったと思う。
手応えある芝居の現場。打ち上げのみんなののりがそれを物語る。
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大衆演劇散歩記「さわやかな風とともに」

2010年05月28日 21時51分07秒 | Weblog
開演18分前に、動物園前商店街の路地奥にオーエス劇場がある。どっこい昭和がいきづく場所。映画館の形の劇場。浪花劇団、いつものモー娘の歌謡曲が聞こえてくる。いまは「五番街のマリー」。

2010年5月28日(金)PM12:00~15:15_オーエス劇場

第1部 ミニショー
「ねぶた」「タイガー&ドラゴン」「津軽」「旅笠道中」「おもかげ渡り鳥」「花ざかり」「風の浮き橋」
祭りの賑わいあるのりで軽快にみせる。

第2部 お芝居
「長脇差し 恋の辻占い」
まっすぐにいきようとしても人情に翻弄される足を洗った若いやくざもの人情話。
第3部 舞踊ショー
ラストは「島田ブンブン」で芸者ショー

浪花劇団は若くて芝居にもさわやかに、でも人情厚く。みていてまっすぐな気持ちになれるのがいい。
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大衆演劇散歩記「五月晴れに女座頭市」

2010年05月26日 15時31分56秒 | Weblog
昨日は晴れた。今日ははやく曇り。この二日は雨で、山間部では土砂崩れがおこる雨模様。

大衆演劇散歩。昨日は地下鉄花園町から西へ。鈴成座。

長谷川武弥劇団
2010年5月25日(火)午後12:00~15:05_鈴成座

第1部 特選狂言「女座頭市 血煙街道」
第2部 舞踊ショー 次郎長メドレー

昼の部 大入り満員。ここはたっぷりと芝居をみせてくれる。音楽も聞かせて、女座頭市の目がみえなくなった生い立ちからはじまり、病で死んでまう女の幼子を頼まれ、父さがしの旅をすることに。やくざに絡まれたときに、助けていただいた素浪人赤塚とも、ひょんなことで知り合いになるが、やがて、たたかわなければならないこと。丁寧に物語は順をおいながらすすむ。ただ、場面転換のための間が長いのが気にはなる。市を演じる愛京花総座長の礼儀正しさがみていて、芯の強さを感じる。目がみえないからこそ、強くいきるという姿勢。

舞踊ショーは清水次郎長メドレー。映画清水長三国志の宇崎竜堂の軽快な曲にのせてみせる。つづいて美空ひばりの次郎長、渋い歌声で、座長長谷川武弥と愛京花がいでたつ。

外にでるとのどかな天気であった。鶴見橋商店街は活気にあふれていた。
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演劇なるもの。

2010年05月22日 17時24分06秒 | Weblog
自分でとてもややこしいことだと考えている。演劇なることとは自明である演劇感、そのものも揺さぶられるからだ。揺さぶられも感情が豊かになる場合とそうでない場合とがある。
まあ、個別的といえるのか。そう考えると個別的であることは、そんなにたいしたことではないのかもしれない。
さて、戻って現場だ。
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今日から西陣にて

2010年05月22日 10時26分24秒 | Weblog
今日から西陣ファクトリーガーデンにて本番です。
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求めよされば与えられん。

2010年05月07日 22時56分37秒 | Weblog
 年をとると、動けなくなる
 
 動くのがしんどくなる。そして、煩わしくなる。

 そんな自分。

 でも、そのままからどう転がすか。

 求めよされば与えられん。

 聖書のことばであるが、そこにひとがいる。
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時間という役者

2010年05月07日 11時10分19秒 | Weblog
 時間はたっていく。
 ひと知れずに動いている。
 時間というやつはいきものに生という喜びを与え、死という悲しみを与える。

 時間というやつはなかなかの演出家であるのかもしれない。

 さて、時間というやつは怪盗のようにいきものを使いはたしているのか。
 そう思わせるのがこやつの憎い所かもしれない。

 かつて、愛は惜しみなく奪うとある作家が書いていたが、時間というやつもさにあらん。 奪いながら、残すということをするのだ。 ここに残酷というやつがあらわれる。

 いきものはいまわの際にこの残酷、決して向こうにはいかさない。そこではたと思うの が、ひとといきものたるものか。

 ほんとうに好きであるほど、好きとはいえなくなるあの感じ。

 残酷がゆるやかに笑う。さあ、ひとはどうする。ひととおり、落ち込んで泣いて、失って笑いはじめる。

 そうして、立ち上がる。
 永遠へと変身しやがる前に、空をみる。
 すると、どうであろう。記憶が風をぬけてあわわれてくる。

 この仕掛け。かくして演劇がはじまるのだ。

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休めば休むことで

2010年05月04日 21時44分47秒 | Weblog
 休めば休み状態になっていく。

 さあ、そろそろと動く自分へ。

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なにわともあれ。

2010年05月03日 20時51分58秒 | Weblog
 なにわともあれ。

 五月晴れで、とくに用事をいれない。

 静かなる日。それはそれでよし。

 気が落ちることもあるも、季節の変わり目か。

 明日は少し動くかな。
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