『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

《問題作》 女のうえに 「用事」 のない男が、語ると……

 

__ 《問題作》とは、伊勢白山道に投稿して掲載されたが、後に削除された拙稿や、コメント欄に不掲載だった拙稿のうち、見るべきものもあるのではないかと自己救済して、あらたに書き下ろしたものも含めて、ここに私的に発表するものである。

      *   *   *   *   *   *

テーマは、昭和の「男尊女卑」から、男女平等の機運が高まり、女性の社会進出を招いて、いまの日本の労働力を担うのみならず、文化・芸術方面の創り手や実業家としても鼻息の荒い女性たちは…… 

いよいよ主張がはげしくなって、選挙にしろTVにしろ、女性層の支持するものが社会の主流となってきた。

そんないま、見えない水面下で、女性に向けられる視線の質が如実に変わりつつあると、私は強く感じる。昭和の男たちが「女性なるもの」について懐いていた憧れやら崇敬、そして人間的な親しみは急速に萎んできている。相対的に、いまの女は昔に比べ魅力がなくなったと思う。

【三砂ちづる女史には、名著『オニババ化する女たち』(2004年)もある】

 

【合気道七段、文武両道の真インテリ・内田樹さんのご推薦ならば必読書であろー。遊廓の女性(にょしょう)は、そんな段違いに凄かったの! 

吉原の遊女は自信たっぷりに嘯(うそぶ)いたとさ、「(吉原女は)とうてい、地女(じおんな=普通の民家の女)のおよぶ処にあらず」と。

吉原花魁> 吉原遊女> > 江戸の地女>>  明治の女> > >昭和の女> > > >  いまの女は…… 、推して知るべし。】

 

【吉原女の「地女の及ぶところにあらず」とゆー矜持。その口伝の伝統は、明治・大正と受け継がれ、昭和の御代にもストリップ芸の「花電車」として知られていた。

この芸の発祥は、大正期の大阪の飛田遊廓らしいが、東京の玉の井でも昭和初期に見られたそーだ。上記の新書は読んでいないが…… 

東郷隆『花はどこへ行った』の中に収録されてある短編「ブリンギング・イッツ・トゥゲザー」が、「花電車」芸人を主人公にした佳篇なので、少し引用したい。

花電車芸人の宣伝文句>『秘芸日本一、エンジェル・エミ』『茹で玉子を出し入れし、バナナを輪切り。吹き矢で風船も割るという驚威のアソコ!!』

「あたしたち芸人は毎日、腸を空っぽにして、逆立ちします」

「腸をおなかの中まで下げておかないと、力があそこに入らないンです。身体が鈍(なま)ったと感じたら二週間ぐらい食事抜いて、膣内(なか)を締める練習ばかりやります」

「人を乗っけない。見せるだけだから花電車というんですけど、この手の芸人になると修業は厳しい。身体を酷使して、あそこが使いものにならなくなってしまう恐れだってあります。」

__ この「花電車」とゆー芸は、元は遊廓のお座敷芸だったと云ふ。吉原遊廓は北条家の忍者・風魔党の流れを汲む。

聖徳太子の時代に伝わった、大陸伝来の「散楽」などは、単なる舞踊に止まらず、精密な体術・武術・奇術・火術なども内包するもので、後の世の「能楽」の源流ともなった。

観阿弥と服部半蔵と楠木正成が親戚筋であるよーに、能楽〜兵法〜忍術〜房中術と地続きの身体操作法であることを忘れてはならない。】

 

「女体」のあまりの神秘と深淵に、つい横道にそれたが…… 

先の戦争で崩壊させられた日本文化の地下水脈に流れる、男の秘かな思いを、男の更年期を迎え〜ED気味で〜年齢の自然により性欲から解放された〜わたくしが、覚めた目で女の生態を描写してみよー。「女の受難期の到来」か知らん。

 

 

● NHK総合『恋せぬふたり』第2話で、印象に残るセリフがあった

 「恋愛感情のない男女が、家族になる理由ある?

‥‥ アセクシャル・アロマンティック(他者に性的に惹かれないし、他者に恋愛感情を抱かない志向)の男女が、「恋はしない、でも独りはさびしい」と同居を始めるストーリーなのだが、観ていてなんとなく共感が芽生えた

男の更年期を経て、女性の性的魅力に反応しないで生きられるよーになった経緯も関係するのかも知れない(物心ついて以来、長年にわたって性欲に支配されて来た)

こんな心的指向があるなどとは、いままで一度も考えずに生きて来たと思う

社会的にみれば、セクシャル・マイノリティなのかも知らないが、ひとつの段階の境涯である可能性もある

「恋愛する」あるいは「結婚する」ことが人としての幸せだと思い込んでいる風潮…… これには「幸せにならなければいけない」と決めつける暗黙のコンセンサス(刷り込み)がこれを後押ししているよーにも思う

「恋をしない人はおかしい」とゆーあなたも、実は充分におかしいと云ってもよかったのだ

 

 

● 女は、「女とゆーもの」を画一化して見ないでほしいと口にする。

例を上げれば、「あたしとオバサンは違うのだ、一緒にしないで。」と。

・ハタチ後とハタチ前。

・高校生とオバサン。

・売り出し中の十代と、賞味期限切れの三十女。(『恋のから騒ぎ』基準)

・結婚前の未婚女性と既婚者であるオバサン。

いづれの対比も、女同士で行われるもので、酷い差別意識に心底驚かされる。

いわば、女としての商品価値(男社会が決める)を、当の女性たちは例外なく意識していることを証ししている。

女心の根底にある、いい男を射止めた(結婚した)女が勝ちとゆー価値観。

いい男と付き合うことではなく、自分のもの(夫)にした者が勝ちなのである。

いい男は、色々な女とつきあったが、最終的に私を選んだことに意味があるのだ。

これが男の私から観た偏見ではないことを示すのに、恰好な事例がある。

男の立場からしたら、女のこの態度はとてもとても信じられないよーな反応なのである。

【女は浮気されたとき、自分の夫を責めることなく、浮気相手の女を攻撃する】

男は、妻の浮気相手へ怒りが向かうより先に、自分を裏切った妻にまず怒りの矛先が向かうものだと思う、女のよーに夫の浮気相手を殺すところまでは到底行かない。

女が、同性の浮気相手に怒りが向かうのは、他でもない彼女(盗人女)が自分の既得権益を侵したからである。自分のものである夫を奪ったとゆー解釈である。男からすると女のこの思考は全く理解が出来ない。違う生き物を見るよーな目で見ていることだろー。

 

昔の大奥は、いまで云えばナース・ステーション辺りか?

女の群れつどう場所は、鬼門である。

瘴気があるとまでは言わんが、実際には血の匂いがする。

女性が、女性同士間で厳密に定めたランク(地位)付け、

レディースも宝塚も、タテ社会である。

 

 

●  “ 赤んぼうから「オバハン」へ〜 移りにけりな徒(いたづら)に ”

赤ん坊って、きわめて不思議なもので……

愛されるよーに仕向ける特殊な能力がある。

頭が大きいとか柔らかいとか、いくつか特徴があるが、同種の人間たちから愛されるのみならず、異なる種〜例えば猫とか犬とか、野生の狼などからも決して異物として攻撃されることもなく、大切に保護される。

赤ちゃんを攻撃できるのは、真の “ SATAN ” のみであろー。

 

人間とゆー種にあっては、乳児・幼児・児童と、その「愛され方」は継続する。

子どもは地域全体から愛される、地域の活力の源である。小学生から中学生へと、だんだん頭が小さくなり身体の筋肉量も増してくる。

これがヒゲ生えたり初潮を迎えたりすると、すこし様変わりしてくる。社会の基本単位「成人」となる予備軍みたいな扱いに変わる。

それから、なんやかやと成人式あたりまでは社会の庇護を受けて育つ。モラトリアムの大学生も完全な「大人」扱いではない。

 

社会に出るとは、一個の大人として働くこと。

もし高卒で働けば、そこから男は最早「保護される」扱いはされない。

 

そして花の20代、さんちゃんは名物番組『恋のから騒ぎ』で、30歳手前までを「若い女の子」として、ちやほやして、アラサーには喜劇的に手厳しく当たった。

男性社会から大切にされるのは、29歳までだと線引きしたのだ。

人気のあった番組だけに、社会的影響は大きかったと思う。(さんちゃんは「バツイチ」も発明なさっている)

 

ーさて、ここから本題だが、

女性は、若いうち特に大切にされるのは何故か?

子どもを産むこと、育てること(母親として景仰される)が種の生き残りの基盤、あと容姿的な見た目の可愛いらしさ、性的な魅力あたりが代表的な理由かしら。

女性は少女時代から既に、自分の「愛される価値」とゆーものを肌身にしみて解っている。

その未成年女子の間での競争は激しく「15才過ぎたらおばさん」とか象徴的に云われたりする。

社会的な商品価値として、「女子大生」「女子高生」ブームが起こったことも大きい。消費の喚起や購買促進の意味合いから、社会全体の出汁につかわれたとも言えよー。

 

女性が大切にされるのは、何歳までか?

男が女性にお金と手間をつかう、それも自主的に熱心に口説く・仕える・貢ぐのは、女が生物として魅力がある年齢にある場合のみである。

わたしも、若い時分に異様に女性の腰のクビレに惹かれることがあって、不可思議に感じたのだが、なんのことはない……

生物学的にいえば、腹部がくびれていることは「現在、妊娠していない」と示す外的な特徴であるとの事。

種の保存のために、私は無意識に「繁殖」を念頭においていたとゆーことになる。

 

性的な歓び(種の存続の為のプログラム?)と、子どもをつくる為に、男は女を大切にしてきた。

社会もまた、女性の欠くべからざる貢献を認めているから、女性特有の条件も社会に取り入れられた。(生理・出産休暇等、実際は運用されていない様だが)

 

ーじゃあ、この優遇措置がとっぱらわれたとき、女性はどーなるか。

とっぱられないよーに女性化同士でスクラムを組むのである。

例えば、男の子に「男らしくしなさい」と育てたのは、「女性」を護らせる躾でもあったと思います。か弱いもの小さいものを守りなさいと、その代表が「女・子ども」と一括りにされて特別扱いされました。

会社でも、女性は群れて集団的な圧力をかけます。

女性の見えない戦略、それは昭和頃までは見事だったと思います。「大和撫子(やまとなでしこ)」とゆー日本婦女子の理想像に秘められた、おそるべき戦略、女性の魅力を最大限にひきだす為に昔の日本人のとったシステムに、たいていの男は嵌められます、それも自ら進んで。

 

現在は、男女平等を社会のスローガン(決して履行されないから叫び続ける)にして、女性の社会進出や女性リーダーがもてはやされて、昔日のせっかくの智慧(叡智といっても過言ではない)を無効にしてしまいました。

だからいま、女性たちは大変なストレス下に生きておられることでしょー。

 

「オンナの生きにくい時代」

性別で分けずに、男女の機会(チャンス)平等であるはずが、男女の条件(労働条件等)平等になってしまっている所に、そしてそれをオンナが受け入れている所に悲劇がある。

一か月のうち、沈んで調子の悪い期間がほぼ一週間は確実にある人と、一か月丸々調子のいい人と、同列に働けるだろうか。

オトコは、いままでもそうやって働かされてきたのだから男女平等でも問題はないが、オンナはどうだろう?

オトコと同じように働かされて不利なのは明らかである。オンナの引き受けなければならないストレスの如何に膨大なことか。彼女らはいつもイライラしている、憐れでならない。

オトコは、オンナが崩れるのを待っていれば、好機は自然と訪れる。

見かけが近づいたからといって、男女を同質のものとして認識している人は、つねに情況を見誤る。

 

「オバハン」とは、男性の庇護をうけられなくなった女性の総称です。

彼女らは最早、男の獲物ではありません、男は追いかけません、彼女たちの為に何もつかいません。

いつから「オバハン」になるのか、個人差が著しいです。

たとえオバハンでも、ご近所付合いや仕事付合いがあれば、その中では、そー無碍に扱われることもありません。

社会的に貢献しているとか、親しまれている、仁徳があるオバハンは、大阪では特に「おばちゃんと呼ばれ、地域の尊敬を集める社会的な存在です。

 

「おばはん(おばさん)」と呼ばれる時点で、ほとんどの女性優遇措置はとっぱらわれています。

一個の「人」として、直面されるのです。ちやほやされた過去をもつ女性にはショックでしょー。男はしかし、社会人になった瞬間からそのモードで生きています。

一個の「人」として、「おばさん」「おじさん」はほぼ男女平等だと思います。

閉経して更年期を迎えたら、尚更に男女は平等になってきましょー。

 

その、女性への特別扱い、庇護、遠慮を意識的にとっぱらったのが、昨日の私の投稿です。(下記に引用)

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> ● 話したとて、どーなるものではないが……

ご自分が責めている相手と同じことをしていることに気づきましたか。世間では「語るに落ちる」と申します。

わたしは「女性化」に抵抗しているのですよ、男にとって女性の生き方は直接参考になりません、月一の生理もないし出産もないのに対し、

女性の性ホルモンはダブル・スタンダード(発情促進エストロゲンで「待ってたわ ♪」 & 発情抑制プロゲステロンで「おととい来い」)、不安定な情緒に異なる価値観、安易に一緒くたに同意を求められても応じられません。

ここ(ブログ『伊勢-白山 道』)では、ほとんどが女性投稿者ですから……

私もやっと、口に出して云えるよーになったんです。

女から解放されて、いままで無駄な気遣いしてきたなと。もー獲物じゃありません、もー追いかけません

 

あれは、あまりにもモノ知らないんで、正直に口にしたまでで……

何故そんなに、優しさとか思いやりに神経過敏なのかしら?

いつもしてもらうことを期待しているからです。

「他人様に思いやりを求める」ってのは、「道徳」ではないよ。

ほんと今のひとって、精神年齢ひくいと思う。

してもらわなければやっていけないなんて、子どもです。

_________

 

はじめて、「優遇されない女性」の立場に置かれる経験をした人もいたんではないかな。

むかしの文人は、女性のことを「やらずぶったくり」「やらずぼったくり」とよく云ったものです。

但し、そーゆー「恨み節」が出るのは、男が頼まれてもいないのに「アプローチ」するからです、つまり昔の女には、男が問答無用で突進さざるを得ない魅力が間違いなくあったのです。

いまは違います、その最初の獣性的な突進が見られなくなりました。その結果、女は仕掛けられて発動する「後の先」の戦術がつかえなくなったのです。

あらゆる種の生物をみても、雄(男性性)は「追いかける」前提で、雌(女性性)は「待っている」前提なのです。

この自然の摂理を無視して、「追いかけない」男を前にして、女に何が出来るでしょー。ここで注意しなくちゃならない事は、彼は「ゲイ」ではないのです。

女性のうえに「用事」を持っていない男性は、これからも増えつづけるでしょー。

いままで、女性に払われなければならなかった社会的義務(マナー)を放棄したら、いったいどのよーに反転するのか。

むかしは、女神かとばかりに崇め奉りましたが、現在の女性たちにはそんな魅力はありません。

心して相手してくださいね、でも「女を必要としない男」は、付き合いが楽です。

ただ、女にまったく期待していない人は、言葉のもっとも残酷な意味で「正直」だとは言えます。

 

 

● いま、リーマンさん(『伊勢-白山 道』のブログ主)の応答コメントをルーシェ検索(ブログ内の高速検索システム)で見てみてください。

質問している人の10人に1人も、男性はいません。

おおむね、女性なんです、そして口を揃えて「世界が大変なときに、われよし(=自己中の)の質問で申し訳ないのですが…… 」と頭につけます。

このへんの感覚が、母胎をあずかる事からくるサガ(「産む」とは創造です)なのかも知れませんが、自分だけはゆるされるとゆー思考回路は、女性に特有のものです。

駐車場の「通路」に車を停めて、「通路」を塞いで通れなくするのは、女性に顕著な傾向なんですよ。(但し、女々しい男は停める様です)

オトコは論理的で整合性(何事にも筋を通す)をとうとびますから、駐車場の通路を塞いだら、駐車場として機能しなくなるのが直感的にわかる人がほとんどです。

「空間概念」の分野でのIQが、女性よりずっと高いとは云えます。

女性は、自分一人ぐらいは、自分だけはゆるされるとばかりに平気で通路に停めるのです。

わたしは、実際に出られなくて苦労したことがあります。スーパーの駐車場でした、「ちょっとだけ買い物だからいいでしょ」と、私の車の前の「通路」に停めたとゆーのです、見た目は普通のおばさんでした。

それと……

さっき思い出したんだけど、職場でも倉庫でも、通路にふさがって我が物顔に商品を広げて、他の人が通れないよーに仕事をしているのは、きまって女性社員でした。

そこ(通路)で仕事をしたら、他人が通り抜けられないと、脳内で想像出来ないのです。職場の見取り図をパズルのよーに、脳内で描けない(空間認識が鈍い)からだと推測します。

挙げ句の果てに、「邪魔だったら何か言ってくるでしょ」と開き直り、ふてぶてしく居座ります。文句言われた時のために、むげに怒りをぶつけられないよーな可愛い嘆願「ごめ〜ん ♪」を入念に用意しておきます。もし、キレられたら、こんな事くらいでキレる相手がおかしいと周りに思わせるよーな、周りの共感を誘う芝居を見事にこなします。

何十回と観てきた、ベテランのオバサンの生態です。

もひとつ云えば、出入り業者にたいして、おもて向きは如才なく親切に振舞い、陰では平気で後回しにしたり、長い間待たせたりもします。

力関係の上下に敏感だと言えます。軽い気持ちで差別します。社員と派遣の間でも、自分優先を主張するのは女性社員に多いです。女性は一般に選挙を棄権しません。なぜなら、既得権益はたやすく手放さないからです。

 

つらつら具体例を述べてきましたが、すべて繰り返し私が経験した実話です。勿論一部の人達ですよ、ただ積極的にこちらからコミュニケーション(気を遣うこと)をとっておかないと、こーゆー憂き目に遭遇することになるでしょー。

そーゆーサガがあります、世界の中心にいるのは自分だとゆー意識が確実に根付いていそーです。自分を「客観視」(鳥が空から見ているよーに全体を俯瞰する能力)するのは、いかにも難しいよーです。

そー指摘されても、認めたがらないのもまた女性なんですよ。「私はちがう、そんなひと(女)たちとは違う」と。

 

ダメ押しに、歴史を例にして権力者となった女性を見てみると…… 「中国三大悪女」と呼ばれた、呂后(漢代)・則天武后(唐代)・西太后(清代)が、玉座に座るときに見られた、共通する現象がある。

男とゆー生物は、ある日突然王位につけられても、王である自分を受け入れられずに四苦八苦するものらしい。自分に不相応な立場にビビる小心者なのである。慣れるまでオドオドしている。

卑近な例えだが、男はいきなり社長の椅子に座らされても、すぐには社長として振る舞えないのだ。

女はそーではない。いきなり王位につかされても、次の日には既に「女帝」としての貫禄を帯びて、平然と女帝然として振舞えるものだと云ふ。

穿った観方をすれば、玉座につかされて即座に事態を掌握し、スムーズに適応したとゆーよりも、女は恒に「女王然」として生きているとゆーことである。

社交辞令として、立場上は会社に仕え、家に仕えしていても、その本質は、「太っ腹な女王(世界の中心)」の意識なのでしょー。

すべての女がそーではないが、女帝の立場と、身近な例では息子に嫁を迎えた「姑」の立場とは相似形であろー。権力を握ったとき、欠かさずそれを行使する、それが女性の特徴である。

歴代の悪女の、最高権力者に成った際の切り替えの速さ(態度の激変)は、それは見事だったとか…… 

西太后は、近年に現れた女傑なので写真があるが……  若い頃は人目を引く美人で、老年になってからも小綺麗なおばさんである。女性は普通の感覚で、身を割くよーな出産の苦しみにも堪えるし、平気で他人に残忍にもなれるのである。その「普通さ」「何気なさ」の内に、女性の真の恐ろしさが窺われる。(彼女のお写真は、「魔除け」にもなりそー ♪、ここには掲載できない雰囲気があります)

 

__ 最後に、類まれなる「心揺さぶる歌声」をもつシンガーをご紹介しておきましょー ♪

リーマンさんが注目なさったアーティストなので、(伊勢白山道の引用は厳禁につき)、出来るだけ正確に彼の審神をお伝えしましょー。

・彼女の声は【二重波動の癒やし】を持つ珍しい声であること

・彼女の声の波動は、【チベット密教僧が読経するときの波動】と同じ意味をもつこと

[※  2017年2月11日のコメント欄にて、読者の質問「現在活躍している歌手・俳優のなかで光っていると感じる人は?」に応えて、上記のリーディングを披露する。そこに添付されたYouTubeの引用曲は『誰より好きなのに』の「MP3」版でした。]

 

それでは、特別な「癒やしソング」をあなたに…… 

古内東子『だいじょうぶ』『誰より好きなのに』をお聴きになって、怒りで真っ赤になられた御心をお鎮めになって給ふ。

この、ロンパリ(賢い)で蓮っ葉な風情なのに、咲う(破顔)と上品で不思議にあたたかな東子さん、私は伊勢白山道で注目される前から、ヘビー・ローテーションしておりましたよ ♪

 

古内東子  大丈夫

SMDR公式HP「otonano」で定期公開される映像プレイリスト「極!音楽映像万博」第6弾、“CITY POP魂🔥”の1曲として公開。 ...

youtube#video

 

【TBS系の東芝日曜劇場『オトナの男」主題歌(1997年)】

 

古内東子 - 誰より好きなのに Music Video

1996年5月22日リリース 7th.シングル 「誰より好きなのに」 MUSIC VIDEO

youtube#video

 

【 YTV・NTV系ドラマ『俺たちに気をつけろ。』挿入歌(1996年)〜保阪や袴田と中谷美紀が共演した、卓抜なストーリーが記憶に残るドラマ、弁護士役の保阪が車椅子にのるよーになってからが、頗るカッコイイ ♪】

 

__愛されるために微笑んでいよーと決意する、これは妊娠前の雌女、

愛するあまり微笑んでしまう、これが聖なる母御の大母性(=女神)、

その子は一生死ぬまで「おかあさん」のその聖母の微笑みを忘れない。

 

それなのに、嗚呼それなのに……

近頃はその母親といえども、子ども達の一番の味方ではない。

何が可哀相といって、幼い自分のすべてを任せきった母親から、そのいたいけな生命を絶たれる幼な子ほど、憐れな者はコノ世にいない。

母性に目覚めることのなかった女は、かくも残酷な所業ができるのである。幼な子にとって、「母」とは神に等しい存在なのに…… 

人類の有史以来、いかなる聖者といえども、母親の胎内から産まれなかった者はいない。

 

  女をば法の御蔵と云うぞ実に    

  釈迦も達磨も

ひょいひょいと生む (一休)

 

女をば法の御蔵というぞげに、

釈迦も達磨も

出ずる玉門     (一休)

 

[※  ふたつのバージョンを載せました。「法の御蔵(のりのみくら)」は、仏法を内蔵する有難い蔵。「玉門(ぎょくもん)」は、解りますね、大事な処です。]

            _________玉の海草

 

 

 

 

 

コメント一覧

記事の「追い焚き」ー玉の海草
某牛丼チェーンの常務が、マーケティング戦略の講師として「アウトな失言」を繰り返した件について書いた拙稿が、本記事と密接な関係があるので掲載する。
批判を浴びた彼の失言に触れると……
・「生娘をシャブ漬けに戦略」と笑いながら繰り返し発言した。
・「田舎から出てきた、右も左もわからなき若い女の子を牛丼中毒にする。」
・「男に高い飯をおごってもらえるようになれば、(牛丼は)絶対に食べない。」
__ 上記の失言をする前に、I常務は「不適切な言い回しで、不愉快な思いをされた方がいたら申し訳ないんですが」と前置きをした上で発言したそうです。

(拙稿)>
 裏読み
牛どん常務の失言に対して、ヒステリックに生理的な嫌悪感をあらわす女性が多い印象がある。もう問答無用に人間以下の扱いを受けている。
同性からしたら、893映画の好きな人なのかなとか、女性のいる場でそんな発言は完全にアウトでしょ、とは思うが、ちょっと意気がったヤンキーっぽい男なら言いそうだなくらいか。(少し同情的)
今回の失言者は、社会的にも地位のある人物だから、人格否定的な言い方で責められるのも仕方がないのかも知れない。
昭和の時代は、もう少し女性側に寛容さがあった、それは男性の単純さや馬鹿さ加減を知っているがゆえの憐みでもあったと思う。

今回のことは、エラい重役の罪だが、あまりにも責められる姿をみている男性たちは、少なからず無意識のスイッチが入ることだろう。
結婚しなくてもよい、もう沢山だ、(女は)必要ないと。
結婚相談所に登録して婚活している人びとの男女比は、(相談所ごとに個性があり、すべてに当てはまるわけではないが)均すと、おおむね女性が六割以上を占めるようだ。
昭和の頃は、男性の割合が圧倒的に多いものだったが、明らかに様変わりしている。
男は結婚したくない、女は実は宿命的に結婚願望が強いのだ。
いまの時代、そんな女性の本能からすると、生きにくいし不利な情況に追い込まれている。
女性の発言力が高まり、女性の購買層が大きな力を持ち、女子校生がモードをリードする現代日本社会。
女性は男女完全平等社会を実現すべく、好機とみてここぞと邁進なさってるのかも知れないが……
社会制度としてはそれでよいにしても、現実的な場面では女性のそんな姿に「ノー」を内心突きつけている男性が多くなったように感じる。
あんまり、強い女性の姿ばかりは見たくないものだ。
彼らは賢く、常務みたいに公の場で口に出すことは一切ない。
世の中、去勢されたような男ばかりではないからね。
品行方正な男性像を押しつけられて、我慢できない人もいることだろう。

問題は、女性を性的に見ない男性が確実に増えているってこと。バーチャルは生身の肉体を相手にしない。
女性との同居に興味がないのですよ、ひとりでいいと思っているんです。こんな男たちは婚活しません。
この現象は、昭和の時代には想像だに出来なかったことです。彼らは、この常務のように「女好き」ではないのですよ。
彼女らが蛇蝎の如く嫌うこの常務といえども、「女性に魅力を感じる」という点においては、御しやすいし役に立つ旧来の男性とも云えるのですよ。
反対に、新しい時代精神を担う令和の男たちは、社会的にみて、実に始末に困るひとになって仕舞っているという事です。
いまや女性の求心力は、ガタ落ちしていると、私は結論づけています。

ー昭和の時代、女性は男にとって「女神」だったが……
令和の時代、女性は男の真似をして、その神々しい魅力を自ら放棄してしまった。その結果、必死に婚活せざるを得なくなってしまった。待たせて焦らす芸を身につけた女性(にょしょう)=【大和撫子】が、地を掃ってしまった。
みずから蒔いた種(男に傲慢に接する)であり、みずからの首を絞めていることになる。
一夫一婦制の結婚制度とは、女性の為には有利なものであったのに…… それすら気づかない女性が、あまりにも増えた日本では、彼女らの知らぬ間に男がそっぽを向き始めている。
玉の海草
ほうほう、モン・サン・ミシェルに行かれたことがあるんですか、あそこは上にある中庭みたいな空間といい、修道院といい、拷問部屋あってもおかしくないよーな、オカルト空間ではありますねえ、リーマンさん絡みの宗教施設なんですけど…… ちょっと血腥い匂いがするよーな。

わたしも、これでセールス経験あるんですよ。最初の訪問販売はキツかったです。演歌の大御所古賀政男の甥っ子さんが支店長で、国立大学や有名私学の同僚男女7〜8人と研修しました。みっちり営業マニュアルを教え込まれ、古賀支店長は中央大法科のインテリですので、みずからのコロンビア・ステレオの営業トップだった実績を踏まえて、実に惚れ惚れするよーな面白い教え方をなさるのですよ。
家庭の主婦を蕩す天才みたいな御方で、私の女性観に甚大な影響を及ぼした人です。限定品に弱くて、共犯者意識で繋がると成約できるとか、さすがの法科で訪問販売法ギリギリの手法もありましたが、誠実な仕事をしていないと、彼のよーに長く勤められないのも事実です。売り付けられた主婦から人気があるんです。眼鏡はローデン・ストック、時計はロレックスでした。
さんざん、詳細にわたって、新卒連中に売り込み秘伝を惜しみなく伝授して、彼の凄い処は、その通りに実践して、私達に買わせるのです。
皆残らず、ABセット二種類しめて25万、決していやいやではなく、進んで買わせるのです。
わたしは、大阪にいて、岡本太郎・小田実・宇野正美と対面していましたが、古賀支店長ほどのオーラは、極めて珍しいと感じました。スサノオの両面をみごとに具現しておられました、場を圧倒する雰囲気をお持ちでした。
ああ、ここにも天才がいたと大喜びして、必死に喰らいつきました。ちなみに、研修終りの売り込みで、一セットしか買わなかったのはお前だけだ、と妙な褒められ方をしました。
最初は、職域とか調子がよくて、支店長から目を掛けられましたが、なにせ訪問販売は直接対面ですので、しばらくして精神を病みはじめました。
結局半年過ぎた頃でしょーか、辞めました。しかし、その後も今度は卸セールスと通販、ルートセールスと小売と、体系的にすべてのセールス業態を経験してみました。セールスに見切りをつけたのは、利益計算と利益意識がもてなかったことが原因かと思います。
向いてないなと思い、一転技術職を目指したのです。
職業選択は、やはりご縁ですね。しかし、先輩は真の苦労人でいらっしゃる。
この上なく贅沢な酒呑み相手ですな ♪

伊勢白山道に寄ってくるのは、割りと昔ながらの日本人が多いよーな気がします。すると、コメント欄は面白いプロファイリングをした、第一次資料が集まるわけです。ネットの性質上、無意識の声を収集できますから、一般人の風俗資料としても、精神修行の成長記録でもありますし、まじめな日本人の潜在能力を探るには、これ以上ない資料となりましょー。
言葉遣いはじめ、言い回し、知識程度、文章の完成度をみても、教育の内容が知れますし、皇室の話題も多いですから神国日本の真実も探られますね。
時代精神を直かに、画面に打ち込んだよーな、生々しくリアルな生態記録になること請け合いです。
だから、くれぐれも慎まなければならないのです。
まー、先輩の文章には醜い乱れがありませんけどね。
わたしはよく、実験的に投稿することがあります、いまだ北極星神界から来たことを疑ってかかっているのでしょー。ときどき草稿が消えるのも妙な体験です。なんらかの磁場は存在するよーですね。敬愛の念を懐きながらも、人事を尽くして、命知らずに挑戦することはあります。

しかし、愛子さまの薄いブルーのお召し物、ひときわ素的ですね💗
Unknown
祝♪北の若勝ち越し 
唯一の海外旅行でモンサンミッシェル行ったなあ。坂道に面した建物は印象的だった。

今は嘱託ですが退職前はエラそうに見える席に叩上げ二人、サカショウとサガショウ、東北と九州が並んで仕事してました。期間限定で新入社員の教育があり叩上げが一流大学卒を指導した。中には東院生と京院生もいたり… 自分は職人サラリーマンだと思ってますから教えるのは職人技です。学識に対抗出来るのはそれでした。たとえばクレーム対応など実践で見せてやらせる。基本事務職なのに退職前に思いがけず営業担当になった。電話セールスの話法やDM活用の指導、効果的なDMは大型封筒を使用してパンフレットや申込書は折らずに返信用封筒と共にクリアファイルに入れて丁寧に郵送する。「顧客の目に付きやすくて簡単に捨てられない。」久しぶりの営業仕事でしたが、新人も成長して行くのが判りました。ただ此方も「おーい、この英文の意味を教えてくれよ」分からない事は新人に率直に聞いてた。
キャンパス・ライフは知りませんが、家の「ちび部」の一人が去年まで大学生でしたので、機会があれば電車で15分と近くキャンパスを訪れ雰囲気を味わってました。

伊勢白山道は後年に検証研究されるのでしょう。ルーシェさんの検索では確認出来ませんでしたが、私の記憶違いでなければブログの「コメント欄」を研究する人が現れると… そうなれば100年後200年後もっと先にHN「玉の海」関連は研究対象の一人となる。それを見据えて投稿内容をを吟味されている。というのが私の夢想小説です。私が自分の「生活」中心に投稿するのは、その言葉があったからなのです。

随分前ですが、親戚にカラクチさんの荘内館の先輩がいてそのOB会での話を聞いた… 
俺、サタカさ言うたなや「あんまり無理すんな」って。したばサタカ泣ぐもんだけ。カラクチさんのサイン本の言葉 “流れに抗して”は、三樹夫を筆頭にEastの伝統なのか?
これからもコメント欄での職人技(DNA)を期待してますよ♪
Unknown
「オバハン」には笑わせてもらいましたよ。家の「ちび部」に口では敵わないので、悔し紛れに「オバハン」と呼んでいるのは私です。

長男の私は、市内の大火で地元就職が叶わずに上京しました。今でも不思議に思うのですが導かれるように迷い無く直ぐに気持ちの切り替えができた。漠然と高校時代から何者かの守護を感じることがありました。今となり知って思います事は、それぞれ10代以上に渡る父方の職人家系と母方の宮司の家系、強力なご先祖様が居られたのでしょう。

>もし高卒で働けば、そこから男は最早「保護される」扱いはされない。
その通りです。私が恵まれていたのは上京して右も左も分からぬ高卒新人達に、会社でも寮でも超一流大学を出た学卒の同期、二年生の方達が大変良く面倒を見てくれました。私生活では20代後半に東京で、30過ぎに大阪の支店で連続撃沈した私…35の時に入社時の学卒の先輩の紹介で身を固めたのです。あれから二十有余年、今の「オバハン」と言うのはやめて「おばちゃん」と呼ぼう。

手元の推敲文も加えるときっと広辞苑の厚さを超えるでしょう。推敲を重ねた投稿を待っている目の肥えた古い読者の方は多いし、投稿するときは慎重にクリックする。毎年届く大阪でフラれた女性からの年賀状は嬉しいものだ。幸せそうで、大阪はエエトコダッセ。直感ですが、私から伝えるまでもなくリーマンさんは此方を訪ねているはずです。知らんけど。
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