むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

現代演劇迷想記「夏になっていた?」

2011年06月22日 18時36分29秒 | Weblog
燐光群 「推進派」
作・演出 坂手洋二
6月22日(水)PM2:00~4:20 伊丹アイホール

最近の燐光群は中景から遠景の群像劇。社会派劇などとマスコミから称される燐光群が「推進派」とは意外にと思われたかもしれない。それは社会派劇というなかに社会批判(現体制反対)というもの、わかりやすいみえかた。小難しい反体制知識人の芝居であり、たとえば、商業演劇などの娯楽演劇とは違うものであるという区分けに入るものだと。
実はをいうと、私もそうではないかと幻想をもってしまったし、実際、観客層をみるとなんらかの社会問題を意識化した観客が多くみられた空気だった。実際、自分もそのなかのひとりであろう。

で、「推進派」。ようくみると意外なタイトルだ。そして、サンテンイチイチ後の世界に私や私たちが生きている。いままでの価値軸ではない。私たちはいまも止められない危険を抱えている国にいて、みていくのた。

舞台は南西諸島・奄美大島の離島のひとつサチノ島にあるスポーツジムスーパーマンが舞台。そこにたくさんのひとたちが来て。観光ではない。それは避難した人たちなのだ。
とあるひとの提案から自己紹介はやめようという、ひとは話をしていくなかで、相手のことがわかるんだからと。そして、そのスーパージムの経営であり、今回の受入をしたひとトミオカさんはこの島のひとからアメリカの米軍基地を受け入れようとすり推進派だと。
そこには島の人工減少があり、産業は育たない。農業はあり、農業に携わるひとたちは反対派。
話は個々の暮らしからみえる思いがみえ、また、ここに避難してきたひとたちの不安な悩みや思いが語られていく。

でも、そこにはひとが語りあっている。推進派、反対派であろうと、すみわけはされていない。また、来た人たち、色々な事情をかかえているのだ。違うことはひとつ、島にいきている。みんな島に魂を響かせいきている。

今回、ここが光としてみえる部分であり、また、影としては原発処理のための徴兵がなされるという所。
確かに原発事故は国の責任である。それをすぐ経済が回らないからという予想づ電氣料金をあげようとしたり、税金アップをいいだすのは、政治が空白になっているにすぎない。これは国民にも責任はあるが、まずは政治家に官僚公務員すべての責任を経済的にも追ってからでしょ。

もう、逃げるところはどこにもない。

話は芝居に戻って。そうさ、それでも仲ようしていくことから民の力が生まれてくる。

今回はまさに、肯定否定という軸の推進ではない。いきる。いきつづける推進派なのだ。
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大衆演劇散歩記「水無月の陰」

2011年06月15日 15時38分57秒 | Weblog
劇団大川 三代目大川竜之助
5月15日(水)PM12:00~3:15 朝日劇場
今日は楽に入れた。少し地味なのか。それにしても芸能人のショー芝居にも出演しておられるみたい。はじめてみるのでなんともいえないが。

第1部 ミニショー
しっとり若手が礼儀正しくみせていく。
第2部 お芝居「剣一筋」
盲目になった武士のやくざにはならず、ひとりの死にざまがいきざまというものをみせる。間合いで思いをみせる大川演出なのか。最期に腹を切り、首もきる様をみせて終わる。情念というもののさまをひっぱりみせる。好みが分かれる芝居だ。
昨今、うかれもはじけも、どうしようもないむごさだらけの世情。個人としてはそれでもはじけ飛ぶんだという力とがっしり受けとめちりちり、引き入れる。どちらかというと後者がこの劇団かな。

第3部グランド舞踊ショー大川竜之助座長39才。俺はみなぎってるぜ。ひと芸ひと命の迫力は伝わってくるが、まあ、入ったばかりの10代は仕方ないにしても二枚三枚がもう少し厚くてもかまわないのではないか。大川バンドいう感じ集団携帯だな。チーム的では山椒のようだ。
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大衆演劇散歩記「川北長治」

2011年06月09日 22時53分38秒 | Weblog
劇団武る 三条すすむ
5月8日(水)PM12:00~3:15 浪速クラブ

べしゃりのサギのようなおっさん。糖尿で大変なそうな。ようしゃべるし、男の五月蝿いお隣り合わせ。来たときは一杯ひっかけて来たようでどないしょというか。ええかげんにせいよと。イヤーオーラ一杯な自分。ああではじまった。

第1部 顔見せミニショー眠気がたって、芯が入っていない踊りはみれない。

第2部 お芝居「遊侠三代」

これも危ない所があったが、芝居がきまりまじめたら目がしゃきっとしはじめた。江戸、両国で口利きで生業にしている川北長治。まあ、地まわりやくざ。やくざは悪だ思わせたのは近代からで、やくざ渡世は庶民のまつりや遊びのまとめや。そんな川北長治には幼き頃にわかれた父がいて、探している。おこもさんが腹をすかせて自分が食べているおにぎりを盗み食いしているのも、わけを聞いてみづから世話をしてやるくらい。

そんな長治を疎む輩がいて、人斬り仁平をやとう。この人斬り仁平。こだわりがあり。ひとりですべてをかたずける。手伝いでもしたら、その手伝いをも斬るほど。

仁平はひとりで長治の家へいき、斬りに来たという承ったのはいちの子分長吉。いま親分は自分の親を必死に探している。その折りにひと斬りにあってはならないと親分を守るとみづから仁平に親分に化けて喧嘩へ。

長吉いないことに気づいた長治が弟子分に聞き出し、かけつけたときは長治は殺されていた。
子を守れなかった長治は人斬り仁平と戦う。勝ってしまうがなんとひと斬り仁平が自分が探している父であることをその闘いでわかってしまう。父もわかり、実は人斬りをしていたのは自分が捨てた我が子ためだ。殺されながら必死に我が子である息子に小判をさしばらまく演技でわかる。
すべての業を背負う川北長治に座長三条すすむ。人斬り仁平に大夫元勝正治。おこもさんに月代小夜子。子分長吉に藤千之丞。この四人がいい芝居をする。

大衆演劇の名作はさりげなく、みせるというのがいい。

小林旭「雪散華」
作詞:西村賢三 作曲:西村賢三

「傷つき破れた はぐれ舟
雪をかぶった 哀しい舟よ
それでも海に へさきを向けて
いまも大漁の 夢を見る
嵐でなくとも 出られぬわが身
泣いて涙に 暮れるなら

※せめて吹雪の なかで舞え
吹きぬく風の音 聞きながら
いっそ吹雪の なかで散れ
涅槃 曼陀羅 それとも地獄※

荒海渡る 鳥でさえ
枝をくわえて 行くという
とまり木さえも 持てない俺に
夢のかけらも 砕け散る
くずれた壁の 一つ一つに
惚れたおんなの 顔をみて
せめて咲かせよ 雪の華
心の芯まで 凍る街
いっそ静かに 雪の舞い
涅槃曼陀羅 それとも地獄」
この歌でのやまがもりあがる。

いやー、三条すすむのぬけた力のこころのとおりがこちらをひびかせる。さりげないぐらいの感じがいい。
小劇場の仁義なきではなく、仁義あるなかの刹那なのだ。

第三部舞踊ショー
三条の女形のうつくし着物女性は安心して見られる。
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