施設にリハビリに行っていたら、
妹から電話が入っていた。
午後3時過ぎ。
母が熱が高く歩けないので救急車を呼んだという。
今度はS病院の整形外科。
熱の原因が分からないようだ。
骨折もしていない。
帰宅し、
付き添いの妹はいないので、簡単に夕食を作った。
施設にリハビリに行っていたら、
妹から電話が入っていた。
午後3時過ぎ。
母が熱が高く歩けないので救急車を呼んだという。
今度はS病院の整形外科。
熱の原因が分からないようだ。
骨折もしていない。
帰宅し、
付き添いの妹はいないので、簡単に夕食を作った。
母は点滴を抜いたりしているようで、
頭の出血も吸収されてきているということで、
夜、徘徊するので拘束されているようだ。立つとブザーが鳴るらしい。
「かわいそうだから、退院させてください。本人が帰りたいと言っている」
らしい。
と医師から電話があり、妹は迎えに行くことになった。
あああ、距離が置けると思ったのだが。
23日に入院し、25日に退院。
夕飯もしっかり食べていた。
23日の夜、母90歳が転んで入院した。
この日は一日、母は荒れていた。
言う事は聞かないし、
ご飯を食べようと言っても無視。横向きに座ったり、
機嫌が悪かった。
椅子をみんな倒したり、貴重品が洗濯機に入っていたり、
むちゃくちゃだった。
テレビのリモコンはとんでもないとこに有ったり…
そうして、自分が持って行ったのじゃない、
と言い張り、ヘルパーさんや私のせいにする。
自分で動くので
放っておいたら、転んだ。午後9時ごろ。
妹がみつけ、救急車を呼び、入院。
正月が明けるころ退院という話だ。
私はもう限界で、血圧は上がって来るし、
気持ち悪いし節々が痛む。
午前はT病院に行き、傷の消毒をしてもらい、
午後は詩の講評をzoomで聞いた。
午後1時から開始。
自分の詩にくると、なんだか緊張をしてきた。
最初に朗読をしてから、先生のお話を聞く。
さまざまな個性豊かな作品があって、すごく面白い。
今日は11篇の詩の講評が行われた。
わりと褒められた、と思う。
その後、15分くらい、先生のお話があった。
すごいお話で言葉が無かった。
先生の個人的なことで、皆さんは知っていたのだろうけど、
私は知らなかったので、ひどく感動し驚いた。
ただ、
今まで、なんとなく書いていた先生が、書いてなかった先生が、
ある日、仕事の前に毎朝、詩を書き始めた。
これを書くために自分は今まで、詩を何となく書いていたのだと思ったそうだ。
毎朝、泣きながら詩を書いたそうだ。
私には、そういうことが無いし、この先も無いだろうけれど。
思ったのは、
あ、私が今まで、パソコンの勉強をしてきたのは、
この出会いのためだったのか、と、なんとなく思った。
SNSもzoomも、使い方によっては、素晴らしいアイテムに変わると思った。
SNSは、あまりやってなくて見るだけになっている。
午後、初めての詩のzoom教室に参加した。
前半は、詩人Yさんの娘さんが、詩を朗読したり詩人について語ったりした。
なかなか貴重ないいお話で好感が持てた。
後半は提出した詩についてのお話があった。
人数が多く、私は15日にしてもらった。
それでも15作品の講評が丁寧に行われた。
それで、私も書こうという気の芽が生えてきそうな…
いろんな人がいて面白い。
私の体調はだいぶ戻ってきた。
夜、眠れないのは身体によくないと、つくづく思った。
今日の午前は、
地元の詩人会の集まりがある。
来年の同人誌の原稿を集める。
10名参加。
合評会もテンポよく進行。
今回は「おじいさんとオジイサン」
という詩を出した。
思っていたより評判が良かった。
いい感じかも~~~
書かねば。
新鮮な大根や白菜をもらった。
母は以前より、動きがスムーズになってきた。
夜の徘徊は困る…
昨日は出られないようにしてある椅子を、玄関に落とし、
すごい音がしたようだ。
あわてて?
母が2階まで歩いて行った(行けないと思っていたのが)。
夏に尾てい骨、仙骨などと胸骨、肋骨など骨折して入退院していたが、それはいいようだ。
夜中、2階にいたと妹が言っていた。
しかし、声をかけたら、固まっていて、下に降りられないので、
途中まで妹が、おぶって降りてきて、
途中からはゆっくり歩いたという。
本人は「なんか爆発して飛ばされた」?
と言っていた…
椅子が落ちて大きな音がしたようだ。
母が夜中にズリズリカチャカチャ、部屋のドアを開けようとする音、止めてほしい。
今は鍵をかけているが、
以前はトイレと間違えて入ってきた。
私は寝ていて、ひどく驚いた。ふう
今日はアクテムラの点滴の日。