燐光群 「推進派」
作・演出 坂手洋二
6月22日(水)PM2:00~4:20 伊丹アイホール
最近の燐光群は中景から遠景の群像劇。社会派劇などとマスコミから称される燐光群が「推進派」とは意外にと思われたかもしれない。それは社会派劇というなかに社会批判(現体制反対)というもの、わかりやすいみえかた。小難しい反体制知識人の芝居であり、たとえば、商業演劇などの娯楽演劇とは違うものであるという区分けに入るものだと。
実はをいうと、私もそうではないかと幻想をもってしまったし、実際、観客層をみるとなんらかの社会問題を意識化した観客が多くみられた空気だった。実際、自分もそのなかのひとりであろう。
で、「推進派」。ようくみると意外なタイトルだ。そして、サンテンイチイチ後の世界に私や私たちが生きている。いままでの価値軸ではない。私たちはいまも止められない危険を抱えている国にいて、みていくのた。
舞台は南西諸島・奄美大島の離島のひとつサチノ島にあるスポーツジムスーパーマンが舞台。そこにたくさんのひとたちが来て。観光ではない。それは避難した人たちなのだ。
とあるひとの提案から自己紹介はやめようという、ひとは話をしていくなかで、相手のことがわかるんだからと。そして、そのスーパージムの経営であり、今回の受入をしたひとトミオカさんはこの島のひとからアメリカの米軍基地を受け入れようとすり推進派だと。
そこには島の人工減少があり、産業は育たない。農業はあり、農業に携わるひとたちは反対派。
話は個々の暮らしからみえる思いがみえ、また、ここに避難してきたひとたちの不安な悩みや思いが語られていく。
でも、そこにはひとが語りあっている。推進派、反対派であろうと、すみわけはされていない。また、来た人たち、色々な事情をかかえているのだ。違うことはひとつ、島にいきている。みんな島に魂を響かせいきている。
今回、ここが光としてみえる部分であり、また、影としては原発処理のための徴兵がなされるという所。
確かに原発事故は国の責任である。それをすぐ経済が回らないからという予想づ電氣料金をあげようとしたり、税金アップをいいだすのは、政治が空白になっているにすぎない。これは国民にも責任はあるが、まずは政治家に官僚公務員すべての責任を経済的にも追ってからでしょ。
もう、逃げるところはどこにもない。
話は芝居に戻って。そうさ、それでも仲ようしていくことから民の力が生まれてくる。
今回はまさに、肯定否定という軸の推進ではない。いきる。いきつづける推進派なのだ。
作・演出 坂手洋二
6月22日(水)PM2:00~4:20 伊丹アイホール
最近の燐光群は中景から遠景の群像劇。社会派劇などとマスコミから称される燐光群が「推進派」とは意外にと思われたかもしれない。それは社会派劇というなかに社会批判(現体制反対)というもの、わかりやすいみえかた。小難しい反体制知識人の芝居であり、たとえば、商業演劇などの娯楽演劇とは違うものであるという区分けに入るものだと。
実はをいうと、私もそうではないかと幻想をもってしまったし、実際、観客層をみるとなんらかの社会問題を意識化した観客が多くみられた空気だった。実際、自分もそのなかのひとりであろう。
で、「推進派」。ようくみると意外なタイトルだ。そして、サンテンイチイチ後の世界に私や私たちが生きている。いままでの価値軸ではない。私たちはいまも止められない危険を抱えている国にいて、みていくのた。
舞台は南西諸島・奄美大島の離島のひとつサチノ島にあるスポーツジムスーパーマンが舞台。そこにたくさんのひとたちが来て。観光ではない。それは避難した人たちなのだ。
とあるひとの提案から自己紹介はやめようという、ひとは話をしていくなかで、相手のことがわかるんだからと。そして、そのスーパージムの経営であり、今回の受入をしたひとトミオカさんはこの島のひとからアメリカの米軍基地を受け入れようとすり推進派だと。
そこには島の人工減少があり、産業は育たない。農業はあり、農業に携わるひとたちは反対派。
話は個々の暮らしからみえる思いがみえ、また、ここに避難してきたひとたちの不安な悩みや思いが語られていく。
でも、そこにはひとが語りあっている。推進派、反対派であろうと、すみわけはされていない。また、来た人たち、色々な事情をかかえているのだ。違うことはひとつ、島にいきている。みんな島に魂を響かせいきている。
今回、ここが光としてみえる部分であり、また、影としては原発処理のための徴兵がなされるという所。
確かに原発事故は国の責任である。それをすぐ経済が回らないからという予想づ電氣料金をあげようとしたり、税金アップをいいだすのは、政治が空白になっているにすぎない。これは国民にも責任はあるが、まずは政治家に官僚公務員すべての責任を経済的にも追ってからでしょ。
もう、逃げるところはどこにもない。
話は芝居に戻って。そうさ、それでも仲ようしていくことから民の力が生まれてくる。
今回はまさに、肯定否定という軸の推進ではない。いきる。いきつづける推進派なのだ。