9月7日、ミンスク市内の路上で覆面姿の男ら数名に携帯電話を取り上げられ、黒いミニバンに押し込められて拉致された、野党調整評議会の幹部メンバー、マリヤ・コレスニコワ氏ほか2名のメンバー(広報担当アントン・ロドネンコフ氏とイワン・クラフツォフ事務局長)とが、9月8日の朝、ウクライナとの国境地帯にいることが目撃されました。
2名のメンバーは越境して、ウクライナに入国できたようです。しかしコレスニコワ氏はウクライナへの国外追放を断固拒否するべく、自ら自分のパスポートを破り捨てました。
パスポートを所持していない人はウクライナの入国管理局が入国拒否するからです。
ベラルーシ国内に残ったコレスニコワ氏は身柄拘束されました。
ベラルーシ政府側もそれを認め、大統領自ら、コレスニコワ氏はウクライナにいる妹のところへ逃げようとした、とロシアメディアのインタビューの質問に答えました。
しかし、本当にウクライナに逃げたいと思ったのなら、パスポートを自分で破り捨てたりしないでしょう。
今、情報が交錯しているのですが、ウクライナに入国した2人のメンバーは、ウクライナの国境警備隊に身柄拘束されたというニュースが入っています。
しかしウクライナ政府側はこれは事実ではないと発表。
いろんな立場の人がいろんなことを言っていて、真実がまだはっきり見えてきません。
続報があったら、また書き込みます。
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ウクライナに入国した二人の野党調整評議会のメンバー、広報担当アントン・ロドネンコフ氏とイワン・クラフツォフ事務局長はコレスニコワ氏と同じ日に拘束されました。
9月8日にウクライナで行われた記者会見の席上で、二人はこのように述べました。
9月7日の朝、ジャーナリストから、コレスニコワ氏と連絡がつかない、何か知らないかと電話がかかってきました。二人もコレスニコワ氏に電話をしたものの、出ません。しかし、コレスニコワ氏の携帯電話が自宅にあることはコンピュータのおかげでわかったので、二人はコレスニコワ氏の自宅に向かいました。しかし自宅は留守。
マンションの外へ二人が出るとそこに警察とミニバンが待ち構えていました。そして二人は車両に乗せられ、警察署に・・・ではなく組織犯罪・汚職捜査局へ連行されました。
そこで40分ばかりいたのですが、拘束の理由など説明は全くありませんでした。その後二人は手錠をかけられ、頭に袋をかぶせられました。
そしてどこか別の建物に連れて行かれ、手錠と目隠しをされたまま、4時間放置されました。
午後2時ごろだったか、手錠と目隠しは外されましたが、そのままKGBに移送されました。
そこで午後9時半まで拘束されていました。というのがロドネンコフ氏の話です。
クラフツォフ事務局長も同様に組織犯罪・汚職捜査局に連行されましたがロドネンコフ氏よりいろいろ尋問を受けたようです。
3人の担当官が身元は明かさずにクラフツォフ事務局長に質問をして調書を取ったようです。質問の内容クラフツォフ事務局長の前職のことだったようで、職権乱用の疑いがあると言われたそうです。尋問は午後3時半から午後9時まで続きました。
そして、「今すぐ国外へ退去しろ。そうしなければ裁判にかけられ、5年から12年の刑になるぞ。」と脅されました。
クラフツォフ事務局長は以前、こういうことを想定しており、コレスニコワ氏と、このような事態になったらどうするか話し合ったことがありました。そのとき、国内での野党の活動を続けるため、国外退去命令が出ても拒否しようと、決めていたそうです。
KGBは「自分の車に乗って自分で運転して越境する。コレスニコワ氏も連れて行く。」という選択肢があると言いました。
クラフツォフ事務局長はコレスニコワ氏が国外退去を強制されているらしいと感じました。
その後クラフツォフ事務局長はKGBに移送されたときにコレスニコワ氏もKGBにいるのだろう、と予想しました。そして3人を合流させて、そのまま国境地帯へ連れて行かれるに違いないと考えました。
ロドネンコフ氏にはKGB職員らしき二人がやってきて、自分を含め他の二人を助けたいだろう、そのためには越境するしかない、と説得してきました。
これから取り調べのため、18ヶ月は留置所で暮らすことになると言われました。
ロドネンコフ氏は三人で越境することに同意しました。
その頃にはこの3人が所在不明になっているとメディアも騒ぎ始めていたのですが、問い合わせに対し警察は、拘束についての情報はないとしていました。
(警察は拘束していなくて、KGBが拘束している、というところでしょうか。)
コレスニコワ氏の親族(おそらく父親)は捜索願を警察に提出しています。
こうして三人は三台の車に分乗させられ、(最初の20分間は頭に袋をかぶせられていたそうです。)他にも数台の車が取り囲んだ状態でウクライナ国境地帯へ向けて連れて行かれました。
その車の中にはクラフツォフ事務局長所有の車もあり、本人が運転するよう強要されました。
ミンスクからウクライナの国境まで5、6時間かかりますが、車両の列は一度も止まりませんでした。その間、車の中で、「コレスニコワは不安がっている。二人でなだめるように。」と言われていました。
ベラルーシの国境出国管理局に到着すると、三人はやっと顔を合わすことができました。するとコレスニコワ氏はふだんどおり、とても元気なようすでした。国外に出るなどさらさら考えていないことが、二人にはすぐ見て取れました。
出国審査をした係員は、コレスニコワ氏の姿を見ると、とても長くパスポートと見比べていましたが、「マーシャ、ありがとう。」と言って通したそうです。
国境地帯(ベラルーシ出入国管理局とウクライナ出入国管理局の間にある中立地帯)に三人を連れてきた係員たちはクラフツォフ事務局長所有の車に残りの二人を移動させ、三人そろってウクライナに出国させ、自分たちはベラルーシ側に残ろうとしました。クラフツォフ事務局長は運転席に、ロドネンコフ氏は助手席に。そして係員は後部座席に無理やりコレスニコワ氏を押し込みドアを閉めました。コレスニコワ氏は「私はどこにも行かないわよ!」と叫んでいました。
その車の中に三人のパスポートがあるのを見つけると、コレスニコワ氏は自分のパスポートを細かくちぎってしまいました。その破片を握ると、車の周りにいた係員たちに向かって投げつけました。そして後部座席の窓から身を乗り出して外に出ると、走ってベラルーシ出入国管理局の方向、つまりウクライナとは反対方向へ走って逃げて行きました。
しかしすぐに係員たちがコレスニコワ氏を追いかけて、他のマイクロバスに押し込んでしまいました。
そして残りの二人にも「ベラルーシ側に戻れ!」と命令が出ました。すると国境地帯すぐそばの森の中から青いマイクロバスが急に出てきて近づいてきたので、クラフツォフ事務局長は車を急発進させ、出せる限りのスピードを出して追っ手を振り切り、ウクライナ側の入国管理局に走り込みました。
この森から出てきた青いマイクロバスが何だったのかよく分かりません。これに三人を乗せて越境させようとしたのか。あるいは越境がうまく行かなかった場合の護送用だったのか。
ともかくクラフツォフ事務局長の頭の中にあったのは、コレスニコワ氏がパスポートを破ると、ウクライナ側は入国させることができないので、コレスニコワ氏をウクライナに出国させる計画が失敗したこと、そしてそれはKGBの大失態で、それを目撃証言するであろうクラフツォフ事務局長とロドネンコフ氏は、邪魔な存在になってしまい(最悪の場合、KGBに消される?)何が何でも拘束しなくてはいけなくなったこと、そして拘束されたら刑務所に最低5年は放り込まれてしまうことなど・・・です。
クラフツォフ事務局長は必死でアクセルを踏みました。ベラルーシKGBは行く手を遮断することは全くできず、自分たちも車に乗って後を追いかけてきました。
しかしクラフツォフ事務局長はウクライナの入国管理局に逃げ込むことに成功。ウクライナの出入国管理局の職員はすぐに二人をかくまってくれました。
もちろんウクライナ側に拘束されることなく、無事に二人はキエフにたどり着くことができました。
(三人とも国外退去させる計画が失敗したので、「残る二人がウクライナの悪しき策略により、拘束されてそれでウクライナ国内にいるのだ。」・・・ということにベラルーシ政府側はしたかったのかもしれません。)
後でクラフツォフ事務局長の車の中を調べると、ウクライナに入国するために必要な書類が三人分、ちゃんと用意されていたそうです。
例えばコロナウイルスの検査結果(もちろん三人とも陰性結果。検査を受けていないのに。)、旅行保険、さらにはクラフツォフ事務局長とロドネンコフ氏名義のキエフからトルコ行きの飛行機のチケット(もちろん片道)、コレスニコワ氏名義のウイーン経由ミュンヘン行きの飛行機のチケット(もちろん片道)などがばっちり出てきたそうです。
二人はすでにウクライナで居住できる許可も出て、これからはウクライナの支援者とともにベラルーシの野党活動を続けるそうです。
二人は事態を飲み込み、国境をすぐに通してくれたウクライナ国境警備隊と出入国管理局職員に感謝の意を表しました。
同日、ロシアのメディアのインタビューで、ベラルーシ大統領はこのように述べました。
「あの野党メンバーの三人は以前から国外へ出ようと準備していたのです。飛行機のチケットなども予約してたのですよ。そして一人が自分で運転する車に乗って、ウクライナへ向かった。国境地帯に差し掛かり、男二人は、女一人(コレスニコワ氏)を車から捨てたのです。道中でですよ。道中で。あの二人はよくそんなことができましたね。ベラルーシ国境警備隊は当然規則に則って彼女を拘束しました。」
野党調整評議会幹部は、コレスニコワ氏の所在を探し回り、モズィリ市の国境警備管理局のどこかに拘束されていると思われると発表しました。
同日、ミンスク市内ではコレスニコワ氏の解放を訴えるデモ行進が行われ、多数が拘束されました。
またミンスク市勝利広場から独立広場に向けて政府支持者によるデモ行進も行われました。
ベラルーシの国歌を歌い、ベラルーシ国旗のほか、ロシア国旗やソ連国旗をかかげる参加者もいました。