むかわの阿呆演劇日誌

演劇についての劇日誌やつれづれの演劇、映画の感想や日々のつぶやき。写真もあげます。

大衆演劇散歩記「男の切れ味」

2012年05月10日 20時20分11秒 | Weblog
大衆演劇散歩記「男前の切れ味」
たつみBOX  小泉たつみ
2012年5月1日(火)PM12:00~3:10
高槻、千鳥劇場

第1部 オープニングショー
島津亜矢「演歌桜」でスタート
。たつみ座長をいれて、男五人衆。かろやかに、軽くのり。
〆もたつみ座長の「カラス」で。初日、大入り。

第2部  お芝居「雨の高瀬舟」
井桁の勝三が代官の頼みもあり、貸した金に暴利な借金をつけて、お千代という女をかっさらい、後を追う井筒屋の清次郎はのされてしまう。その一部始終をみていたあぶれ浪人の月ノ輪又四郎は、これはなにかあると、みていた。勝三は最近でて来ているあぶれ浪人を始末するために女のお仙というやくざものを一宿一飯恩義で襲わせる。
あぶれ浪人とはいえ、又四郎は
武士、捕えたお仙をみてみれば、変幻お仙と呼ばれた男であった。話を聞いてみると、武州川越小作人であった千太郎は
貧しさゆえに、やくざの身に。
恋仲のお千代とも別れ、男の身であると力のない自分では渡っていけないので、女の身になって生きてきたとのこと。
 訳を知り、又四郎は千太郎を
許し、自分の宿に連れてくる。
やがて、千太郎はさらわれた女お千代を救いだしたら、なんと
恋仲であったお千代であること
を知るのであった。

第3部グランドショー
島津亜矢「演歌桜」ではじまり、「桜小町」で終わる。きれいで見事な群舞がみていて、心地よい。
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芝居夢中記「壬生大念仏会」

2012年05月01日 16時34分46秒 | Weblog
芝居夢中記「壬生寺大念仏会」
2012年4月29日(日)PM3:00~3:40頃 

壬生狂言「愛宕詣」
春の壬生狂言。21日~29日まで、昼から夕方の5演目あるなかで、今日は「愛宕詣」の一演目をみた。
 壬生狂言は無言劇。面と動きで
話をみせる。大念仏講というようにここには教えみたいなものがみてとれる。
 この「愛宕詣」愛宕詣にくるお茶屋に母と顔かくした娘の一組がそのあとを武家主人におつきのものが、土器なげをやり、(実際は炭酸せんべいをなげて、観客は喜ぶ)いこうとしたら、武家は娘に気づき、惚れてしまう。
おつきに、声をかけものにしてこいといって行くが、母親がごうつくばり、なにかよけさなやらんと言う。武家は身ぐるぬいで、おつきのものもぬがせてわたす。このおつきのもの面が小顔のおどけた顔で自分のものをはわたしたくないと小さくかためて、下着にかくすが、ばればれなど。ついつい笑ってしまう。おちは母親は娘渡して、武家がほっかむりをとると、なんとぶさいく極まりない娘におっかけられて、終わり。

仮面に見ぶり手振りでなんとはなしに伝わってくる。個人の芸よりも、型の洗練さがいい。
土俗的な庶民心。面をみると、ほんとに、ひとのこころの欲深さ。わらっているものはほんまは苦笑。でも、明るい喜劇はひとはどないなっても、それなり
にいきていくわと思った。

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現代演劇迷想記「スカイツリーに消えた町」

2012年05月01日 16時22分05秒 | Weblog
現代演劇迷想記「スカイツリーに消える街角」 

唐組「海星(ひとで)」
作・演出:唐十郎
2012年4月28日(土)PM7:00~8:40
大阪城公園太陽の広場内、紅テント

第49回唐組が心配だった。前回の第47回「ひやりん児」なにか、途中で切れた感じで。芝居もなにか宙ぶらりん。そんななかで精華小学校跡地の公演は終わってしまった。確かに登場人物たちはからだに響く像や言葉を紡いで走る。だが、ほんとにそれはひとつ遠い所へいってしまったような寂しさを感じてしまったからだ。
  でも、それはあのサンテンイチイチから、1ヶ月たっただけの日である。いまも実はわからない。どんなイマージュだったのか。「ひやりん児」とははっと
するものなのではと、勝ってな思いをしている。
 もっと、ひりひりして、どないすんねん。そして、わずかながらでも、確かに救われるものがあらわれることを祈るしかない気分であった。
 実はいまもというか、いまだって、わからない。すごく世間が
すぎさり、もちろん、あの大きな出来事から、忘れていくことも大切だ。死者を思う生者としてわたしたちはいきていかねばならないからである。
 だが、政府は、東電はなにもしていない。まさに、人々を収めるものとしての、責務を我が身を晒してみせていないのだ。
それぐらいの、背負いがみられないし、早くも世界はオール電化から次世代のエネルギー開発へ。躍起になっている。
もちろん、それが大切とはいわないが、それが根本の罪をかんじていないだろうし、罪すらも実はわかっていない。

話しがずいぶん迂回してきたが、今回の芝居は町田という男の彷徨いである。とあるメーカーの町田は鐘が淵にて、ある町に彷徨う。涙紙というパーマ屋でチャコという女に出会い、同僚仲とともにその、川淵でであったものはサビたスプーンたちでした。新潟の燕市からであってしまった銀のサビ。それを向島クロムメッキで加工してほしいと思いつくが、それは上塗りすることであの鐘ヶ淵てみたものではない。町田、仲、チャコは、スカイツリーの地場をぬけ、幻の彼方へ。


唐ワールドはまた、ふっかえしていた。わたしは人知れず、我知らずないてしまう。
ほんとにぬりこめられているのは、時代をぬけるものたちであること。わたしはいつ天かける思いを夢見なくなったのかと。

唐さんは漫画家赤塚不二夫のように、ねぎもって、つきつけていた。よろよろする四肢を振りしぼって。

カーテンコール後、暗転になったあと、舞台に一礼する姿は、
とても美しかった。
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