名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

@ 非論理エッセイ 【エベレスト登山隊】

2024年03月26日 | 日記
「我々はエベレストを征服したのではありません。エベレストの機嫌の良い時に、登らせて貰っただけです」

 登山に限らず、科学の発展と予算の掛け方に拠って今後探検の難易度は下がる事でしょう。コロンブスではなくアメリゴ・ヴェスビッチがアメリカ大陸に初めて到着した偉大な船乗りであるという観点に異論はありませんが、最初の発見者ではありません。

 その五千年以上も前にアラスカ経由で現在アメリカと呼ばれる大陸に移住したモンゴル人の苦難は想像を絶する奇跡とも云えます。何世代も掛けてその苦難を乗り越えた方々は、一行の言葉さえ残していません。南極探検にせよ、宇宙旅行にせよ、当初その難事に挑戦し続けた世界観に頭が下がります。

 藝術も似ています。優れた作品が生まれる時は主軸となる機鋒があり、それにからむ題材、動機、表現、リズムなど全ての要素が機嫌良く調和するものではないでしょうか。おそらく、完成直後の藝術家は偶然の作用と力を感じる事でしょう。不為の作品というものは、作家の構想や技巧に縛られませんし、エベレスト山を登る時の様に幾多の偶然が重なった結果とも云えます。

 ベートーベンの第九に限らず、セロニアス・モンクのジャズ演奏などにしても、きっかけから大団円まで持ち堪える構想と技巧の調和に深い感銘を受けます。音楽家の想念や技巧の欠片が微塵も残っていない。それが、偉大な藝術に相通じる共通点かも知れません。


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