__ 567ウィルス🦠以来の日本は、つまらない国に成り下がってしまいました。
人びとは、変な人が多くなりました。
逆走したり、歩道に突っ込む老人は、なんでこんなに多くなったのか?
まー、何かが水面下で潜行中なのは確かでしょう。
それでも、生きてゆかなくちゃならない。
せっかくブログスペースお借りしてんだから、何か語らなくちゃいけないね。それでは一つ……
>ユーミンに対しては、
「いい夢を見させてもらった」
という気持ちと、
「あんな夢さえ見なければ」
という気持ちとが入り交じる感覚を抱く人が多いのではないでしょうか。
かく言う私も、その一人。
ユーミンを聴かずにもっと自分の足元を見ていたら、違う人生もあったかもね、とも思います。
[※ 酒井順子『ユーミンの罪』より]
…… ユーミンは、70年代に「ニューミュージック」と名づけられた彼女独自の音楽テイストによって、四畳半フォークを駆逐して、
おしゃれな女子御用達音楽を確立した天才である。
しかし、彼女のその天才性ゆえに、世間にばら撒かれた弊害も巨きかったと言えよう。
ほかにも北海道から出た、夢見る少女(少女マンガ的)のようなドリカムの吉田美和や、
1983年にオープンした現実世界に現れた夢の国「東京ディズニーランド」も、その後永く続いてゆくファンタジーの世界を牽引したと言えるか。
ネットではこんな最もな声もあったな。
>上野千鶴子と瀬戸内寂聴
日本人の結婚観を毀損した二人ですね。
この時代(80年代)は、
「ぶっちゃけ」の象徴である、写真週刊誌『FOCUS』が活躍し始めた時期とピッタリ一致する。
[※ 『FOCUS』は、
1981年に創刊、2001年の第1001号で休刊した]
この「ぶっちゃけ」が、日本婦女子を変えた社会風潮の最たるものだと、私は感じる。
女性の文化を、「ぶっちゃけ」てしまっては、男は幻滅するしかないからである。
この時点が、いまも深刻な懸念を呼んでいる「少子化」の原点となるだろう。
そのへんの詳細な解析は、天才山田玲司(漫画家)の秀逸な「世代論」が既に発表されているから、いつかこのブログでも「まとめ」てみたいと思っている。
おとこが夢想する「やまとなでしこ」は、この時期にほぼ絶滅したと言ってよいと思う。
それ以降……
男は二次元へ、女は推しの世界へと没入することになる。
__ こっからは、過去の拙稿をまとめて掲載しておく。
⚫️20240515
🔴2007年に始まる
> 「男たちは2007年に恋愛を諦めた」
…… こう言ったのは、詩人・山田玲司(漫画家)だが、彼の世代論はおそろしいほどの説得力がある。
人びとの意識変化を、漫画アニメという地下水脈で追っているからだと思う。
彼は云う、
90年代、ギャルが自分のオンナ(性)を金で叩き売りする「援助交際の時代」を経て……
世のアイドルからも清純なイメージが消えた。
そして、男たちにも自分に見合う額で買える感覚が芽生え、「会えるアイドル」が誕生する。
彼女たちには、「恋愛禁止」が課される。
> 若い男は、女に対して
「女は天使のように清純で綺麗なもの」という幻想を持たせてもらえなければ、心から女を愛することができないようにできている(例外はあれど)。
[※ 山田玲司『見下すことからはじめよう〜「中2」でなければ生き残れない』より]
…… 単純な男性性が抱くロマン志向である。
ゲーテのグレートヒェン幻想とか、近くはMJのダイアナロス幻想(フリオに取られて絶望する)とかの、「聖なる女」幻想である。
しかし、実際の社会で蔓延っていたのは、
援助交際をする女(ギャル)
(※ 若い男の幻想を裏切り続けてきた)
↓
ヤマンバギャル(風呂に入らない)
↓
汚ギャル
(※ ここでオトコは、潜在的に現実の恋愛から撤退した)
↓
ホームレスギャル
(※ オトコの抱く「女=天使」像が完全崩壊する)
…… この、オトコたちの「天使(幻想)」が絶滅したまさにその時、時を同じくして、
バーチャルアイドル「初音ミク」が降臨する。
そしてリアルな恋愛、リアルな身体性が消滅する。
この一連の社会潮流に関して、
「ヤマンバ〜汚ギャル」への傾倒(彼女らにしたら、「抵抗」「防御」の意味もあったが)にストップをかけた人物が存在する。
こないだ『激レアさん』に出演なさっていた、「ラスト・ヤマンバギャル」といわれた「あぢゃ」さんの貴重な証言によれば……
社会から「ヤマンバギャル」を駆逐したのは、「ゴリエ」ちゃんだったそうだ。見事なまでに一掃されたらしい。
あまりにも意外で…… つまり、オトコがオトコの幻想を救ったのである。
オトコもオンナも共に、夢やぶれた者は「おひとり様」へと向かってゆくのが世の趨勢のようだが、
そこそこでいいんじゃないのと残念に思う。
⚫️ 20240323
🔴デジタルネイティブは幸せか
田舎での少年時代を思い起こすと……
学校🏫終わったら、走って帰って、ご近所の遊び仲間(小1〜小6まで、通学時に一緒だった者たち5〜10人位)と、自転車で隣り町に遠征したり、川で雑魚獲りして泳いだり、山に山菜獲りいったり、雪山でスキーしたり、メンコやビー玉や、〇〇カードとか集めたり賭けたり、ちょっと危ない合戦したり秘密基地つくったり、駄菓子屋に行ったり、大人のおでん屋で皆で食べたり……
暗くなるまで、騒ぎまくって、テレビで『仮面ライダー』が始まるまで帰宅するといった生活だった。
中学に上がると、そこには部活が入ってきた。
それが、私達から10年も年下となると……
70〜80年代に生まれた人びとは、上記で述べた学校が終わってからの生活が、ゲーム一色に傾いてくる。(任天堂のファミコンは、1983年に発売された)
幼い頃から10代にかけて、何に多大な時間を注ぎ込んだのかは極めて重要なファクターである。
田舎の少年が、友だちと野山をかけめぐって色々な経験値をあげていた頃……
ゲームに熱中していた少年は、(他人の作った)ゲームから経験を得るしかなかった。それも長時間座った不自然な姿勢で。
もう、この段階で「こころ」が壊れている。
ゲームの世界が、ほぼ自分の生息する世界になってしまっている。ゲームのルールが、少年たちの人生のルールになってくる。
そーなったら、面白くないゲームはやらないし、終わったらリセットしたらよい、初期パラメータ(能力値)も自分の納得するものを選びたいし、好きなだけゲームに没頭したいとなる。
しかし、ゲーム時間が終わって、現実の生活に引き戻されると、そこはゲームのようにはいかない世界である。
しかし、経験値のほぼすべてがゲームに依存している少年たちでは、ゲームの世界が実生活を侵食し始める。
そーいった「ゲーム脳🧠」から出てきた言葉が、たとえば「親ガチャ」だったんですね。
それは親不孝な発言などでは毛頭なく、ただ自分の人生(≒ゲーム)を考えた時に「初期のOS(親や育った環境)」が間違っていたという冷めた認識。
ゲームをやらない人からは、到底思いつかない思考回路なんですよ。
そして彼らは、その後「就職氷河期世代」として、まるでいいところのない青春時代を送ることとなります。
コミュ障からの「こもりびと」が多くなるのも、この世代からですね。(うつ病も同じじゃないですかね、初期外部環境の外圧による不具合発生といえるのでは)
わたしがゲームをやらないのは、人生≒ゲームだと薄々感じているからだと思います。
ただ彼らと違うのは、人生はコンピュータゲームのような粗雑なゲームではなくて、もっともっと精緻で綿密なものだという認識なんです。
どこかの誰かが設計した、狭い世界観からつくられたゲームに、自分を委ねることが出来ないのです。
そんな「ゲーム経験」の有る無しによる断絶は、
戦前戦後の「戦争体験」の有る無しによる断絶と、その溝の深さにおいては、ほぼ等しいものがありそうだ。
「ゲーム経験」と似た消息で、IT革命において「パソコン・スキル」が世代の断絶を生んだし、また「スマホ経験」が全世代あたりまえのものとなってくる。
それ、やらなければ生きていけないのなら選択の余地はないが、果してアップデートは必須なのか迷うところだ。
⚫️20240424
🔴愛されただけで終る人生って
2050年までに消滅してしまいそうな自治体が、744市町村で、全体の40%にもあたると。
この調査って、
【若年女性(20〜30代)】の人口の減り具合で試算しているんですよね。
街を維持するために必要な最重要ファクターは、若年女性ということが分かっているのに……
なんでチンプンカンプンな少子化対策を打っているんでしょうね?
田舎から都会に出てゆく若年女性は、田舎にも帰らないし、都会で結婚もしない。
自分の夢物語に没頭するだけの若年女性を育てたのは、わたしたち日本国なんですよ。
いまの日本では、たとえ生き延びても、古き良き日本の風情(日本の原風景、日本国の本質)を継承できない。
わたしの住まいする東北の町も、消滅候補に入っていた。活発な女の子は皆上京しているもんな。
いまになって思うのは、最も大切なのは教育である。
子どもの教育というよりも、良き母親(母体)を育てる教育である。
若年女性が、結婚したくない〜子ども産みたくないというのは、亡国のサインである。
親から愛情ふかく育てられ、その負債を返せないままに亡くなる独身女性・独身男性は、その偏ったバランスを修正しなければならないだろう。
愛というものは、受けても自分の処で滞っていると腐ってくるもののようだ。それが中高年ともなると、だんだん苦しくなってくる。愛する対象に飢えているのだ。
愛というサイクル(循環)は、受けて出して、そこで完結する。恋愛にかぎらず、根源神と私の間でもそのサイクルを全うしなければならないと思う。
⚫️20240427
🔴大谷選手のもたらすもの
今朝も、オータニさんの7号ホーマーで爽やかな朝☀️を迎えました。ありがとう、おたにさん♪
別にオータニがホームラン打ったって、わたしの手柄ではないし浮かれてんなよ、と自戒するのが昨日までの私でした。
オリンピックの金メダルだって、自分が取ったわけでもないのに、日本の誇りだとか何とか、所詮はヒト事でしょと冷めた目をしていたものです。
でも、これって真相はストレスと関係するんですな。
名越康文さん(アドラー心理学)が言っていました。
> 人生において純粋な喜びなんてない。(近傍にはね)
…… 近傍ってのは、自分の身の回りにはないということ。少し遠くにはあるんですな。
たとえば、阪神が優勝したとか、いう時。
遠いところにある、ある種の幻想の中でならば、のんきに全力で楽しむことができる。
つまり、人間の場合、そうした幻想の中にしか本当の喜びはないといってもいいそうです。
なぜなら、動物はちがいますが、人間は良いことも悪いことも、どちらもストレスになるからです。
1970年代にアメリカ🇺🇸で行われたストレス調査で、「人間がストレスを感じる20項目」が公表されたのですが……
親しい人の死別や会社が潰れるという項目のほかに、結婚や子どもが生まれるといった慶事もまた上位に入っていたそうです。
マリッジブルーなんか該当するのかどうか、いずれにしても喜び事の折りには、くれぐれも注意しなければならないそうです。大きすぎる喜びはピンチなのです。
こうしてみると、誰かの推しだとか、エンターテイメントやスポーツ等の祭典は、人間にとって自分の身近な事ではない為に、【ノーストレスで純粋な喜び事】なんですね。
ヒト事ゆえに、全力で喜べる貴重な機会なんですね。
人間は、遠い幻想でしか思いっきり喜べないのですね。ひとって儚いものです。
⚫️20240409
🔴若者は危ないのでは
霊主体従の時代
日本国のご老体は、元気で溌剌とした方々が多いです。霊主体従となったら、その心はますます肉体を若返らせることでしょう。
しかし、引きこもりやうつ病の蔓延している中年〜若者はどうでしょう。弱り目に祟り目で、より弱体化が進むことでしょう。
少し前に、「自分の祖国を守るために戦いますか?」という国際的なアンケート(国際価値観調査2017〜2020)で……
日本のために戦うと答えた人は、13%しかいなくて、
参加79カ国中で最低だった。(78位のリトアニア🇱🇹は33%だから、圧倒的最下位)
この調査は、各国ごとに全国の18才以上の男女1000〜2000人をサンプルにするものだから……
若者だけではなく、中高年も「戦いたくない」のである。
戦後民主主義の洗礼をうけて、戦争は悪だと叩き込まれた「団塊世代」を筆頭に、
祖父母世代〜両親世代〜子ども世代
の三代にわたって、マッカーサーの日本人弱体化計画が見事に成し遂げられたことが、この調査で証明されたことになる。
若者世代には気づいてほしいのだが、
昭和の体制を馬鹿にして、親の意見は無視あるいはなかったことにして、自分たちの世界で生きることを選択しているように見える若者世代の実態が、
実はアメリカ🇺🇸さんから洗脳されて、まんまと三代にわたって導かれたものであるという深層の事実に向かい合ってほしい。
先代も先先代も、あなた方の準備をさせられただけなのです。
目の前の、「自分だけの生活」を守る姿勢では、そうしたメタ認知は難しかろうが。
ほんとうに日本が嫌いな日本人が多いよな、学校で日本の良いところを教えていないからな。
日々の先祖供養や神社参拝もせず、祭りもおろそかにしている現代日本人は、霊的にも相当弱体化していることは明らかである。
よその国の漢心(からごごろ≒リベラル)で培養されて育った日本人は、霊主体従となっても大したことがないんじゃない。
⚫️20240424
🔴そこそこの幸せ
レンタル彼氏についてコメントした方がおられたけれども……
白馬の王子さまを追い求めて、
「推ししか勝たん」と押し活に異性付合いの代わりを求めて、
恋愛至上主義を唱えて、結婚相手をえらぶのに一切の妥協を拝して、
お見合いや周りの外圧に負けないことを自分に課してきたような女性は、
完全に団塊世代から連綿と続く、リベラルな社会風潮に振り回された人々である。
白馬の王子様でも理想のイケメンでもいいけれど、
何%の男子が、それに該当するだろうか。
そしてそれは女子側の%でもある。
これは、「いい成績とって、いい大学に入って、いい一流企業に就職する」といった夢をかかげた人々と同じ過ちを冒している。
その目標(夢)を実現できる人は、何%いますか。
多く見積もっても、その理想を手にする人は、10人に1人もいないのよ。もっと少ない。
白馬の王子様と結ばれるよりも、そこそこの幸せを手に入れる、堅実な恋愛をえらぶことは出来なかったのだろうか。
結婚は、女性がGOサインを出さない限り、まとまらないことになっている。これは人類史が始まってから変わりはない。
つまり、女性が白馬の王子様に執着する限りは、少子化は止まらないのだろう。
世界的に人気のあるドラマ『深夜食堂』に出てくる、キャリアハイのお茶漬けシスターズのように、
理想主義と恋愛至上主義で凝り固まったお金を持った女性が、結婚ができないのは理の当然であろう。
キノコ雲に万歳しているようなTシャツを着ているような某国のアイドルを推したり、二次元の男の子に夢中になっていたり、ホストに貢いだり、刹那の幸せにかける、すさまじいばかりのバイタリティである。
二十年ばかし、そうやって夢を追いかけたら、ある日独居老人になっている、あるいは成るであろう自分に気づくであろう。
そこそこの幸せに満足できなかった人は、いつまでも理想を追い求めるしかないのです。
自分の理想に殉じる、その意味では幸せでしょう。
⚫️20240616
🔴音読すれば分かる
「誤読も含めてその人の理解力」ということで、
『読書百遍、義、おのずからあらわる』であり、百回読めばよいと言う読者のかたがおられました。(スマホ中毒の現代人には無理だとは思うが)
平易な文ばかりではつまらないという点も、もっともなことだと同意いたします。
「門前の小僧習わぬ経を読む」と申しますように、
繰り返しによる「薫習」で自然と身につくやり方もあります。
BSの、鈴木保奈美『あの本、読みました?〜』で取り上げられていて……
40年にわたってベストセラーで、東大生がもっとも買った文庫本一位だった、外山滋比古『思考の整理学』の一節が強く思い出されたので引用しますね。
> 【声で考える】のは、現代人においても決して見すてたことではなかろう。
書き上げた原稿を読みなおして、手を入れる。
原稿は黙って書くが、読みかえしは、【音読する】。
(中略)
そして、【もし、読みつかえるところがあれば、かならず問題がひそんでいる】。
再考してみなくてはならない。
沈黙の読み返しでは、
たいていこういうところを見のがしてしまう。
声は、目だけで見つけることのできない文章の穴を発見する。
声は思いのほか、賢明なのであろう。
[※ 【】は私が挿入]
音読してみて、「読みつかえる」箇所がないか検証してみるのは有効であろう。
コトバは音にすることによって、言霊となり、文字とはまったく違った作用を起こす。
昔の、論語の素読は「音読」であった。
グルジェフも、『ベルゼバブ』をはじめ自らの著書を弟子たちに音読させた。グルジェフの文章は、イメージを喚起させる書き方をしているからである。
果して、ブログ『伊勢-白山 道』のリーマンさんの文章が繰り返しの「音読」に堪えうるものか、読みつかえる処がないか、調べてみるのがよろしかろう。
__ 以上、
目ぼしい投稿をピックアップしたが、最後はやっぱり「日本語」に行き着いちゃうね。
音読してダメな文章は、悪しき日本語であるとは至言ですね。
_________玉の海草