お昼ごろから、台風の風雨が強くなってきました。
ニュースでは、今夜0時まで続くそうです。
杏の木の枝が、黄色く熟しかけた実をつけたまましなっていますが、明日まで抱えていてくれるかしら。。
昨日まで平和だった、梅雨の庭。
22日の夏至が近づくにつれ、日は長くなり、緑が深くなってきています。
数日前に一日しとしと降った雨で、スイカのつるはぐんぐん伸びました。
菜園からはみ出た葉っぱのうねりを、踏まないように、ふまないように、回っていって、ネギや紫蘇を収穫しています。
その向かいには、先月、追加の苗を植える場所が足りなくなって、いちじくの木の根元に肥料を入れて耕した、即席畑があります。
そこに、「つよく育ってね~」と、植えたししとう(左下)も、大きく生ってくれました。
アジサイは、今年はちょっと控えめに咲いています。
小さな頃から垣根に群生していて、大好きな、だいすきなお花です
この季節、曇り空に映えて、虹が大きな水玉になったみたいに、目を喜ばせてくれます。
こちらは、帽子がクルンとキュートな、なすびくん。
お花は、可憐なベルのように下を向いて咲きます。
紫の花びらをちょっと傾げてみたら、おしべが、目の覚めるほど鮮やかな黄色をしていました。
と、嵐の前の日々を思ううち、梅雨の暮らしにちょっと気づいたことがありました。
今日みたいな荒れ模様でなくっても、ふだん、雨がちらちら落ちてくると、
「わぁ、降ってきちゃった~」→「濡れないように」
と、気持ちが自動進行してること、多い気がします。
外出先や出かける際なら、なおのこと。
だけど。
後になってみると、雨に彩られた思い出は、けっこう瑞々しかったりもするものです
何年か前の、台湾旅行から帰る日、故宮博物館を出たところで、急などしゃ降りにあいました。
電車で寄り道しながら飛行場に向かう予定だったので、とっさに駆け込んだ中華飯店から、どうしたものかと、街路をはじける雨粒を眺めていました。
ところが次第に、側溝の流れは川のように早くなり、とうとう時間も近づいてきたので、お店の入り口にある公衆電話からタクシーを呼び、大粒の雨をくぐって乗り込みました。
はたまたタイから帰る日は、ホテルから飛行場へ向かうタクシーに乗ったところで、小雨が降り始めました。
ラジオからは、タイ語のブルースが流れていて、何度も行き来した交差点を曲がる時、夕闇の中に賑わいだした街が、車窓の雨粒越しににじんで見え、なんとも名残惜しくなりました。
そして、またまたアジア。
ネパールの、ポカラという湖畔の町の夜。
食後にレストランの暖炉を囲み、地元の音楽家たちのギターの弾き語りを楽しんだ帰り道、突然、サァーっと水の幕がおりてきました。
あわてて最寄の大きな木の下に駆け寄ろうとすると、道にちらばっていた黒い牛さんたちも、のったりのったり、スキップ歩調で集まってきました。
「およよ。」と、立ち止まって見ていたら、枝の下に15頭くらい、上手にからだを傾げて並び、落ち着いたら動かなくなりました。
そこで、そろりそろり近づいてみると、一番近くの牛さんが、よろっと二歩ほどスペースを空けてくれたので、わたしも会釈して列に入れてもらい、一緒に外を眺めました。
お店はどこも閉まっていて、聞こえるのは、誰も通らなくなった土の道に、ずっと先まで降りこめている雨音と、時々しっぽを揺らして「フンッ」とつく、彼らの吐息だけでした。
側には2本、これより少し小ぶりの木があって、下にはやはり、黒いカゲ。
そんな中にも数頭は、水たまりに入って鼻で水をしゃくっていたり、雨に打たれて悠然と広い通りを歩いていたり。
ひとしきり降って、もう、ぽつんぽつんと葉っぱからしずくが落ちるばかりになると、見えない縄がほどけたように、ゆるゆる雨宿りの輪は解かれていきました。
来る時からあった大通りの水たまりは、今では小さめの池になり、雲間の月明かりを映しています。
ぐるっと回ってそこをよけ、右に折れると、宿に続く坂道でした。
街灯にきらめく小石を踏みながら、水の匂いの中を歩いていったあの夜。
雨が、その瞬間の気分を発色してくれたから、なんだかあんなに活き活きしていたように思えるのです。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/
ニュースでは、今夜0時まで続くそうです。
杏の木の枝が、黄色く熟しかけた実をつけたまましなっていますが、明日まで抱えていてくれるかしら。。
昨日まで平和だった、梅雨の庭。
22日の夏至が近づくにつれ、日は長くなり、緑が深くなってきています。
数日前に一日しとしと降った雨で、スイカのつるはぐんぐん伸びました。
菜園からはみ出た葉っぱのうねりを、踏まないように、ふまないように、回っていって、ネギや紫蘇を収穫しています。
その向かいには、先月、追加の苗を植える場所が足りなくなって、いちじくの木の根元に肥料を入れて耕した、即席畑があります。
そこに、「つよく育ってね~」と、植えたししとう(左下)も、大きく生ってくれました。
アジサイは、今年はちょっと控えめに咲いています。
小さな頃から垣根に群生していて、大好きな、だいすきなお花です
この季節、曇り空に映えて、虹が大きな水玉になったみたいに、目を喜ばせてくれます。
こちらは、帽子がクルンとキュートな、なすびくん。
お花は、可憐なベルのように下を向いて咲きます。
紫の花びらをちょっと傾げてみたら、おしべが、目の覚めるほど鮮やかな黄色をしていました。
と、嵐の前の日々を思ううち、梅雨の暮らしにちょっと気づいたことがありました。
今日みたいな荒れ模様でなくっても、ふだん、雨がちらちら落ちてくると、
「わぁ、降ってきちゃった~」→「濡れないように」
と、気持ちが自動進行してること、多い気がします。
外出先や出かける際なら、なおのこと。
だけど。
後になってみると、雨に彩られた思い出は、けっこう瑞々しかったりもするものです
何年か前の、台湾旅行から帰る日、故宮博物館を出たところで、急などしゃ降りにあいました。
電車で寄り道しながら飛行場に向かう予定だったので、とっさに駆け込んだ中華飯店から、どうしたものかと、街路をはじける雨粒を眺めていました。
ところが次第に、側溝の流れは川のように早くなり、とうとう時間も近づいてきたので、お店の入り口にある公衆電話からタクシーを呼び、大粒の雨をくぐって乗り込みました。
はたまたタイから帰る日は、ホテルから飛行場へ向かうタクシーに乗ったところで、小雨が降り始めました。
ラジオからは、タイ語のブルースが流れていて、何度も行き来した交差点を曲がる時、夕闇の中に賑わいだした街が、車窓の雨粒越しににじんで見え、なんとも名残惜しくなりました。
そして、またまたアジア。
ネパールの、ポカラという湖畔の町の夜。
食後にレストランの暖炉を囲み、地元の音楽家たちのギターの弾き語りを楽しんだ帰り道、突然、サァーっと水の幕がおりてきました。
あわてて最寄の大きな木の下に駆け寄ろうとすると、道にちらばっていた黒い牛さんたちも、のったりのったり、スキップ歩調で集まってきました。
「およよ。」と、立ち止まって見ていたら、枝の下に15頭くらい、上手にからだを傾げて並び、落ち着いたら動かなくなりました。
そこで、そろりそろり近づいてみると、一番近くの牛さんが、よろっと二歩ほどスペースを空けてくれたので、わたしも会釈して列に入れてもらい、一緒に外を眺めました。
お店はどこも閉まっていて、聞こえるのは、誰も通らなくなった土の道に、ずっと先まで降りこめている雨音と、時々しっぽを揺らして「フンッ」とつく、彼らの吐息だけでした。
側には2本、これより少し小ぶりの木があって、下にはやはり、黒いカゲ。
そんな中にも数頭は、水たまりに入って鼻で水をしゃくっていたり、雨に打たれて悠然と広い通りを歩いていたり。
ひとしきり降って、もう、ぽつんぽつんと葉っぱからしずくが落ちるばかりになると、見えない縄がほどけたように、ゆるゆる雨宿りの輪は解かれていきました。
来る時からあった大通りの水たまりは、今では小さめの池になり、雲間の月明かりを映しています。
ぐるっと回ってそこをよけ、右に折れると、宿に続く坂道でした。
街灯にきらめく小石を踏みながら、水の匂いの中を歩いていったあの夜。
雨が、その瞬間の気分を発色してくれたから、なんだかあんなに活き活きしていたように思えるのです。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/