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安藤英明先生のご冥福をお祈りいたします

2020年02月07日 | Weblog
【写真は2012年のTSC講習会にて】

 安藤先生との出会いは19年前になります。当時から地元の中学校で外部指導者として、1年目から地区アベック優勝、女子は県3位とまずまず順調なスタートをしました。このまま順調に勝ち進むと思わたんですが、事態が一変します。指導者3年目に仕事の部署変更により、平日ほとんどコートに行けなくなりました。今までほぼ毎日、仕事帰りにコートに顔を出してたのが、週2日程度に激減当然、思うようなチーム作りが出来なくなり、地区大会で男子はその後も優勝を続けたものの、女子はあと一歩のところで競り負けて2年連続全県出場を逃しました。自分の指導力が無いせいだと思い、選手に申し訳ない気持ちで過ごす日々が続いた矢先、安藤先生の事を知りました。

 安藤先生と言えば「72分の1理論」大学の数学科卒で確率・統計学ゼミ出身の私としては、そのネーミングだけでも心が躍るものでした。どうやればこの理論を教えてもらえるのかいろいろ探した所、山形県の指導者講習会の講師で安藤先生が来る事を発見。ただ、要項には山形県の強化事業的な事が書かれていて、基本的に県外の人はダメそうな雰囲気でした。それでもあきらめきれない私は、山形中体連のO先生に直接お願いしてなんとか参加させていただく事になりました。当然、その講習会で県外からの参加者は私のみ本当に感謝感謝でした。実はその講習会に行く時、我が家で事件が起きて行けない感じの状況の中での参加だったので、いまでもあの講習会参加はドラマのような出来事でした(詳しくは語りませんが、思い出すと涙があふれてきますこれも嫁に感謝感謝)。そして、初めて72分の1理論に接した時、自分が今まで行ってきた指導はなんて確率を無視したテニスだったのかと考えを改めさせられました。その講習会から2週間後、女子の招待大会がありました。当時、男子は全県優勝を目指してたものの、女子は全県優勝には程遠いレベルと思われました。講習会から帰った私は、学んだ事を短期間でしたが徹底して指導しました。選手もいままで教わってきた事とのギャップに戸惑いながらも、理に適う内容に水を吸うスポンジのように吸収していきました。その招待大会では見事に勝ち進み、決勝はその世代の全県新人優勝チーム結果は1-2負けでの準優勝でしたが、負けた2試合も接戦を繰り広げました。私も選手も正直魔法に掛かったかのようでした。一気に夏の全県優勝を目指せるチームになりました。一応、その時はマジで優勝狙ってたんですが全県総体準決勝で負け、3位でした。ちなみに男子は…地区で負けました。その時、地区を優勝したチームの主力がキム主任とSinだったりします。それから毎年というほどTSC講習会で安藤・木口講習会を開催してくれたお陰で、学びが深くなっていきました。今、やっと安藤先生の考え方や想いをだいぶ理解出来るようになり、昨年11月に初めて選手を呼ばずに指導者のみでの講習会を開催する運びになったため、ここが私の安藤理論を学ぶ集大成と思っていました。開催1か月前、突然の講習会中止の連絡が安藤先生の体調不良のためでした。だいぶ悪いらしい噂は流れてきましたが、亡くなるまでとは思っていませんでした。

 安藤先生の指導はとても厳しいものでした。選手、指導者お構いなく、講習会に積極的に参加しない時には途中で講習会を辞めようともしました。とにかく質問が出たら間違えてでも今の自分の考えを発表する積極性が必要でした。そのため、先生の話を聞き逃せない状況のため、集中した講習会でした。安藤先生は一流の選手の最低条件は「人の話を聞ける選手」とよくお話してくれました。自分が指導する立場の時でも、かならず選手にこの言葉を教えるようになりました。また、「答えは選手の中にある」と教えてくれました。指導者がこーゆー時はこうするって教えがちですが、実際選手がやるとうまくいかない事があるって状況を見たことがないでしょうか?安藤先生はこーゆー時にどうすればいいのか考えさせ、それを実際やらせてみる。そしてうまく行かなかったら別の選択をやってみる。そうやって選手と指導者が一体となってソフトテニスの形を作り上げていく手法を教えてくれました。72分の1理論って言うと型にはめてる感じがしますが、あくまでもその教科書を使って自分たちなりのテニスノートを作っていくといった感じでした。お陰で、固定観念にとらわれる事のない指導が出来るようになり、選手の理解力や応用力が上がったと思います。

 また、全国大会優勝への道のりについてのお話だけでなく、長い間小学校の先生をやってた時に経験した事をよくお話してくれました。内容はいろいろでしたが、そのすべてが選手や指導者をやる気にさせるお話で、私はボールを打つ練習以上にその話を聞く事が大好きでした。ソフトテニスマガジンに連載している時にも掲載されていましたので読んだ方もいると思いますが、努力のツボ、退院した際のバスの話、子供と山登りをした話など、秀逸でした(バスの話は葬式参列者へ渡された奥様の手紙の中にも記載されてました)。思い出しただけで涙が…。いつか人間は亡くなります。「あとで」では出来ない事、出来なくなる事があるんだと今更ながら思いました。今出来る事は後回しにぜず、今しよう!現在を大事にすれば未来は明るいものに!!山登りの話はそういう話でしたね。涙が出ました

 現在、安藤先生の教え子は東北・北海道はもちろん、全国各地に広がりました。大きい大会へ行くと、安藤先生から学んだ多くの指導者の方々にお目にかかる機会が増えました。私なんかよりも熱く語りたい人が多くいると思います。思い出や感謝の言葉を語ればまだまだ文章は終わりませんが、ほかは自分の心の中にしまっておきたいと思います。今後、数多くの教え子たちがこのソフトテニス界をリードしていってくれたらと思います。安藤先生、本当にありがとうございました。先生が蒔いたソフトテニスの種はきっと素晴らしい花を咲かせてくれると信じて、安らかにお眠りください。また、そうならなかったと思ったときは、枕元に立って説教して欲しいと思います。教え子の中ではペーペーな私ですが、枕元にスペース作ってお待ちしています。心からご冥福をお祈りいたします。

p.s.最後のお手紙、出さずに終わってしまいました。11月にお会いして直接報告と思っていたので…。あとでは出来なくなる事もあります。そう学んだハズだったのに、誠にすみませんでした。

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