古い新聞が出てきました。1995年(平成7年)8月、朝日新聞の「ひと紀行」に掲載された時のものです。
おじいちゃんが75歳の時です。
舟艇設計家として紹介されています。
多くのクル-ザ-の名艇を生み出し、日本の外洋ヨット設計の分野で一つの時代を
画したけど、「ヨットの設計は余技みたいなもの」と言ったと書かれていました。
「ヨットデザイナ-」という言葉も大嫌いだったと。
「船は海の上でどんな目に遭うかわからないのに、洋服を気軽に造るみたいでしょう。」 。。

船も設計しましたが、おじいちゃん自身もヨットマンでした。

大小の外洋レ-スで取ったカップは60余り
設計したヨットは余技といいながら
これも60艇に。中には森繁久弥さん、三橋美智也さん 、石原慎太郎さんの艇もあ
る。
『これまでこれたのも、大勢の友人ができたのもヨット
のおかげです。」と

閉めくくってありました。
今頃になっておじいちゃんは
すごかったと感激している、お母さんです。



おじいちゃんが75歳の時です。

舟艇設計家として紹介されています。

多くのクル-ザ-の名艇を生み出し、日本の外洋ヨット設計の分野で一つの時代を
画したけど、「ヨットの設計は余技みたいなもの」と言ったと書かれていました。

「ヨットデザイナ-」という言葉も大嫌いだったと。

「船は海の上でどんな目に遭うかわからないのに、洋服を気軽に造るみたいでしょう。」 。。


船も設計しましたが、おじいちゃん自身もヨットマンでした。


大小の外洋レ-スで取ったカップは60余り
設計したヨットは余技といいながら

これも60艇に。中には森繁久弥さん、三橋美智也さん 、石原慎太郎さんの艇もあ
る。


『これまでこれたのも、大勢の友人ができたのもヨット
のおかげです。」と


閉めくくってありました。

今頃になっておじいちゃんは
すごかったと感激している、お母さんです。


