『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

《玉断》 続 「団塊の世代」〜 お孫さんは意外に立派である

2022-07-23 12:12:05 | 危機感

__ 「団塊の世代」に対して一言ある人は、何も私に限ったことではなくて、ネット世間で噴出する苦情を並べてみると…… 

 

> あの世代、団塊の世代のインテリの人たちって、最終的な責任は取らないでまぜっ返して面白がっている的な無責任さがありますね。評論家さんたちにもかなり。

 

2病イコール団塊の世代の思想に似ていませんか?

権力にはとりあえず反対して、大騒ぎで武力で駄々をこねていたり、意見が違うとボコボコにするとんでもない行動力。

いまだに、地域会合でも一言大声で発言しないと気が済まない幼児性。といつて、やるべきことをやるよりも、ウロウロしながら顔を突っ込んではかき回していくところ。

 

私も団〇の世代の方達に、やたらと憲法〇条信奉者や、お題目のように「平和、平和」と唱える人が多いように思っていました。

あの世代の方達は直接は戦闘には参加している世代ではありません。

 

今の団〇の世代の方が全員、左依りとは思わないですし、80代以上の方が全員人格者だと言っているわけではありません。

割合として、多い、もしくは少ないと自分で勝手に感じているだけです。

〇塊の世代の方達にまさか「あなた達のその原動力の元になってるのはあの時の空腹感なんでしょ」とは言えませんからね。

 

例えば団塊の世代の女性が殊更に男女平等を叫ぶのは、その母親世代が戦争を経験し「これからの時代は、夫を支えるばかりの妻じゃ駄目」と、娘には社会に出るよう促し、家事は教えてこなかった。というのです。

いつの時代も、前の世代のツケを引き受けながら紡いでいくんだと思います。

 

学生運動などで社会を斜めから見て「なんでも反対活動」してきた親世代は、そののちに髪を切って役所勤めや新聞社勤め、教師になって日きょう租さまを拡大し、日本国民の社会活動をけん引されてきたのでしょう。

その世代たちは今ではおじいちゃんとおばあちゃんだから、今更非難しても遅いですが、今でも、自分たちの生活第一で年金や株などを必死で握って、老人を大事にしろと越え高々に叫ぶ。

地域の話し合いの場でも、どうでもいいことをこだわっておお手を挙げて話し出すのはこの世代。声もでかいし、握りこぶしでアジ~してます。そして、一人が発表しだすと、我も、我もと、次々に議題の重箱をつつきだします。

次世代の4050代の司会者達(地域のリーダー)は、これが始まると、しばらくは苦笑いで待っているしかない。

どこまで行っても、「反対」が好きなのである。この世代は。

 

テレビの街頭インタビューで、団塊世代が素敵な服を着て、お金のことを語るのを見ると、恥ずかしく思いますよ。

新しい世代、子育て世代の生活を何とかしたいという気持ちも見られず、ニートを養う自分たちの年金、株にかかわる経済を語る姿にあきれるし、赤面です。恥を知れと言いたくなる。

日本国民の弱体化は、明らかに団塊の世代が発祥元だと、私は思っています。 そして、次の世代、次の次の世代が道徳感の欠如を余儀なくされていきましたとさ。めでたくなし、めでたくなし。

 

団塊世代の親はとても苦労されてきましたが、団塊の世代は、不平不満を行動に移し、人を蹴散らして生きてきました。大人数なので、同年代だけでなく、その下の数年分の後輩たちの職、地位、給金すら、彼らはガッチリと自分たちのものとしてきました。

団塊の世代の後には、出世の道も、ポストもなく、いつまで居座るつもりだと、後輩たちは頭を抱えてきました。ぺんぺん草も生えないと、後輩たちは嘆いてました。

その挙句に、

団塊の世代の子供たちは、ニート多数。 働くこともせずに親の年金をアテにし、国税を収めることなく、国の金(親の年金も含む)で暮らし、狭い世界でひとり、人生を謳歌しているのです。

 

この世代は「やっぱりな」の世代。

だって、親が団塊の世代でしょうから。 私は以前から団塊の世代=超薄っぺらい先輩たちについて、イヤミを書かせていただいてきました。

戦争を知らず、立派な親の世代にしっかりと守られ、足の引っ張り合いを日常的にし、えげつない生存競争をしてきた彼ら団塊の世代。後輩の我々は、ほんとうに嫌な目にあってきました。

権力に対して異常な闘争心を持つ割に、いざとなると力の強いものに尻尾を振る彼らに、嫌悪感を抱いてきました。

そして、教育。

団塊の世代は自分の子に大甘であり、大量のニートを製造してきた。

そして、自分の子だけでなく、団塊の世代に教育をされてきた30代は少なからずいます。統計を取ったらものすごく面白い結果が出ると思います。

団塊チームは、自分には異常なほど保守的。でも他人にはすぐに責任を求める。プラカードをもって、団体で動くのがお好き。

反体制が大好物。今は引退して暇だから、またプラカードを持って霞ヶ関あたりを徘徊しています。

意味もなく反対をしたいのです。

そんな大人に教育されれば、

自分さえよければいい、生活費を誰かからもらって遊んでいられればいい。結婚は面倒だからしない、家族を養う責任もなく、オノレの快楽重視で生きる~(今回の事件のバカ父)

そんな世代を製造してきたわけです。

 

 

…… なんとまあ、酷い言われようです。しかし、傾聴すべきご意見が多かったと思います。これだけの目立つ「特徴」を持っている世代はそうそうありません。時代精神といおうか、世代全体がその傾向を有するわけですから。

こんなにまで言うのは、日本人というものに誇りを持っていらっしゃるからです。古き良き日本人が、絶滅しようとしているのが我慢ならないのです。

いまの日本人は、本来の日本人の美徳をもっていない。ごもっともだと存じます。こんどは、以下に私見を述べます。

 

 

🔴  貰ってばかりの人生 20220703

小網神社へ日参するという、金融界の鬼才・イトウ潤一(51才)の出演した番組を興味深く拝見した。

現在は、「東大金融研究会」の主宰をつとめる。

多様性を持つように他大学の学生もうけいれているらしいが、彼が学生たちに向けた言葉に引き込まれた。

(インタビューより)>

日本って、ギブバック(寄付)の精神がほとんど無いんですよ。

GIVE(与える側)の精神がほとんどないんですよ。

やっぱり(学生さんは)親御さんに守られて生活してきましたと。

今までの人生全部TAKE(受け取る側)なんですよ。

親御さんからTAKE、先生からTAKE、塾の先生からTAKE、下手すると地域社会からTAKE

先輩になったら後輩にギブバックしなきゃならないし、

同じ世代でも、できる人はできない人にギブバックしなきゃいけないし、

持っている人は持っていない人にギブバックしなけゃいけないし、

いろんな人がいる中で、社会が成立しているんで、自分の世界観が全てじゃない。

なので、他人の世界観をしっかり受け入れる、そこで融合させる、そういったプロセスっていうのを理解してほしいなって思いです。」

 

…… 古代インドにも人が生まれながらに負う「三つの負債」(神々・賢者・祖霊に対して)があるし、

現代アメリカにもPAY FORWARD」(感謝のリレー)のしきたりがある。

ラーマ・クリシュナだったと思うが……

神様たちへの負債があります。両親への負債があります。妻に対する負債があります………

両親への負債が払われないかぎり、どんな仕事もよくは行きません。

両親が満足しないかぎり、どんな信心もなんの役にも立ちません。」

と云っている。

[※  引用元が判明したので、付記する。「人間には払わなけりゃならない負債(かり)があるんだよ。家の祭神に対する借り、聖者(リシ)たちに対する借り、母親からの借り、父親からの借り、それから妻に対する借り。母さん父さんからの借りを返すまでは何をやっても成功しない。」(ラーマ・クリシュナ、訳:田中嫺玉)]

 

伊勢白山道でも、根源神への負債(お蔭さま)を表したものが、聖句であろう。

 

だから、さんざん親のスネをかじって大学まで出してもらった上に、独身貴族とばかりにひとり身を謳歌して、個人主義をつらぬき、自分だけのために投資し、中高年になるまで、TAKEばっかりの人生に、おそらく満足は生じ得ないであろう。

バランスがとれていない、陰陽☯️が完結していない。

愛情を受けてばかりいると、心が腐るとゆーのが私の持論である。

伊勢白山道は、負債を返すやり方を伝えているようにも感じられる。

団塊の世代から団塊ジュニアを経てその子どもの世代へと、いよいよ自分たちの権利の主張と国家から分捕ることばかり考える日本人が日増しに増えてきていた。

しかし、リーマンさんによれば、感謝を以て返済する日本人がまだまだいらっしゃるようなので、日本はなんとか保っている。

日本の個人主義は、西洋人の単なるサル真似で、本来の日本人にはそぐわないと私は思う。

おひとり様が、腐った蜜柑にならないように、ほんとうにお願いしたい。

 

🔴自信のない日本人 20220718

宮台真司賢人が言っておられた。(彼が昔取った統計データに拠ると)

自尊心のレベルが低い人は、公的な関心がないんですよ。……

自分に価値がないと思っている人間は、自己防衛に汲々とするでしょう。

余裕がない。

だから政治的な関心を持ちようがない。

 

‥‥ それが、日本の選挙で投票率の低い理由であるとのこと。

この間の参院選の投票率は、なんとか5割を越えて、なんとか二人に一人は投票していることになる。

うちの山形県は、6割を越えた。これは、何気に凄い数字なのだ。高齢者の人口が多い中で、認知症やら寝たきりで投票を棄権しなければならないお年寄りが沢山おられる。

高齢者の多数の棄権があってなお、60%越えなのである。

田舎人は、自己肯定感が強いと云えそうである。

 

都会人はほんとに気の毒だ、大地との接触がないからである。

大宮人たちの都会文化は洗練されていたが、「自然との交錯」がなかった。

『方丈記』に記すように、「京のならひ なに事につけても、みなもとは田舎をこそたのめる」のが都会文化の実相である。

都会には「なまもの」がない。加工され、人為の手垢のついた商品しかない。そして、(鈴木)大拙によれば、自然との交流のないところに宗教は生まれない。

「大地を通さねばならぬ。大地を通すというのは、大地と人間の感応道交の在るところを通すとの義である。」(『日本的霊性』45頁)

[※ 内田樹『武道論』より引用]

 

…… 親鸞さんも、京で学問していたときは、本質がわかっていなかったと云う。日本的霊性に目覚めたのは、流罪にされて地方で大地に触れたことからだった。

大地とか御山とか、巨きな存在感が「自信」には必要なんだろうね。安心感かしら。

日本人の自信のなさ(自尊心が低い)のために、日本人の幸福度もまた低い。

しあわせな人が少ない。不幸せを認めたくないから、無理して自らの幸せを演出しなければならない。お気の毒に。

不自然な環境に、不自然な過ごし方(働き方)、イライラが募る者同士がお互いのトゲで傷つけ合う。地獄絵図ですな。

自信のない人は、リーマンさんに頼るしかあるまい。

 

さびしい女性が増えている。

これは、日本の社会構造から来ている。多くの女性が考えもなしに、それにまんまと乗せられたのです。

哀れなことですが、自分から踏み出した道です、「強制したわけではない」といつも言われます。

女性の社会進出は、ほんとうに女性が望んだことだったのか、こんなにも不幸な女性が増えるとは予想していなかったに違いありません。

 

 

🔴 20220620

小さい頃に、野山や海の大自然にどっぷり浸った経験のある子は、違うと思う。

私は山だったが、森閑とした静寂(耳鳴りがするほどの静さ)と自分との境いがつかなくなって、森として生きている感じで、日ごろのしがらみから完全に解放されたとゆーか、異世界にいる感じが、民話の下地になっている気がする。

無音の雪原なぞ、侘しさ極まってかえって充填される感あり。

このとき、子どもは孤独ではない。

以後、大人になってからも心底ほんとうに淋しさに堪えきれないときは、深い大自然に潜る。

ほんとうに煮詰まった時に、相手になれる人はいない。それは人間では解決できない類いのことなのだ。

信仰とは、つねに相手がいるという事ではと思う。

神さまが自分の内にいるとは、なんておかしいんだと思いましたね

青い鳥と同じで、そばにいるのに遠くまで探しに出かけるんですよ。

自分で実感するのに、エビデンスは要らないんです。

根拠のない自信、否定しようのない思い、まわりが総て崩れてもこれは揺るがない立志めいたものは、大自然の森の静寂から直接ながれこんできたものだと思います。

人間をいやすのは地球ですね。

山奥でひとりぽっち、あれは孤独ではないんですね。

 

都会の人々は文字通り不自然です。土を踏めるだけでも違いますよ。

 

 

🔴素直な社員とは  20220719

鼻っ柱のつよかった私が、コテンパンにやられたことがある。

何年か勤め、向上心に燃えて、熟練した上司のおひとりに「こんな場合は、どうやるものですか?」と勇気をだして質問したことがある。

その方は、親切にこれこれこういう風にやると教えてくれた。

 

わたしは、なるほどと感心したものの、私のやり方には合わないので、教わった方法を実践しなかった。

当然うまくゆかず、ひとり伸び悩んでいた。

そんなとき、上役からも信頼されている先輩から注意を頂戴した。

先輩が言うには……

仕事の出来る上司に、教えを乞うのはよいことだ、

しかし、教えてもらった以上はそれを実行しなければ失礼だろう。もう教えてもらえなくなる。自分で勝手に判断してその実績のあるやり方を変えてはならないという事。

仕事を訊くということは、そういうことだ(その通りにやること)と懇々と説いてくれた。

 

わたしには、ハッとする見解だった。

ひとつとして、勝手に変えてよい所はなかったのである。

素直にやるとは、先人の経験則を守ることで敬意をあらわして、仲間に入れてもらうことなんですね。違うかな、、まだわかってない?

 

伝統芸能や武道の世界は、わざの伝承において仕来りが厳しいが、

煎じつめれば、師匠の心情に弟子が同期することで、「あれ取って」とか、言葉で言わなくても仕草や雰囲気でわかる状態になる。

教えてもらうとは、その情報量の濃密さはそれぞれ違うが、やっぱりこの「同期」が大切ですね。

自分の思い込みがわずかでも混ざると同期できない。

昔のコトバで言うと「啐啄(そったく)同機」ですね。

 

 

🔴新しい日本人か?  20220721

「新しい展開の世界」ってどんなのだろうと思いを巡らしていたら……

安倍ちゃんに献花に訪れていた高校生や中学生のお姿が思い出された。実に真摯に黙祷を捧げていらして、よくもこの日本でこんなにも立派に育ったものだ、親御さんの顔を見てみたいとフト思った。

 

「ゆとり世代」の後期が「さとり世代」と呼ばれるらしいが……

ゆとり世代→ 19872004年生誕

さとり世代→ 19962004年生誕

とすると、

いまの高校生以下は、【2005年以降】に生まれた、未だ名付けられていない世代である。(現在17歳位以下)

なるほど、新たに18歳で選挙権を与えられた世代ということになろう。意味深長な区分分けであると感じ入った。

 

もう一つ踏み込むと、これから成人に成る新世代は、「団塊の世代」の孫にあたる。

団塊の世代→ 19471949年生誕

ポスト団塊ジュニア世代→ 19751979年生誕

…… 「団塊の世代」が第一次ベビーブームに生まれ、「団塊ジュニア(19711974年生誕)」が第二次ベビーブームに生まれた世代なのだが、

「団塊の世代」のご子息にあたるのは、団塊ジュニアではなくて、その次の世代「ポスト団塊ジュニア」なのである。

そして、その「ポスト団塊ジュニア」のお子様たちが、いまの高校生以下の新世代ということになる。

 

実感しやすいように、世代の代表を挙げれば……

団塊の世代キタ野武、ヤ沢永吉、コ泉純一郎、イト井重里、ムラ上春樹、ヨシ田拓郎

ポスト団塊ジュニアナカ田英寿、ア室奈美恵、タケ田恒泰、ハマ崎あゆみ、イ藤英明、おーどりー

…… で、ポスト団塊ジュニアのお子様たちが、新世代となるわけである。

 

個人的な見解だが、日本の戦後態勢がマッカーサー占領軍下に統制されて、スリーエスに象徴される愚民化政策にみごとに洗脳されて、「権利」の主張や「自我」の主張が、「戦後レジーム」として推奨されて定着した。

本来の道に外れた日本人が、輩出し始める。

安倍ちゃんの「戦後レジームからの脱却」とは、御自らの反省も含めて、日本人として至らぬレベルの国民が増えてきたから、本来の日本人に戻ろうとする揺り戻しの露われだと思う。それが「日本を取り戻す」というスローガンに表れている。

 

戦後(1945年以降)生まれた「団塊の世代」より下の人々は、本来の意味での日本人ではない。大和魂をもった日本人としては認定されていない。(台湾人の評価等に見られる)

お爺さん・お婆さんから三代、いまの高校生以下の新世代は、戦後レジームで純粋培養🧫された三代目である。

わたしは、待つコDXにはギリギリ真正日本人を感じることがあるし、好きである。カノジョは「団塊ジュニア世代」に属していて、戦中派に育てられた最後の世代なのである。

やっぱりその下の世代(ポスト団塊ジュニア)は、待つコとは感性が違うと感じる。

 

ところが、その「ポスト団塊ジュニア」のご子息たちは、なかなか立派である。

[※  例えば、リアクション芸人・出川哲朗をリスペクトして、「出川ブーム」を創り上げたのは、この子達である。画面にあらわれない陰の努力とか優しさに逸早く気づいて、当時の安倍総理が、日本のために自分達のためにご尽力くださっていることを察して、急逝に際し、慎ましやかに花束を以って感謝の気持ちを捧げたのが、他ならぬこの世代なのである。わたしたちは、この抜きん出た精神の顕われを悦ばなくてはならないだろう。彼ら彼女らの親やジジババが教えたわけではない。自ら見い出したのだ。]

これはどういうことかと、あたまを悩ましたが、ある川柳を思い出した。

売家(うりいえ)と 唐様で書く 三代目

…… つまり、苦労して創業した初代や、生まれた瞬間から跡継ぎとして厳しく育てられた二代目とちがって、三代目ともなると、「生まれながらの将軍」なので甘やかされて教養を身につけたはいいが、商売への意欲はからっきしで身代を持ち崩して、唐様の書体で洒落て「売り家」の貼り紙して、実家を売り飛ばすという惨状に至るというわけである。

商売にともなう恨みや生き霊もあいまって、三代続けて繁盛させるのは至難の業であることを教訓とする川柳でもある。

 

してみれば、初代の「団塊の世代」で、亜米利加🗽の口車に乗せられて「自由」を謳歌して、わがまま一杯に生きて反・日本人を成し遂げてから、三代経過すると、最初の人生哲学は大きく捻じ曲がって、別物になることを暗示してはいまいか。

まったく思いも寄らないことだが、18歳で選挙権を得た新世代は、いわば「反・反・日本人」で、巡り巡って真の日本人に立ち帰る可能性を秘めている。

世界は逆に進行する(老子)ことで、妙な具合に僥倖がおとずれた、神々に愛される日本国なのではあるまいか。

            _________玉の海草

 


《玉断》 「団塊の世代」〜 日本を壊すタネを植えつけられた人々

2022-07-23 06:30:00 | 危機感

__ 2025年は、色んな意味でターニングポイントとなる年であろう。そのひとつが、「団塊の世代」が75歳(後期高齢者)を迎えることである。敗戦してすぐに起きたベビーブーム👶に産まれた「団塊の世代」。

 

戦争による人口減少で、戦後という時代はどこの国でも子沢山なものである。日本では1947〜1949年の三年間は、子どもの出生が激増した…… 悪名を轟かした「団塊の世代」と呼ばれる鬼子たちがこの三年間に誕生した。

 

彼らは日本の国体を内部から喰い破るための先兵とさせられた。「団塊の世代」は、亜米利加🗽によって仕掛けられた「日本弱体化政策」に見事にはまって、後世に禍根をのこして、それが今だに日本に影響しつづけている。

 

わたしたち新人類が憧れた世代が「団塊の世代」であり、厳しく指南をつけてくれた世代もまた「団塊の世代」である。その流れをザッと概観してみたい。

 

 

 

🔴 気になるデータ

[2020-09-26 | 王ヽのミ毎]

ーさて、いまの時期に耳に入ってきた、気になる統計を二つ記しておく

「ビッグローブ(BIGLOBE)」が、SNSにおける誹謗中傷の実態に関して‥‥

withコロナ時代のストレスに関する調査】を実施した

対象となったのは、全国の20代〜60代の男女1000(そのうちSNSを利用している770)

2020856日に調査が実施された

[結果]

:SNSで一般人に対して誹謗中傷をしたことがあるか?

「よくある」「たまにある」を併せた指数(%)

20代〜【15%ゆとり世代

30代〜5%

40代〜【9.1%団塊ジュニア〜ポスト団塊ジュニア

50代〜3.5%

60代〜0.7%

:SNSで著名人に対して誹謗中傷をしたことがあるか?

「よくある」「たまにある」を併せた指数(%)

20代〜【11.7%ゆとり世代

30代〜3.1%

40代〜【10.5%団塊ジュニア〜ポスト団塊ジュニア

50代〜4.8%

60代〜0.7%

誹謗中傷した理由(上位)

・相手が嫌いで我慢ならないから〜33.3%

・日常のストレスのはけ口〜23.3%

・相手に嫉妬があるから〜23.3%

・誹謗中傷をされたので言い返した〜20%

・かまってほしいから〜20%

 

■ 日本の「読解力」について

OECD生徒の学習到達度調査(PISA)より

[PISA」とは、OECD加盟国を中心として3年毎に実施される15歳を対象とした国際的な学習到達度テスト

2015年調査では、世界の72か国・地域の15歳の生徒約54万人が参加

日本では、198校の高校一年生・約6600人が調査に参加]

[結果]

2000年〜8

2003年〜【14位】

2006年〜【15位】

2009年〜8

2012年〜4

2015年〜8

2018年〜【15位】

アベマTV『報道リアリティーショー』で取り上げられて……

・語彙力不足

・考える力の低下

(分かりやすさが、考える力を弱める?)が指摘された

 

‥‥ 統計は、統計の取り方(質問の仕方等)によっても顕著に変わってくるらしいので、おおよその目安くらいにしかならないが、

SNSで酷い文句のつけ方をするのは、20代と40代に多い事

・文章の「読解力」に関しての国際順位は、2003/2006/2018年には、15位と大きく落ちている

(但し、2018年は新形式のテストであることと、2015年からPCを使ったテストとなったのでまだ慣れていない側面はある)

 

‥‥ わたしの年代は「テレビっ子第一世代」で、大学卒業して就職する時、いままでの新卒とあまりにも違う姿勢・態度から「新人類」と呼ばれた世代である

( 「新人類」と命名したのは評論家栗本慎一郎である、当時の日本メディアは従来の価値観からは説明のつかない社会現象が現れると大いに戸惑って、この独特の大局観を持つ大御所評論家にお伺いを立てるのが常であった)

昭和38年生まれに神界から受肉した人が多いことを鑑みれば、「新()人類」とは言い得て妙だったかも知れない

まー、おおむね還暦まえの50代後半とゆーことになろー

私達の世代は、社会に出て、「団塊の世代」から厳しく指導を受けたとゆーかよく虐められたものだ

「団塊の世代」は、第一次ベビーブームの【194749年】に生まれた世代別人口の最も多い世代で、現在70代前半の御歳の方々である( 1949年に最多出生数270万人を記録)

団塊世代の多くは地方で幼少期を過ごした人の割合が多い、小中学高校とクラス数が多いものだから、競争が激しく、また子沢山の日本だった頃だから、親の愛情が不足しがちだった可哀想な世代でもある

競争意識・縄張り意識はめっぽう強い印象がある

長々と「団塊の世代」を記述したのは、この世代の子ども達「団塊ジュニア」がまた厄介だからである

[🔴注;実際は、団塊の世代のご子息は、ポスト団塊ジュニアが多いー20220723日現在]

 

「団塊ジュニア」は、第二次ベビーブームと呼ばれ、197174年】に生まれた世代である(1973年に最多出生数210万人を記録)

 

この世代の多くは都市部で生まれ育って、厳しい受験戦争に曝されてきた、後年「氷河期世代」と呼ばれるよーになる、こりゃまた可哀想な世代と云えよー

「団塊ジュニア」は、現在40代後半頃の御歳の方々となろー、広義に70年代生まれが「団塊の世代」の息子娘たちになる

わたしの世代は、この「団塊ジュニア」世代からも、かなり突き上げを喰らった経験を持っている

 

この世代の有名人は、

野球の新庄、イチロー、松井、SMAPGLAY、ガクト、半沢直樹(サカイ雅人)もそーだ、ロンブー・ブラマヨ・有吉、お笑いは多いな……

マツコDX、ホリエモン、山本太郎も「団塊ジュニア世代」

 

外食チェーンにおいて「注文の方、よろしかったでしょーか?」等の伝統的日本語にない可笑しな言い回しを発明し普及させたのもコイツらの世代だ… o(`ω´ )o プンプン

俺はこの時の言葉遣いの乱れ(慇懃無礼な印象がある)には、いまでも本気で怒っている

「団塊の世代」と同様、「団塊ジュニア」も200万人近い同期がいたわけで、その中で熾烈な競争のあったことは容易に推測できる、恵まれていない世代なのである

この辺が、ネット上で過剰な批判をする素因になってるのかも知らん

 

なにか悪目立ちする傾向があるなあとは感じている

私世代の心象からゆーと、平気で裏切るとゆーか上辺だけの付き合いに終始する感が否めない

本格的なファミコン・パソコン世代だからだろーか

 

正直に書かせてもらって、不快に感じる向きもあろーかと存ずるが、どーも上は「団塊の世代」下は「団塊ジュニア」には、ほとほと手を焼いているのだ

 

 

🔴「もはや昭和ではない」 20220616

これの前に「もはや戦後ではない」(1956年の経済白書より)があった。

現在の社会制度は、

『男性が正社員で女性が主婦かパート、結婚したら離婚せずに一生を送る』

という昭和の核家族をモデルとして定められたものだそうだ。(中央大学・ヤマダ昌弘教授による)

 

つまり、令和の実状にことごとく合わない。

「もはや昭和ではない」とは、昭和につくられた制度からアップデートするのが急務であるというのが、今回の『男女共同参画白書』の主旨なのである。

それを、もはや平成ですらないと揶揄している人々が多数いたのは、いかにも残念だし幼いと思いました。

日本人は、手っ取り早い「分かりやすさ」を求めるあまり、もはや長文読解が難しいようです。

 

🔴「もはや昭和ではない」とは、

昭和の日本人モデルとの訣別を意味していよう。

伝統的な日本人が棲息していたのは、高島平をはじめとする団地住いがスタートする以前のことであろう。

三代一緒に住むのが本家、分家は自然核家族やお一人様になる。

そんななかで、猛威をふるったのは、昭和のお節介おばさんであった。オバタリアンなどと陰口を叩かれながら、彼女らはモンスター級のご近所のおばさんでした。

彼女らは、恋愛または見合いで結婚して、子育てをし、舅姑に仕えて、老後は介護をして看取ってやった。

人生の一代行事をひととおり経験しているので、とにかく有難迷惑なほど世話焼いてくれる。まさに人間通であり、頼れる貫禄があるのだが、町内会のしきたりに厳しい。

「もはや昭和ではない」ところの令和のおばさん達はどうか?

令和のおばさんは、ひとり身で結婚も子育てもせず、自分の自由というものを謳歌している。

ただし、昭和のおばさんと違って、ひととおりの道筋を経験していないものだから、彼女には誰も相談に来ない。

人生で直面する普通のことを経験していない、知らない。

年寄りの強みは経験者であることに他ならない。年を重ねて、自分だけの世界のみ広がる。

自分はさんざん愛されて育って、その恩を次の世代に返すことが出来ないことは、因果を産む。

親の介護やご先祖供養くらいは、恩返しして頂きたいものだ。

 

昭和のおじさんも同様である。

コテコテの男尊女卑を奉じてきたおじさん議員は、いまでも議員をやって国政の意思決定に関わっている。

いまの若者は、選挙に立候補すらしないから、いつまでも老害ははびこり続ける。

タバコダメ、セクハラ・モラハラダメ、女性軽視ダメなんて、昭和の時代にはなかった社会規範である。

そうやって育ってないのに、若者たちにアドバイスも出来まい。若者は老人に教えを乞わない。

ほんと、老人は役に立たなくなってしまった。

 

たぶん、老人を大切にしなくなったのは、老人の側にも問題がある。

昔のご隠居さんや、ご近所の顔役のように、周りの役に立っていないからなのだ。

パソコン社会への移行が、こうした世代間の分裂を生んだ。

若者が、ネットに関する知恵を老人に訊ねることはないからだ。

いまの子たちは、小学生から毎日3時間もネットで遊んでいて、お手のものである。

若者たちは、先輩や年長者から教えてもらうために、おもねる必要はなくなった。

ネット社会では、自分達が先行しているし、先達だからである。

そして、年寄りの話を聞かなくなった。

これが日本人の分岐点であろう。これ以後、日本人は育たなくなる。

 

 

🔴「百年前の真日本人」20220627

100年前の生活に戻れとは、蓋し至言だと思いました。100年前の1922年は大正11年、関東大震災の前年です。

関東大震災にて、江戸情緒は壊滅させられたと私は観てますので、100年前とは江戸っ子がご存命していた最後の頃となります。

 

昭和に入るや、すぐに「世界大恐慌」に見舞われ、間をおかず「満州事変」から日中戦争、そして太平洋戦争へと日本の帝国主義が蔓延る。

 

1945年敗戦ー 1950年の直前の3年間に生まれた人々が「団塊の世代」である。

現在70歳代前半の人々である

この方達が20歳を迎える頃に、日本は「恋愛結婚」が「見合い結婚」の数を上回るようになる

その頃が、「1970年安保闘争」の時期にあたります。

 

1953年(昭28)生れの 山下達郎 は

「シラケ世代、あるいはポスト団塊世代」にあたるので、しばしその生き方に耳を傾けてみよう。

きのう放送された音楽番組『関ジャム・完全燃SHOW』より引用する

あの1970年の政治騒乱でドロップアウトした人達はほとんど音楽をやってるんですよ。

“1960年安保の世代は文字の世代で雑誌文化は、ほとんどその人達が作ってる。

特に女性誌とか……

その人達が大きくなり、老人雑誌とか……

子ども雑誌もそうだし、そういう所と同じで僕らはそれと同じ事を音楽のメディアでやってきて……

僕らの音楽のムーブメントは、本来音楽の世界に入らなくていい連中がどっと音楽業界に参入してきたので、それがユニークさを生んでいる。

同時に、そういう意味では僕がステージに立って歌っていて、3列目に座ってる人が僕の代わりにステージで歌ってたかもしれない。

聴衆と自分の距離が近い。

生活者としての一つの共同意識】みたいなものがあるんです。

だから、そういう具合に考えてやっていかないといけない。僕はずっとそれだけ考えてやってきた。

同世代音楽】っていうキャッチフレーズを持ってますけど、自分と同じ世代のためにやってる。

だから、自分たちが歳とったら、歳とったという。

いつまでもピーターパンみたいな歌は作らない。

そういう考え方でやってきているので、

そういう人達の生活に奉仕する音楽。

 

ポップカルチャーとは基本的には大衆への奉仕と人間が生きる事に対する肯定。

ポップカルチャーというのは、そういうものだ。

それの上にアバンギャルドとか、そういうものがあるので。

僕がやるべき事は何か?

をずっと考えてやるとそういうことなので。

だから、海外進出とか考えた事がない。

そんな暇があったら、もっとローカルタウンに行って、そういう所で真面目に働いている人達の為に公演する。

それが僕の与えられた役割だと思っている。

じゃないと、自分は何のために音楽をやっているか?

ドロップアウトして音楽家になったので。

自分が音楽をやる意味は何かと常に問いかけていかないと自分が音楽家としてのスタンスが曖昧に成る。

それだけはイヤなので。

という意味で……

テレビ出ない

本書かない

武道館やらない

この三つでやってきたんですよ。

 

…… 達郎ご自身も、高校生のときに「70年安保」をちょっと齧ってしまった経験をお持ちらしい。

[※ 他にも、坂本龍一、テリー伊藤、上野千鶴子らは全共闘へ参加している]

音楽家として一社会人として、公人としての社会的責任を強く感じてらして、市井のひとりとしていたく胸打たれたご発言であった。

平成の大規模自然災害で、ミュージシャンが直面した課題でもあったのだろうと思う。

よくよく考えてみたら……

この焼け跡世代・団塊の世代といわれる人々は、何もない戦後の荒れ地に生まれたわけである。

住まいも食べ物も十分になかったので、育ち盛りにいつもお腹を空かしていた可哀相な世代である。

大きくなるにつれ、マッカーサーの3S(セックス・スクリーン・スポーツ)政策の影響をモロにうけて、青春時代を過ごした。

国に対する、国民の「権利」というものを覚えた世代は、60年安保〜全学連〜全共闘〜70年安保と国民運動に熱く取り組んでゆくことになる。

そして何ら成果を上げることなく、消滅した運動を傍観していた次の世代は、クールに「シラケ世代」となってゆくのである。

わたしは、その次の世代「新人類」に属するが、安保闘争だの全共闘だのにはまったく触れずに育っている。(ブントとか革マルとか、まるでチンプンカンプンである)

わたしたち世代は、生まれた時からテレビと一緒にそだった「テレビっ子第一世代」なので、シラケ世代の先輩方から政治的無関心を継承した。

 

こうして大雑把にみただけでも、「団塊の世代」このかた、まともな日本人として育てられてはいない。

両陛下のごとく田植えも養蚕も手がけたことのない、都市という隔離空間に住む人びとである。

自然から隔離された団地というもの、外で遊ぶより家の中でテレビやゲームに熱中する子ども達、お湯の出る生活〜温水シャワーを浴びられる環境、真夏にエアコンの効いた部屋にこもって汗ひとつ流さず、真冬にアイスクリームを愉しむ時代となってしまった……

100年前の日本人とは別物の、新しい日本人となったのである。

インターネットの普及は、その風潮に拍車をかけた。

もはや、何かと繋がっていなくては生活できない、中毒状態、いや強く依存してやっと保てる自分性。

露地栽培からハウス栽培、そしてビルの中で土をつかわぬ水耕栽培に移行してゆくさまは、そのまま人間にもあてはまる。

そして、わたしはようやく気がついたことがある。

団塊の世代以降の日本人は、ほんとうの意味での日本人ではないということ。

台湾🇹🇼人が喝破したように、現在の日本人には本来の日本人のもつ何かが欠けている。

たしかに大災害や窮地におちいって初めて起動する日本人特有の遺伝子🧬があるのかも知れない。

いまは、それを思うより他ない。

          _________玉の海草

 

 

 


《玉断》 戦後に顕れた志士〜 安倍ちゃんとその妻・アッキーに捧ぐ

2022-07-18 00:33:33 | R.I.P 「敬弔」

__ 日本国にとって、なくてはならない柱石を失った。書かずにはいられなかったABちゃんの追想コメント📝を、三つ四つ纏めた。早、初七日を過ぎている。時間が駆けるように去ってゆく。

この、伊勢白山道へと投稿した追悼文を書かなければ、わたしの激甚たる動揺をおさえることは出来なかったであろう。即座に思いの丈を投稿することで、わたしは巨大な喪失を自然と受け容れることが出来た。伊勢白山道には幾重にも感謝しなければなるまい。真事にありがとう御坐います。

 

 

● 追悼文

もうABちゃんと、伏せ字にする必要がなくなったことが、どうしようもなく悲しい。

衷心より信頼できる唯一の政治家を失なってしまった。新人議員の頃は、線が細くてお坊ちゃんで見ていられなかったものだが……

よくぞこれほどまでに辛酸を積まれご努力なさってオリジナルの風格を纏われるまでになられたものだと、やおら込み上げる感動を禁じ得ない。

無念でおられますでしょう。いままで安倍ちゃんが生涯をかけて必死に積み上げてこられた業績が、そして経験やコネクションが無に帰す哀しみは推し量れようがない。

志半ばで殉死した志士の心持ちに近いものがあるでしょう。

つつしんで、哀悼の気持ちをお捧げいたします。

 

ご無理をなさって、それを人から知られることなく押し通し、燃えるような赤心をもって、日本国のために働いてこられた安倍ちゃんに、満腔の思いで

「ありがとう御座いました。長い間ご苦労さまで御座いました」

と一国民として厚く感謝の気持ちをお伝えしたい。

子に恵まれなかった安倍ちゃんご夫妻は、未来の日本国民🇯🇵、つまりこれから育つ次代の子らのために、我が子の為にするかのように親身になってご尽力なさってこられました。これもまた、安倍一族に脈々と受け継がれた志(わが事のように国事に奔走する気概)であったのでしょう。

 

それにしても、海自に3年在籍するだけで、この熟練度。見事な擬態(オタクにしか見えない)と、望遠レンズに似せた銃身、まったく殺気がなく飄々と近づいてゆく自然な足取り……

あれは、防げません。自衛隊の修練とは凄まじいものだなと今更ながら驚きました。

西南戦争で、西郷さんが民兵だけで編成された政府軍の手強さに「これで日本を任せられる」と安心したように……

安倍ちゃんも、御身をもって体験なされた、自衛隊の強さと育成システムの見事さに舌を巻いておられるかも知れないなと不図おもいました。

子どもの国・日本に、ふたたび安倍ちゃんのような老獪な世界レベルの政治家があらわれるのは、いつの日かと案ぜられます。

日本の問題の多くを、安倍ちゃん御ひとりに背負わせて、安閑としていた吾々国民が試される日がついにやって参りました。おのおのがた、心して臨まれませ。

 

 

【敬弔】

心ゆるした盟友である🌸井よしこ女史は、いつもと変わらず静かに、ABちゃんの在りし日の事を語ってくださった。

「ほんとうにありがとうございました。」

「強さに裏打ちされている優しさ、

(安倍さんは)強さと優しさが一緒になっている方、(北朝鮮に対して)

対話をした後は、それが無理ならば圧力をかけてとことん追い詰める。」

「立派な日本人だった。」

「どの首脳にたいしても、安倍さんは位負けしたことがないんです。」

 

…… ABちゃんの三代前くらいのご先祖は、吉田松陰の松下村塾で学んだそうだ。そんな志士としてのDNAを内蔵し、幼い砌より一族の長老・岸信介や佐藤栄作そしてご尊父・安倍晋太郎の背中から、国際政治の生の体験談を聞き、政治家たるもの如何にあるべきかを無言のうちに学び、一族の志に心を寄せるようになったABちゃん……

しかし、私の観るところ、政治家には不向きだったのではあるまいかと思う。心と感情の臓器・腸を壊しているのが何より物語っている。

それでも、小泉政権下で拉致問題に取り組む「優しさ」でもって、国民に知られるようになった。

総理に課せられる過大なストレスが身を蝕み、せっかく座した首相の椅子から一旦は身を引いて、ふたたび返り咲いた。

 

われわれ庶民には思いも寄らないことだが……

代々藩主だったり、国事に奔走する家系にある者は、我が家の事であるかのように日本国の行く末が恒に胸中にあり、人知れず案じているものらしい。

もちろんその代表は天皇陛下であらせられるが、たとえば西郷さん(南朝の菊池一族の末裔)にしても、政治エリートのABちゃんやアソーさんにしても、日本国の国家とわが家を一体のものとして、国民全体に思いを致しておられる。

血筋とは、そういう生涯変わらぬ姿勢こそが尊いものである。

 

それだからこそ、首脳外交において如何なる元首と会おうとも、ABちゃんは決して「位負け」することが無かったのである。

文字通り、日本国と日本国民を背負っておられたからである。

人としての位や品格は、にわか仕込みではどうにもならない。ゆえに遺憾ながら、いまABちゃんの衣鉢を継ぐ政治家はおられない。(ABちゃんが後事を託したかったのは、萩生田光一さんであるらしい)

ABちゃんご自身が、奇蹟的に僥倖に恵まれて現れ出でた稀有なる政治家であり、国士であられたからである。

 

ABちゃんは、ブログ『伊勢-白山 道』はよくお読みになられていたと思う。

何故なら、リーマンさんが初めて、いうに言われぬ総理の苦悩と孤独を、広く世間にリーディングのかたちを取って発表してくださったからである。

昭和のクリスチャン宰相だった大平正芳総理のように、「これだけ頑張っているんだから、ちょっとくらい褒めてくれてもいいじゃないか!」と、世間に愚痴る必要はなかった。

目に見えない頑張りを、伊勢白山道は見逃すことなく詳しく解説してくれるからである。読者はABちゃんのご尽力を理解し共感してコメントに書き連ねた。

ABちゃんは必ず目を通していたと思う。確信がある。

ここに、同志がいるからである。

 

最後に、天鈿女の如く自由奔放なアッキー🌀(なんと岡本太郎と遠縁)を嫁にして、櫻井さんのような賢女を同志とする仕合せ、このお二方のみならず、奈良女史や稲田姫やグリーン知事のお歴々のようなイイ女からモテたABちゃんを、私は心底尊敬いたします

政治家に向いてなかったのに、陰ながらご努力を重ねて、老獪さ(タフ・ネゴシエイター)を身につけ、全地球を俯瞰なさった温かい眼差し…… これほどまでに世界中から慕われる宰相に御成りになったこと、日本人として誇りに思い、堪らなく嬉しく思います。

 

アベノミクスとはあまり縁はなかったが、「アベノマスク」には雀躍りして喜んだ。

ABちゃんのご尽力(素誠)を称える、象徴としての「安倍のマスク」を、どなたか追悼をこめて新たに作ってくれないかな?

ABちゃんの遺志を、どこかに身につけたいから。

 

 未完だが……

ABちゃんは、世界各国の首脳と睦み合い、念入りに根回しをした。日本国内においても、二回総理大臣になるという離れ業が出来たのは、周到な根回しの結実であったろう。

「核共有」というビックリワードを世間に投げかけ、ロシアの軍事侵攻によって、ABちゃんの懸念が的を射たものであることを国民に理解させることになる。

国防をかためる端緒を開いたのである。

 

あとは、参院選で国民の審判を仰ぎ、広く支持された暁には憲法改正を実行するところまで、漕ぎつけた。

(香室は平和憲法絶対護憲のお立場だから、ご反対なのだが)

総理を退いたあとも、着々と根回しをつづけ地歩をかためて、隠然たる政治力(最大派閥の安倍派領袖)も養い、いよいよ果断に実行する手筈であっただろう。

 

ちょうど、日本国存亡の危機に、策謀を弄して幕府をたぶらかし、京にのぼった「浪士組」に、孝明天皇から攘夷決行の【勅諚】をたまわったときの、清河八郎の立場に相似ているなと感じた。

このとき、清河は無位無冠の尊王の志士でありながら、この勅諚をお墨付きとして、約500名を数える「同志」と、幕府に楯突いても即座に行動を起こしてもよい立場にあった。

「あとはやるだけ」の地点まで到達していたのである。

ABちゃん同様、準備は整っていた。

 

しかし、決行まえにいのちを絶たれた。

人生そんなものだと言うことも出来よう。

種を蒔いて、よく実るように力を尽くし、あとは収穫の秋を目前にひかえたお百姓さんの心持ちであっただろうか。

目処がつくまでには至ったが、自分で収穫の喜びを味わうことは叶わない。

これは、いったい不幸せであろうか、そうではないのではあるまいか。

あと一歩で…… そこまで辿り着けたことが、仕合せなのではないか。

成果は得られなかったが、次代に成果を得る舞台をお膳立てした(ちょうど、預言者ヨハネのように)

「道半ばにして」と決まり文句で悼むものだが……

未完に終る、しかれども志に殉じた生涯であることが、もっとも大事であると思う。

「自然はいつも可能性を与える。しかし、それが可能である期間は限られている」という旨の発言が、グルジェフにあったと記憶する。

ABちゃんは、可能である期間内に、あと一歩の処まで辿り着いた、そこが偉大である。

彼でなくば、ここまで至れなかったことは明白である。

成し遂げられなかったが、ある意味で成し終えた(人事を尽くした)とは云えるのではあるまいか。

 

 

● コモンセンス

昭和の学校生徒だった頃、民主主義とコモンセンスについては、念入りに教わったような気がする。

コモンセンスと云えば、イギリス国民🇬🇧と英国議会の在り方(姿勢)が尊敬されたものだ。

たとえば、長所というものは逆からみれば、短所となる。つまり短所を内包しているものである。

そこで長所を論ずる側と短所を論ずる側を分けて、互いに張り合わせたら、ちょうどよい折り合いがつけられる。

議会の右翼(保守)と左翼(革新)で、それを実践したものがイギリス議会である。

日本の左翼知識人である日キョー組の思惑が、当時の教員を介して「コモンセンス」を奨励したものかも知れない。

[※ コモンセンス=バランスのとれた共通の感覚。「常識」と訳されるのは誤り]

とにかく何にでも反対を表明するサヨクとゆーものは、絶対的な保守たるウヨク自民党に反対することの正当性を、「コモンセンス」という言葉に滲ませたのだろう。

つまり、国論を一方向に片寄らせない、客観性を重んじる理性的な姿勢ということになろう。

 

ABちゃんの国葬に関しても、国葬に反対する者は「非国民」だというくらいの同調圧力が加わっている感じがする。

ABちゃん御自身は、おそらく国葬を望んではおられまいが、「国葬」に伴う【弔問外交】が日本国のこれからの動向と国益に大きく資するものならば、ニッコリして「やってください 」と仰るかも知れない。

予定はこの秋だから、急ごしらえしなくともいいとはいえ、国葬に議員ふくめ国民全体が注力されるのは懸念される。

ABちゃんに断固反対されるアベガーと云われる方々も一定数おられる中で、大した審議もせずに国葬を決めてよかったのか。

 

国民の総意として、国葬を執りおこなうことが出来るのか…… ここの読者のようにウラの事情に思いを寄せることができる人々ばかりではないからだ。

軍備増強に舵を切らせたABちゃんのやり方は、香室の御意にかなうものではなかったろう。

ABちゃん贔屓の私でさえ、あの「公文書の改ざん」については、怒髪天を衝く勢いだったし今も遺憾な思いを禁じえない。

あれは、謝って済む問題ではない。

内閣が、組織的に国民をだましコントロールしようとしたことは断じてゆるせない汚点である。

ABちゃんの直接の関与があったかは、不明だが、モヤモヤしてABちゃんを応援する気が(一時的に)失せたのは確かなことだ。

 

ハシモト徹さんが、政治家というものは生前は批判されるだけの立場に甘んじなければならないと、云われていたが……

功罪相半ばする政治家にあって、国葬をして報いようとする議員や国民が多いことは、ABちゃんの仁徳であることは間違いない。

ただ、その御国におおきく貢献なさったABちゃんに対しても、反対する立場を取る国民を決して封殺してはならないと思う。納得してもらった上で執りおこなうのが望ましい。

ひとりの人間あるいは、ひとつの内閣の「光と影」。

光のみを切り取り、聖人化・神格化してはいけない。

コモンセンス=陰陽=中庸=両建て=中道、

双方向のみならず三方向からも多角的に観る姿勢こそ、静観には必要なものだろう。

わたしは、ABちゃんは人として大好きだし、政治家として尊敬しているが、そうであってもどうしても賛成できない部分は厳然としてある。

前も後ろも、表も裏も、全人的にひとりの人間を観るために、コモンセンスは不可欠なものだと確信している。

長い時間の後に、真実が漏れ出ることがある。

いま断固としてABちゃんに反対している人々は、そのときになって隠された理由を知ることとなろうが……

そのときに、しっかりと反省してご自分に受け止めればそれでよいと私は思う。

 

日本人が、雪崩を打つように一方向に躊躇いなくまっすぐ進むときは、必ず大きな欠落を抱えている。

一口に「抑制のきいた」と言うように、抵抗勢力はいずれの場合にもマイナスに働くばかりではない。

ほどよくブレーキングさせて、ゆるやかに達成に道引くこともあろう。

「清濁併せ呑む」のなかには、異見者を自由に泳がせておくとゆー大らかさがあるものだ。

目くじらたてて反対者を糾弾する態度は、目くじら立ててABちゃんに反対する者と同位である。同じ段階で陰陽セットの片翼をになっているってこと。

 

● 「安倍晋三」と書くべきところ、「阿部」や「安部」などと間違って打ち込んでいる人が後を絶たないので、年長者として戒めた。

> お名前は正しく書いて

故人に弔意をあらわすコメントで、故人のお名前(漢字)を間違えて打ち込むとは、いかにも誠がない。

これは、学があるとか無いとかの話しではない。

安倍ちゃんは、蝦夷(えみし)の安倍宗任の御血筋を引く御方なのです。

失礼ではありませんか。【安倍】と書きます。

> 名前間違えるな

大事な人、大切な人のお名前を間違えるようでは……

ましてや故人のお名前なら尚更です。

口先だけの弔意は、そらぞらしいものです。

 

 

●【阿倍安倍】

たしか、本来は「阿倍」だったが、ミカドに御子がお生まれになった時に、名付けられた御名前に「阿」の字が含まれていたために……

畏れ多くて、「阿倍」の「阿」の字を「安」に改名したという逸話を耳にしたことがあります。(さすが、ABちゃん家はご先祖まで謙虚であらしゃいます

 

だいたい「安倍」に替わったのは、平安時代からと云われているので、該当する親王を探してみると……

比叡山のできた延暦年間の延暦11年(792年)に、第51代平城天皇の第一皇子として、「阿保親王」がご生誕になられている。

阿保親王は、空海の十大弟子に数えられた高丘親王の兄であり、『伊勢物語』の主人公・在原業平の父にあたる。

 

読者の方が触れておられた孝謙(称徳)女帝は、平安時代以前の御方ですが、即位前の御名前を「阿倍内親王」と仰せられた。

諱(いみな)が「阿倍」なのは、阿倍氏に養育されたためらしい。

孝謙(称徳)天皇は、718年〜770年の御生涯。

聖武帝と光明皇后の一人娘で、「孝謙天皇」「称徳天皇」と二回即位(史上6人目の女性天皇)され、かの弓削道鏡を寵愛して宮中をドン底の不安に陥れになった女性で、生涯独身でお過ごしになり、お子もおられない。

「おひとり様」の魁のような女性であらせられます。

 

阿倍氏は、物部氏や中臣氏などと共に大王家に仕えた古代豪族で、皇別氏族である。

阿倍氏の本貫地は、大和国十市郡阿倍(桜井市阿部〜「安倍文殊院」の辺り)であり、ABちゃんがお倒れになった奈良市西大寺からほど遠からぬ処にある。

ーしたがいまして、ABちゃんの苗字の漢字を間違う人のなかでも、「阿倍」と書く人は、あながち間違いとは言えないのです。

 

【阿倍(安倍)氏の本貫地、桜井市の「安倍文殊院」】

 

 

__ 最後に、安倍ちゃんのご先祖は、古代東北のまつろわぬ民、陸奥国にすまいし蝦夷(えみし)の血筋を引く安倍宗任である。

宗任は、奥州安倍家の本拠地である「鳥海の柵(さく)」の主で、鳥海三郎とも呼ばれた。山形県の鳥海山は、この宗任に由来する名前とする説もある。

うちの母の実家は、鳥海山大物忌神社の蕨岡口の宮の集落(三十三坊)にあるが……  この土地で「鳥海(とりのうみ)」を名乗る宿坊は、明治以前には「阿倍」を名乗っていた。村の半数は阿倍家であった。

つまり、安倍貞任や宗任の父、安倍頼時の末裔をなのる住泉坊という、いまは絶家した宿坊があった。この家からは明治以降、貴族院議員を二人輩出しているほどの名家である。

後年「鳥海」をなのった「阿倍」家は、実は庄内地方が上杉家の支配にあった頃、直江兼続と戦い、旧八幡町の修験の地「三千坊谷地(やち)」から上蕨岡に敗走した「阿倍一族」であったと云ふ。

蕨岡の修験者は、その阿倍一族が中心となって、たいそう強かったと云ふ。現に鳥海山山頂は、山形県遊佐町の土地となっているし、当時の修験者の縄張り通り、鳥海山の秋田県側もおおきく抉れて山形県の領地となっている。

鶴岡の酒井の殿様から、この功績によって「感謝状」を贈られているほど、蕨岡の阿倍一族はよく働いた。リーダーは学徳兼備の猛将「四天の司(してんのつかさ)」と称えられた。山頂争いの抗争では、双方合わせて約120名の死者を出す激しい法戦もあったようである。四天の司もその時に討死にしている。

阿倍氏と同時代に生まれた、物部氏や中臣氏などは枝分かれしたり、無くなったらしいが、阿倍氏は安倍氏へ改名して明治までそして昭和まで、立派に命脈を保っておられる。

ABちゃんが、安倍氏の本拠地に近い奈良市でお倒れになったこと…… 伊勢白山道によると家系の因縁を清算しての「殉死」であったらしい。日本国が戦後レジームから脱却して自らの足で自立するために、ここまでお膳立てを済ませておいて、参院選後「さあ、やるぞ!」と一歩踏み出すばかりであったのに、凶弾に倒れたのは、くやんでも悔やみきれない無念さがある。

安倍ちゃんのいない政界は、からっぽの空洞になってしまったことを、日本の若い人々は第六感で察した模様である。あの、長蛇の弔問の列は、こんな情けない日本でも、真正の日本人が育ちつつある証しを示して、わたしは一際感動を新たにした。

 

【この御遺影がテレビ画面に映されたとき、初めて泪が噴き出した。実に実に、気さくな偉人・ABちゃんがよく活写された写真だ。これは凄い画像である、魂の背負った埋蔵量が迫ってくるかのよう、自然と見る者にもエネルギーが充填される素晴しい肖像である。大政治家にしてこの人相は越格だと思う。】

 

わたしは、自らの眠った日本人としてのDNAを、覚醒させて、新たに三本目の遺伝子🧬を起動させるつもりである。たとえ最後の一人となろうとも、真の日本人となってみようと思う。この先、何が起ころうとも、まともな日本人として死にたいと思っている。

         _________玉の海草