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惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

日本にも来ていたグローバル・ユダヤ〜 とんでもない蘇我氏

2024-09-26 17:27:27 | 歴史・郷土史

── 聞いてみれば、

「社会主義」というのも、マルクス(ユダヤ人)を使って流行らせた「グローバリズム」の一環なのだそうだ。

「社会主義」は、伝統と文化を否定して破壊するが、グローバリズムもまさにそうである。

 

世界史を見回してみても、

フランス🇫🇷革命(1789〜95)とは、「ユダヤ人の解放」であるそうだ。

当時、狭いゲットー(ユダヤ人居住区)に押し込められていたユダヤ人は、解放されてようやく市民権を得ることになる。キリスト教の建物もかなり破壊されている。

市民革命のような言い方をされているが、実のところユダヤ人のための革命であり、その標的とされたのは伝統(≒キリスト教)だったというのである。

ロシア🇷🇺革命(1917〜1923)とて同様の消息が潜んでおり、

帝政ロシアへの国内不満のはけ口(スケープゴート)にされて、【ポグロム(ユダヤ人大虐殺)】されたユダヤ人が、革命側(共産党側)についたと言われています。

いわばロシア革命は、ユダヤ人によるポグロムへの復讐だったと言えるそうです。

共産主義は、ユダヤ人が編み出してグローバルユダヤの手段となったものの、そのソ連が崩壊し、いままた中国も危うい状態となっている。

ユダヤ人の生み出した「社会主義」は、いまや風前の灯である。

また、第二次世界大戦もまた、

ユダヤ人にとって癪にさわるドイツ🇩🇪と日本🇯🇵を叩くために、ユダヤ人が仕掛けた戦争という見方もできるそうです。

(この両国は、伝統と文化の力が厚い国で、ゲルマン魂と大和魂でナショナリズムが強力だから、ワンワールドを目指すグローバリズムにそぐわないから)

ロシア革命前のポグロムから、命からがら逃げ出したユダヤ人の向かった先は、アメリカ🇺🇸のニューヨークだったそうです。

(リトアニア🇱🇹でユダヤ人を逃した杉原千畝が助けた人々も、ナチスドイツから逃げてきたのではなく、帝政ロシアのポグロムから逃げてきた人々が大半だったそうです)

そして、その子孫たちが、例えばブリンケン国務長官などで、「ロシア憎し・許さじ」と強硬な姿勢をとっている根拠となっているわけです。

 

アメリカ人の人口の2%にも満たない、世界中でも1500万人しかいないユダヤ人が世界金融をにぎり、アメリカという超大国の行末を左右するほどの権限を有しているなんて、驚くべきことです。

 

 

大学の歴史学会では、戦後、恐ろしい奇妙なことが起きています。

それは何か、といえば、

学者の誰も歴史全体を語ることをしようとしない、またできなくなったということです。

特に日本では、

学問が細分化されると同時に、イデオロギー化され、

マルクス主義的観点(階級史観的、ジェンダーフリー的、LGBT🏳️‍🌈的など)からしか、歴史を見ることをしようとしなくなりました。

そして先生がそうなら若い学生もそれに従わざるをえない、ということになったのです。

[※  『日本とユダヤの古代史&世界史〜 縄文・神話から続く日本建国の真実』田中英道✖️茂木誠(対談集)より]

 

…… げに恐ろしいことです。

グローバリズムとは「国境をなくしてワンワールドをつくることだ」であり、

世界中を均一にしようとします

世界中に同じものをつくるということ

ex.  スターバックス、マクドナルド、シャネル、ルイ・ヴィトン

そうすると、文化が生まれてこない。

そのグローバリズムの中に、マルクス主義、社会主義が含まれているのです。

社会主義とはつまり革命のグローバリズムです。

 

…… 日本もさんざん踊らされてきましたが、

そろそろマルクス主義やグローバルユダヤ、左翼ユダヤも限界を迎えているそうです。

なぜなら、グローバリズムによる社会主義では「経済」を運営できないからです。

経済は需要と供給で成り立つので、そこにイデオロギーは必要ない。計画経済は必ず汚職を生むので、それで万民平等を実現するのは不可能だと。(田中英道)

 

 

そこで、このグローバリズムの張本人である、グローバル・ユダヤについて、

日本の歴史のなかに痕跡を残している「謎めいた蘇我氏」の事例を取り上げて探ってみよう。

蘇我氏って、日本人離れした暴力性を発揮して、

皇太子どころか天皇までも弑し奉った、日本史上最悪の貴族官僚である。(史上、みずから天皇になろうとした人物すら、日本では三人といないのに)

この異常性は一体どこから来るのか、長年疑問を懐きつづけてきた。

また一方で、なぜ秦氏は、ユダヤ人なのにユダヤ色を出さずに、日本に同化(帰化)したのかという疑問とともにあった。

そーした疑問を一気に晴らしてくれた本が、上記に引用した田中英道と茂木誠の対談集である。

世間では、いわゆる「トンデモ」であり「オカルト」の範疇にくくられるお二人なのであるが(ともに、専門の歴史学者ではない)…… 

片や「美術史」がご専門の東北大学名誉教授で、一方は予備校講師であり作家、YouTuber である在野の人である。エビデンスを突きつめれば、飛躍している処も多々あると思う。

でも、それぞれ自分の体系(筋道)を持ったお方たちだから、その文脈のなかで導き出された結論は目を瞠るものがある。

少なくとも、誰も言っていないし、誰も思いつかなかったことである。けだし、慧眼である。

 

 

 

──日本史の蔭で、莫大な財力や技術力を基に暗躍しているのは、だいたい渡来人である。

1万5000年にも及ぶ縄文時代は、日本は竪穴式住居だった。

しかし、ある日に突然、巨大な古墳時代があらわれる。(その規模は、世界に誇れるスケールであり、大変な土木技術の結晶なのである)

 

(田中)> 元来、木の文化である日本に 【石の文化】を持ち込んだのは、渡来人たち、つまり秦氏です。

 

…… 土木と建築の技術を有して、巨大な石を運び、加工したのです。

秦氏によって造られた古墳は、少なくとも16万5000基(3〜6世紀頃)と云われています。

古墳は、内部に石棺をもち、本来は墳墓の表面は数多くの石🪨が敷き詰められ覆われています。(「武蔵野陵」を参照)

石棺に遺体を安置するということは、「蘇り」を意図したものであったようです。(この時点で日本人の死生観とは合わない)

 

古墳は、埋葬するに際して殉死者を伴うものなので、その尊い犠牲をなくして埴輪(土師器=素焼きの土器)で代用させましょうと天皇に奏上したのが、

土師(はじ)氏の野見宿禰であった。

相撲の祖であり、菅原道真公(天神さま)のご先祖である。

秦氏も、その下で古墳の造築や天皇の葬儀を司った土師氏も、ともにユダヤ人である。古代日本には存在しなかった、それらの大規模な土木・建築技術をもたらした渡来人であった。

膨大な数の古墳づくりによって、地域の経済が潤い、人々の生活を豊かにし、農業や土木建築産業の基礎が出来上がったそうだ。

中国の兵馬俑のように、殉死者の代替えだった埴輪であったが…… 

その中に、非常に特徴のある兵士像がふくまれていたのである。

田中教授は、それを「ユダヤ人埴輪」と名付けた。

田中先生は、

歴史を「文献」ではなく「形」から見るフォルモロジー(Formologie、形象学)」の権威でもある。

「人間がつくった形というものは、必ずある種の意味がある」という視点から、物や美術作品を解析する学問である。ゲーテの「形態学」から発展した。

 

 

もみあげの所にあるクルクル髪が、「みずら(ペイオト=ヘブライ語 “ PAYOT ”」というのだけれど…… 

古事記にはアマテラスやスサノオ神にも、秦の始皇帝にも、ミズラがあったという描写があるそうだ。

大和朝廷でも、ミズラは大いに流行ったらしくて、天武天皇の勅命(681年)で「みずらはやめなさい」と禁止されるまで続いたらしい。

ユダヤのそーした慣習も含め、かなりの深度でユダヤ風俗が日本に浸透していたことを物語るものである。

 

 

【旧約に詳しく記載されている「失われた聖櫃(アーク)」と日本の神輿の酷似。頭上にある天使ケルビム🪽と鳳凰🐦‍🔥も対応し、移動式の神殿であるという機能までおなじである。ユダヤ人はアークを担いで戦場にも持っていった。】

 

 

 

 

(茂木)> 西暦135年、ローマ帝国のハドリアヌス帝が、ユダヤ人を完全にエルサレムから追放したあとは、もうずっと彼らには国がありません。

1948年にイスラエル国🇮🇱が樹立されるまで、1800年もの間ずっと国がなかった。このことを理解しないと、ユダヤは語れませんね。

 

…… 135年が、ユダヤ人の「ディアスポラ(離散)」の決定的な始まりでした。

ユダヤ人の歴史を概観してみると、

> ユダヤ人の建国と離散 ①② より

B.C.13世紀 出エジプト

B.C.10世紀 ヘブライ王国(サウル王/ダビデ王/ソロモン王)

その後、「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」とに分かれる

B.C.722年 「北イスラエル王国」は、

アッシリアにより滅亡→離散、【失われた10支族】であり、★「多神教でもいいじゃないか」という戒律が緩い支族

B.C.586年 南ユダ王国(ユダ族と少数のベニヤミン族)」は、

新バビロニアにより滅亡→「バビロン捕囚」、神殿が破壊される→エルサレム帰還 ★「一神教を守ろう」という頑なな2支族

B.C.538年   ペルシャ・ギリシャ統治時代 ユダヤ人帰還、第2神殿を再建

B.C.64 年   ローマ統治時代 ユダヤ人による自治➡︎ ローマの属州

   ↓

⚫︎ A.D.33   イエス処刑

 ↓

A.D.66〜73   第1次ユダヤ戦争 ローマ軍と戦う(73年 マサダの戦いでユダヤ人1000人玉砕)

A.D.132〜135    第2次ユダヤ戦争 ローマ軍と戦う(ハドリアヌス帝)

 ▼

◉ ユダヤ人完全追放

◉ 決定的離散(ディアスポラ)

 

…… ユダヤ人という名称は、バビロン捕囚された多くがユダ族だったことに由来する。

古代世界🌏において、ユダヤ人はユーラシア大陸をものともせず、日出る処に向って東慚しました。そして日本列島に辿り着いたものでしょう。

(田中)>「故郷(ふるさと)がない」ということは人格形成にとって、とても重要なことです。

あらゆる民族は、たとえ故郷が貧しい場所でも、故郷があれば帰るのです。

故郷というのは長い旅行をして戻るところです。

 

…… 彼らユダヤ人には、最初から帰るべき故国が無かったのです。

(茂木)>帰るところがないから、せめてもの魂のよりどころとして、神をつくった のかもしれないですね。

 

 

秦の始皇帝(BC221)は、ユダヤ人が君主になった稀なケースらしいのだが、

基本的にユダヤ人は為政者の下にいて、あらゆる政権にサポートする側で立ち振舞うと云う。

始皇帝に仕えた徐福もまた、ユダヤ人の方士(道教マスター)であり、蓬莱山をめざして3000人引き連れ来日して、富士山の麓で暮したらしい。

『古事記』『日本書紀』に記載があり、戦前は紙幣の顔にもなった武内宿禰(長命、2〜3世紀)もユダヤ系の渡来人だと思われる。

古代世界の往き来は、現代から想像する以上に広範囲に及び、遥か遠い地にもかかわらず、頻繁に往復したものらしい。

(亡国のユダヤ人のネットワークは、凄まじい正確さだったようだ。伊勢白山道の霊視によれば、モーゼもキリストも来日している。マルコ・ポーロの「ジパング」が知られるずっと以前に、東方の果て・日本🗾については、熟知していたものと思われる。)

 

 

(田中教授)> 【ユダヤ人渡来、5つの波 🌊】

・第1波 BC13世紀 出エジプト〜 縄文時代・日高見国・スサノオ

  ↓

・第2波 BC722年以降

アッシリア捕囚と失われた10支族〜 日本建国

  ↓

・第3波 BC3〜2世紀

秦の始皇帝・徐福と3千人〜 秦氏、各地に渡来

  ↓

・第4波 AD3〜4世紀

弓月国から秦氏2万人〜 応神天皇が受入れ

  ↓

・第5波 431年以降

エフェソス公会議・ネストリウス派〜 蘇我氏

 

…… 仏教伝来について、秦氏は蘇我氏とともに、聖徳太子をささえた崇仏派でした。

が、蘇我氏が朝廷で大っぴらに暗殺を実行し、横暴に専制するようになると、機を逃さずに赤穂に逃げました。

聖徳太子を補佐できるほどの財力を有していた秦河勝は、その後、政治の表舞台からは一切身を引いてしまいました。

能の世阿弥や忍者の服部半蔵のご先祖だということで、「悪党」の楠木正成や鉱山師や治水土木の技術者とも、深いネットワークを持っていたことと思います。

鎌倉期に、八幡神社や稲荷神社を全国につくらせたのは、秦氏ですから。

その秦氏は、八幡様に応神天皇を祀っていたように、弓月君の子孫で紛れもなくユダヤ人なのです。

蘇我氏4代、稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿も、その変わった名前と経済力、政権の中枢にもぐりこむ政治力からいって、間違いなくユダヤ系渡来人でありましょう。

天皇や皇太子を弑し奉ってまで、おのれの野望を遂げようとする暴力性・排他性は、純日本人には決して見られない資質です。

そんな蘇我氏と秦氏が、組まなかったのは何故なのか?

 

田中教授は、蘇我氏がキリスト教ネストリウス派だからだと云うのです。

時代的に、エフェソス公会議で追放されたネストリウス派(=景教)だとすれば、年代は見事に合致します。

蘇我氏は、聖徳太子を庇護して育ててもいますから、

「厩戸皇子」という御名前とエピソードは、イエスキリストに倣ったものだと、容易に推察されます。

仏教の導入は、単に廃仏派の古代豪族・物部氏を斃すためだったのだろうか?

物部氏は、徐福の引き連れてきたユダヤ人だと言っている人もいる。

軍事を司る一族だから、先祖が渡来人であっても不思議ではない。

すると、蘇我氏・物部氏・秦氏と、ユダヤ人の三つ巴の争いということになる。

 

ディアスポラで世界中に離散したユダヤ人は、東方に広がる過程で、ユダヤ教からキリスト教へ改宗していたとされています。

時系列からいって、蘇我氏よりもはるかに早く来日していた秦氏は、「原始キリスト教」だったと思われます。

北イスラエル王国の末裔とすれば、秦の始皇帝や徐福も、多神教を認めるような緩い支族で、隠れ蓑に「原始キリスト教」だったであろう。

そうすると、日本に同化した秦氏・物部氏に対して、蘇我氏は厩戸皇子を日本のキリストに仕立てようとした、新しいユダヤ系勢力です。

田中教授は、蘇我氏というのは「我、蘇り」だと解きます。キリストの復活なのです。

 

「人間マリアは人間イエスを生んだ。

しかるのちに神がイエスに降臨した。

だからイエスは神として祀るべきだが、マリアは人間だから祀るべからず」

(神学者ネストリウスは異端とされる)

> 「神がマリアの腹に宿り、イエスとして生まれたのだ。

イエスは胎児の時から神であり、神を生んだマリアは “ 神の母 ” として祀られるべきだ」

(神学者アタナシウスのマリア崇拝は公認される)

 

…… 聖母マリア信仰をみとめるアタナシウス派は、のちのカトリックへと繋がってゆく。

聖母マリアを認めない(マリアの神性を認めない)ばかりに、ネストリウス派は異端となった。

そんなネストリウス派と釈迦の仏教とは、相性がいいのだそうだ。

つまり独身男のキリストと、家族を捨てて出家した釈迦が被るのである。

イエスキリストが、「私」ということを言い始めた。(近代個人主義の元祖)

個人宗教のキリスト教は、

カトリック教会が共同宗教に変質させ、

これを破壊したルターやカルヴァンの宗教改革で

また個人宗教に戻りました。

このから西洋近代文明という「病」が始まります。

明治以降の日本人もこれに毒されました。

 

男性原理の原始キリスト教が、

アタナシウス改革でマリア信仰を取り入れた結果、ヨーロッパ布教に成功したように、

男性原理の原始仏教もまた、

菩薩信仰を取り入れた大乗に発展することで、

東アジアで爆発的に信徒を獲得していきました。

西暦1〜3世紀頃のことで、『法華経』やら『般若経』などがつくられるのがこの頃ですね。

 

……神仏習合の日本(神道という共同宗教と仏教という個人宗教との融合)と

キリスト教をうまく「飼い慣らした」ヨーロッパ(マリア信仰という共同宗教とキリスト教という個人宗教との融合)のみが、

ユーラシア大陸の東西で、「文化というもの」を持つようになったと指摘している。

 

共同宗教ー神道、旧約(ユダヤ教、イスラム教)

個人宗教ー新約(キリスト教)、仏教

 

ネストリウス派の蘇我氏は、個人宗教である仏教にキリスト教を上書きしようとしたが、

当の聖徳太子は個人宗教たる仏教はみとめず、出家を否定したのだと云う。

> (聖徳太子は)在家で日常的に修行ができる『維摩経』あるいは『勝鬘経』を取り入れました。

 

…… つまり、はなっから皇太子である厩戸皇子は、「神道」を信奉しており、仏教は神道を補佐するものという認識だったらしい。

蘇我氏の野望に踊らされる聖徳太子ではなかったのです。その英明さが、不幸にも蘇我氏による暗殺を招いたということです。

そして、「日本のキリスト」をつくることに失敗した蘇我氏は、そのあまりの横暴ぶりから、一族の命脈を絶たれてしまったのです。

ひところ、梅原猛『隠された十字架』はベストセラーになったものだが、この本は同様に「聖徳太子暗殺説」をとっているが、黒幕として比定されているのは、「中臣氏(=藤原氏)」なのである。

蘇我氏の、日本人離れした暗殺志向や政治力を、キリスト教異端ネストリウス派と離散ユダヤ人と絡めて、論証したのは、田中英道教授が初めてである。

 

わたしは、このネストリウス派(=景教)からの視点に、えらく惹かれるものがあった。

なぜなら、極東の島国・日本に、突如として

法然の「浄土教」、それに続く親鸞の「浄土真宗」があらわれたのは、如何にもおかしいからだ。

それらが、仏教の主流からは外れながらも、キリスト教のような世界宗教としての「格」と「奥行き」をもち、「誰でも一人残らず救う」という宗旨は、とうてい個人の思いからの立宗ではないと思われた。

法然上人は、たしか母方が秦氏の家系だったと思う。

親鸞上人は、夢殿で聖徳太子との神縁が深い。(伊勢白山道の霊視では、聖徳太子は碧い眼のハーフで、キリスト教だったような…… )

 

秦氏を通して、日本の念仏宗にキリスト教の教義が流入した可能性は、私は少なくないと感じていた。

 

ただ弓月君や始皇帝が奉じていたのが、景教だとすると、流石に時代が合わない。

彼らは、世に云う「改宗ユダヤ人(コンベルソ)」であったろうし、その宗旨は「原始キリスト教」だったであろうとする説には、瞠目した。

 

ユダヤ人は、日本に来ると心の奥に蔵ったユダヤ教を放棄するのである。(伊勢白山道は、ユダヤ教の『旧約』の神・ヤハウェは、日本の国常立大神と同体だからと言っていた。いわば日本が本家なのである)

 

 

ユダヤ教は、失われた10支族の住んだ北イスラエル王国では、多神教と親和性があり、寛容であったようです。

それは、エジプトが太陽神ラーを祀ったように、ユダヤ教の前身も「太陽信仰☀️」だったからです。

原始キリスト教も、そんなユダヤ教の系譜を継ぎますから、太陽信仰の「神道」とは同化しやすかったと思います。(クリスマスは、本来は冬至におこなう太陽の祝祭である)

実際、原始キリスト教の秦氏は、ユダヤ方式を押しつけることなく、宗教的にも日本に完全に帰化しました。

ところが、蘇我氏である。ネストリウス派である。

聖母マリア信仰や守護聖人信仰などは、要するに多神教へのアプローチであり、厳格な個人宗教であるネストリウス派は、それを容認できないのです。

日本の、聖徳太子が目指された「神仏習合」とは、多神教への妥協をゆるすことで、厳格な一神教の呪縛から解き放たれることを希求している。

そのバランスのよい寛容さのお蔭で、豊かで潤いのある「文化」が実り、独自の伝統が培われる風土を醸成することになる。

 

…… グローバリズムは、この各国の独自の文化を否定して、一律におなじものを作り上げる世界システムである。

が、離散ユダヤ人が永年の夢であった、祖国イスラエル🇮🇱を建国してから、グローバル・ユダヤの生き方も見直さざるを得なくなった。

故郷である母国を手に入れた今、純粋な正統のイスラエルは、グローバリズムに反するからである。

 

日本文化は、各国のオリジナル(=伝統)を決して損なうことなく、融合できる大らかさを兼ね備えている。

だから、イスラエルに行きたくない離散ユダヤ人を日本に移民させたらいいのではないか。

全員来たって、1500万人だから、一緒に神輿かついだらいいんだよ。

彼らの目指す「カナンの地」は、日本の加南だという人もいる。

ユダヤ人は独特の佇まいをもっていて、日本には馴染むのではないか、短調で暗い日本国歌『君が代』が大好きな民族だから。

 

わたしも歳取ったら、バーバラ・ストライザンド(ユダヤ人)が美人に見えてきて仕様がないのよ。彼女は、若いうちから何かオバサンくさかった印象があったんだけど、それがきっとユダヤ的な人間味なんだろうなと最近は思う。

 

 

 

ヘブライ語の歌で、日本で昔歌われていたのをピックアップしてみた。日本人の琴線に触れたんだよね。

 

伊勢白山道の霊視では、失われたアークは、伊勢神宮の多賀宮の丘に眠っているらしいね。はやく、日の目を見ないかな。

世界🌏🌍🌎が腰を抜かす様を見てみたいものだ。

         _________玉の海草