ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ベラルーシ・ロトのサイトがハッカー攻撃を受ける

2020-09-12 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

9月12日、ベラルーシ・ロトのサイトがハッカー攻撃を受け、トップページが

「チハノフスカヤさん、誕生日おめでとう! 1日も早く大統領になりますように。サイバーパルチザン」というメッセージに書き換えられました。

 同じハッカー(一人ではなく集団かも)のしわざです。

 チハノフスカヤ元候補は9月11日が38歳の誕生日でした。

 ベラルーシ・ロトとは、国が運営する宝くじのことです。

 当たると乗用車(国営企業製造の車)やマンション(公営住宅)、賞金(高い税金を払わないと受け取れません)がもらえます。

 宝くじ販売によって得られた収益は国が吸収。おそらく今は治安部隊のボーナスに充てられていると思います。

 ちなみにベラルーシ国立図書館が建設されるときの資金集めのためにこの宝くじの収益が使われました。

 国立図書館ロトという宝くじで、ベラルーシの公務員は全員買わされました。

 ミンスク市立児童図書館勤務の私も当然何回か買わされました。1回だけ一番下の金額が当たって、300円もらえました。でもそれ以上のお金を使って宝くじを買わされたので・・・

 ミンスク一の観光名所ということで、ベラルーシ人は(特にお役人関係の人は)外国人観光客に勧めるのですが、日本人の感覚からすると「は? 観光名所が図書館? 言葉分からないから本を見ても・・・ああ、屋上が展望台になっている? でも高層建築は日本のほうがずっと高くておもしろいし・・・。」という反応が多く返ってきます。仕方なく行ってみると、意外とおもしろかったという感想もよく日本人からもらいますが。

 わずかながらも建設費用を宝くじ購入で負担させられた私からすると、

「図書館なのにデザインがおかしい。」とか「観光地と言ってるけどつまらない。」などと言われると複雑な気持ちになります・・・。


テニス全米オープン、アザレンカ選手と大阪選手が決勝へ

2020-09-12 | ベラルーシ文化

 テニスの全米オープンの決勝戦、ヴィクトリヤ・アザレンカ(ベラルーシ)選手と大阪なおみ選手が対決することになりましたね。

 今、ベラルーシは珍しく世界でニュースになっているので、アザレンカ選手応援の声がベラルーシでは大きいです。

 アザレンカ選手はベラルーシのテニス選手ですが、前からベラルーシ国内では練習していません。よりよい環境を求めて海外に練習拠点を置いています。今はアメリカ。

 大阪なおみ選手も、二重国籍だったのか日本国籍を選択して、東京五輪にも日本の代表として出場予定で、でも住んでいるところや練習拠点はアメリカですよね。

 私としてはどちらが優勝してもうれしいですね。

 

 


バチカンの国務長官がベラルーシ外務大臣と会談

2020-09-11 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 9月11日、バチカンの国務長官がミンスクを訪問し、ベラルーシの外務大臣と会談しました。

 8月31日、ベラルーシのローマカトリック教会の長、タデウシュ・コンドルセヴィチ大司教がポーランドからのベラルーシへの入国を説明なしに拒否されたことについてコンドルセヴィチ大司教がベラルーシ国籍を持っていることから、法律違反であると指摘しました。

 この件についてベラルーシ大統領は、「大司教はポーランド側からの任務を受けたからベラルーシ国内に入国できなかった。」と以前話しています。

 司教団は「ベラルーシ当局の一連の言動は、バチカンとベラルーシのカトリック教会の間の建設的な関係を築くことに寄与しない。社会の深い分断を克服するのに役立たない。」と述べました。

 予想通りの物別れな会談ですが、わざわざバチカンの国務長官(ローマ教皇に近いところにいる立場の大司教)がベラルーシに来て外務大臣を会談をしたことが重要だと思います。

 

 ベラルーシ外務省はローマ教皇のベラルーシ訪問を正式に招待しました。もちろん今のベラルーシにローマ教皇が訪問するかどうか分かりません。

 

 このようにバチカンから国務長官が来たというのに、今日も赤いカトリック教会(聖シモンと聖ヘレナ教会)の入り口に治安部隊が立ちふさがり、中に入ろうとしたデモ参加者の女性を後ろからも挟み撃ちにして、一人の女性を男性3人で引きずって、教会の真ん前に止めた護送車の中に次々と押し込んでいます。

 女性たちは悲鳴を上げて、抵抗していますが、治安部隊を止めようとした女性も護送車へ。落とした白赤白の旗は治安部隊に踏まれたり、丸められて回収されています。

 

 9月11日夜、ポーランドのワルシャワで、「ベラルーシのために演奏しよう!」コンサートがベラルーシ人アーティストとポーランド人アーティストにより行われています。

 ベラルーシからはリャボンとトーダル、クリヴィが出演していました。(リャボンとトーダルは今、ポーランドにいるんですね。無事ベラルーシへ戻って来られますように。)

 コンサートの様子はユーチューブで視聴できます。


ベラルーシのコロナウイルス感染者73784人。死者数738人

2020-09-11 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 9月11日の書き込みです。

 ベラルーシのコロナウイルス感染者数は73784人になりました。1日の新規感染者数は193人です。

 死者数は738人です。

 72369人が回復しました。

 162万件の検査数となりました。


9月11日、朝から身柄拘束始まる

2020-09-11 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 9月11日朝、ミンスク州裁判所で、ベラルーシカリでストライキを起こした従業員の裁判が始まりました。

 取材しようとしていた独立系テレビ局のスタッフが拘束されました。

 また被告の家族か知人でしょうか。裁判所の前に集まっていた女性が拘束されました。この女性は激しく抵抗しましたが、3人の治安部隊に護送車に押し込まれました。

 少なくとも6人が拘束されたようです。

 午前、国立ゴメリ技術大学の助教が一人でベラルーシカリでストライキを起こした従業員への裁判に反対して、大学の前でたった一人プラカードを掲げていたら、警察が来て、あっという間に護送車に押し込まれて身柄を拘束されました。

 午後、それに抗議する学生が今、大勢「先生を解放せよ!」というプラカードを持って、大学前でデモ集会を開いています。

  

 野党調整評議会幹部メンバーですでに逮捕されたコレスニコワ氏の弁護士も逮捕されました。

 

 ロシアのテレビ局RTが、32人のロシア人スタッフが、ベラルーシのテレビ局で解雇されたベラルーシ人スタッフの代わりに働いていることを認めました。

 

 ベラルーシ青年劇場がストライキに入りました。

 

 ベラルーシの検事総長が解任されました。すでに新しく任命されています。

 前の検事総長の息子は、今年の3月までIT企業「パンダ・ドク」のマネージャーをしていました。

 

 ベラルーシ大統領は9月14日にモスクワでロシア大統領とベラルーシ情勢について協議することが決定しました。(モスクワではなくソチだという報道もあります。)

 


在ベラルーシ・スウェーデン大使館にベラルーシ人が逃げ込む

2020-09-11 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 ミンスクにある在ベラルーシ・スウェーデン大使館に二人のベラルーシ人(ビテプスク市民だそうです。)が亡命したいとやってきました。

 二人は父子で、9月6日ミンスクで行われたデモ集会に参加したときに催涙ガスをまかれ、拘束されそうになりましたが、何とか逃げて4日間身を隠していたそうです。

 そしてスウェーデンへの亡命を求めて大使館まで来たのですが、外国の大使館の警備をするのは、大使館がある国の警察が担当するので、スウェーデン大使館の警備をしていたベラルーシ警察は、中に入れてくれませんでした。

 それでこの二人は塀をよじ登って、大使館の敷地内へ。これでベラルーシの中にありながら、ベラルーシの法律のおよばない場所に入ることができました。

 この二人は今スウェーデン大使館内にいますが、本当にスウェーデンに亡命できるかどうかはまだ分かりません。スウェーデン大使館も何もコメントしていません。

 今日、スウェーデン大使館の出入り口には覆面姿の男二人が張り付いており、近くにも警察が見張っていてる状態です。

 ここでこのベラルーシ人親子が一歩でもスウェーデン大使館の敷地から出たら、その場で逮捕されるでしょう。

 これからどうなるのでしょうか。

 


消防士が不当解雇される

2020-09-11 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 ミンスク市内の高層マンションの間に住民がロープを張って、白赤白の旗を吊り下げると、それを警察が取り外したのですが、高すぎるので消防署に依頼してはしご車を使って外させる、しかしまた住民がロープを張って、旗を吊り下げるということの繰り返しが起きています。

 先日、また消防署にはしご車出動の要請が来たのですが、消防士の一人マクシムさんが、出動前にマンション住民に「またそちらへ行って旗を取り外すよう出動要請があったので、今から向かいます。」と事前に連絡しました。

 その後、マクシムさんは退職願を出すよう強要されたのですが、拒否。その結果解雇され、消防隊員の寮から三日以内に出るよう言われました。

 マクシムさんには幼い息子と妊娠中の妻がいます。

 マクシムさんは解雇命令を取り消すよう訴えるとして、弁護士と相談中です。

 このことがニュースになると、マクシムさんに「よかったらうちに住んでください。」と住居提供の申し入れが300件ぐらいきました。また、これをしばらくの生活費に使ってください、と寄付金を渡そうとする人も大勢現れました。

 マクシムさんは、支援に感謝しましたが、とにかく裁判が終わるまでは引っ越さないし、寄付金も受け取らないと話しています。必ず裁判でこれは不当解雇だと決めるとしています。

 


拘束されていた大学生が罰金を払って解放される

2020-09-10 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 逮捕されたコレスニコワ氏の解放を求めるデモ集会が9月9日ベラルーシ各地で行われました。

 そのうち、ミンスクの地下鉄マリノフカ駅でデモをしていた人たちが治安部隊に拘束されました。

 その中の6人はベラルーシ医大の学生(全員女性)でした。みんなまとめてオクレスチナ収容センターへ護送されました。

 翌日9月10日、ベラルーシ医大の学長と学部長数名がオクレスチナ収容センターへ向かいました。

 しばらくして、675ベラルーシ・ルーブル(約300ドル)の罰金を支払うことによって、解放されることになり、6人全員罰金を支払いました。

 そして午後の授業には出席しました。(退学処分にならなくてよかったですね。)うち一人は講義室の真ん中を白赤白の旗を持って歩いたりと前から目立っていたそうです。

 午後、授業に出てくると、その場にいた学生は拍手で出迎えました。一方で、

「デモに出て、拘束されて、それで何か社会が変わったって言うの? 罰金を国に払ったりして。そのお金が治安部隊のボーナスになるのに。結局は治安部隊を助けているじゃない。」

と言う意見の学生もいます。

 拘束されていた間、学生は夜中、上半身はTシャツ一枚の格好で、上着を着させてもらえず一晩中震えていたそうです。(あ、下はちゃんとズボンやスカートをはいていました。)

 大学内でまた歌を合唱していると学長がやってきて、大学内では歌を歌ってはいけません、と注意しました。

 もともとこの学長は、学生が自分なりの意見を持つのはいいが、大学内でデモ集会をするのは禁止と話していました。どうせするなら、大学以外の場所でしなさい、とも言っていたそうです。

 それで、地下鉄の駅の近くのデモ集会に参加していたら、他の人たちといっしょに拘束されてしまいました。そして学長自ら収容センターまで出向くことになり、そのことが報道されました。

 

 高層マンションの間にロープを張って、白赤白の旗を掲げていた住民も罰金が課せられるそうです。

 罰金刑が増えています。全部治安部隊の給料になるのでしょう。

 

 試合に「暴力反対」のスローガンが書かれたお揃いのユニフォームを着たサッカーチーム「クルムカチ」には、3375ベラルーシ・ルーブルの罰金が言い渡されました。

 罰金の理由はスローガンの内容ではなく「試合時間が長引いたことへの責任」だそうです。

 

 ノーベル賞作家アレクシエーヴィチは、

「私はベラルーシから離れない。」

と話しました。

 家の窓から外を見ると護送車が2台も止まっています。

 ただ私が思うには、やろうと思えばとっくにアレクシエーヴィチを拘束、そしてどこか国境近くへ連れて行って、国外退去させられるはずです。簡単なことです。

 しかし、それをせず家の窓の見えるところに護送車を置いているのは、やはりアレクシエーヴィチがノーベル賞作家で世界的に有名人なので、無理やり拘束そして国外退去などさせると、世界中から非難されるので、わざと無理な拘束はしないでいるのではないでしょうか。

 そして護送車を近くに止めて、恐怖心を煽り、アレクシエーヴィチが怖がって、自らどこか外国へ行くのを待っているのかもしれません。

 しかしアレクシエーヴィチは「私はベラルーシから離れない。ベラルーシ人を尊敬している。」と堂々と述べました。また国連に監視団の派遣を要請しました。

 

 逮捕されミンスクの留置場にいるコレスニコワ氏は、弁護士を通じて、拉致され拘束されたときに、国外への退去を強要された、と話しました。拒否してもどっちみち国外に出される、生きて出るか、バラバラになって出るかの違いがあるだけだとKGBに言われたそうです。

 さらにベラルーシ国内に残ると、最長25年の刑務所暮らしになると脅されたそうです。

 

 新党「共に」設立をババリコ氏と発表していたコレスニコワ氏が逮捕されたら、元大統領候補の一人だったアンナ・カノパツカヤ氏が、別に新党、国民民主党を設立する予定で、手続きを始めたと発表しました。

 

 今日もベラルーシ各地でデモ集会が行われています。

 歌を歌ったりする平和的なデモ集会もあります。治安部隊がやってきて、取り囲んでいますが、デモ参加者は自分たちが飲んでいた紅茶やクッキーなどをいくつか治安部隊のすぐそばに持ってきて、「よかったら食べてくださいね。」などと話しかけています。 

 この集会の会場になった団地の住民に対して24300ルーブルの罰金だそうです。消防法違反だそうです。

 


ベラルーシのコロナウイルス感染者73591人。死者数732人

2020-09-10 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 9月10日の書き込みです。

 ベラルーシのコロナウイルス感染者数は73591人になりました。1日の新規感染者数は189人です。

 死者数は732人です。

 72203人が回復しました。

 161万件を超える検査数となりました。

 


詩「広島」を日本語に翻訳しました

2020-09-10 | ベラルーシ文化

 今日、9月10日にベラルーシ文化芸術大学で第2回ベラルーシ文化国際学術会議が開催される予定でした。

 ベラルーシ文化芸術大学の助教授、ユリヤ・ヤロツカヤ先生と共同論文を執筆し、この会議上で発表することになり、登壇を依頼されていたのですが、開催は中止になりました。

 理由はコロナウイルス感染拡大防止のためです。ただ論文は今月中にまとめられ出版される予定です。論文集の出版を会議開催に代えるという連絡が大学側から来ました。

 私はベラルーシの詩人シャルヘイ・ジャルハイの詩「広島」をベラルーシ語から日本語に今回翻訳していました。それを論文の中で取り上げ、二カ国語で会議の席上朗読する予定だったのです。

 今日、発表できなかったのは残念ですが、論文集の中に翻訳が掲載されるのはありがたいことです。ただ発表する予定が延びてしまいました。そこで、このブログ上で「広島」は発表したいと思います。

・・・・・・・

広島

 

石の廃墟の上で

永遠に

君の姿は戻らない

死と苦しみの

広島。

灰は

混乱を生き埋めにし、

そして、安寧は見つからず

私たちの心の底で澱となる。

広島。

私たちは愛し、忘れない

私たちは探し続け、望みを捨てない

私たちは信じ、支えよう。

私たちは支えよう

広島を。

一分、

黙祷の一分で哀悼を捧げよう

起こったことを思い出しながら・・・

ほんのわずかな時間であっても、

広島に。

兵器による永遠の静寂、

世界の黙祷

記憶を讃えよう

君の犠牲を

広島の。

いつか時が来る。

春、花が世界中に咲く時が

そして、再生し復活する。

君の静かな栄光が

広島の。

 

・・・・・・・

 シャルヘイ・ジャルハイ(Сяргей Дзяргай. 1907-1980)によるベラルーシ語原詩はこちらです。

 

Хірасіма

На каменні руін тваіх

Адвіты 

На вечныя векі

Смерць і пакуты,

Хірасіма.

Попел жывы 

Поўніць бязмежжа

І, не знаходзячы спакою,

Асядае ў нашіх сэрцах,

Хірасіма.

Мы любім і помнім,

Мы шукаем і спадзяемся,

Мы верым і змагаемся.

Змагаемся,

Хірасіма.

Адна хвіліна,

Хвіліна жалобнага маўчання 

У памяць таго, што было, – 

Гэта вельмі мала,

Хірасіма.

Вечным маўчаннем гармат,

Цішынёй вечнага міру

Ушануем памяць

Ахвар тваіх,

Хірасіма.

Прыйдзе час:

Ўся зямля будзе ў веснім цвеце

І адродзіцца, уваскрэсене

Ціхая слава твая,

Хірасіма.

 

 引用先 Дзяргай С. Чатыры стыхіі, Мастацкая літаратура, Мінск, 1988, ст. 39-40 

この作品は1957年に書かれました。(どうしてこの年に「広島」という詩をベラルーシで書いたのか不明ですが、この年はアメリカでプラムボブ作戦という核実験が繰り返し行われていた年なので、報道を見て広島の原爆のことを想起したのかもしれないですね。)

 1行目の「石の廃墟」というのは原爆ドームのことだと思います。

 私の同僚の図書館司書の話によれば、作者のシャルヘイ・ジャルハイ(1907−1980)はベラルーシで特別有名でも人気のある詩人というわけではないそうです。ミンスク生まれミンスク育ちで文芸雑誌の編集長をしながら、ロシア語やポーランド語の詩をベラルーシ語に訳したという功績のある人です。

 おそらく来日したこともなく、広島に何かゆかりのある人だとも思えません。

 そうであるにも関わらず「広島」という題名の詩を書いたのはなぜなのでしょう。

 それはやはり、反戦、反核、そして平和を願う強い気持ちから、この作品を書いたのではないでしょうか。

 ベラルーシの詩人がずっと以前に、「広島」という詩をベラルーシ語で書いてくれていたこと、日本人の私は全く知りませんでした。

 しかし、この詩がアジア諸国を紹介する本に再録されたのを偶然、職場(図書館)で見つけて、日本語に翻訳しようと思いました。

 翻訳したので今日、ベラルーシ文化国際学術会議上で発表したかったのですが、残念ですね。

 出版を待ちたいと思います。このブログ上で一足早く発表することにしましたが、読んでくださった日本の皆様、ありがとうございます。

 ベラルーシの詩人が広島の原爆について思いを馳せ、被爆者に心を寄せて書いた詩だと思います。

 ベラルーシから日本へのその思いを日本人の私は大切に受け止めたいと思っています。

 


イギリスのゴリラズの最新曲

2020-09-09 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 ゴリラズが9月9日に発表した新曲ですが、ユーチューブで動画(いつものようにアニメですが。)が見られます。

 ありがとう、ゴリラズ! ワールドツアーで多くの国で演奏していますが、ベラルーシには一度も来たことないのに・・・イギリスからベラルーシを見てくれているんですね。前からファンだったけど、ますますファンになりました。 

 

 


9月9日、大統領選挙から1ヶ月。野党調整評議会は

2020-09-09 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 9月9日、野党調整評議会の幹部メンバー、マクシム・ズナクが逮捕され、幹部メンバーでベラルーシに残っていて、拘束あるいは逮捕されていないのは、ノーベル賞作家、アレクシエーヴィチだけになってしまいました。

 もっとも幹部ではないメンバーは1000人ぐらいいます。

 目立つ幹部メンバーを集中して国外退去させるか逮捕するかしています。

 マリヤ・コレスニコワ氏とズナク氏は覆面姿の集団に拉致され、その後逮捕され、そして「国家権力を奪おうとした罪」つまりクーデターを計画した罪により、裁かれることになりました。

 

 ズナク氏はハンガーストライキに入ると弁護士に話しているそうです。

 

 アレクシエーヴィチは、自宅で今朝、早朝に誰かがドアのチャイムを押した、とジャーナリストの取材で話しました。窓から外を見ると、黒い車が2台止まっています。正体不明の集団もその周りにいました。

 アレクシエーヴィチは家から出るのを避けて、ジャーナリストに電話をして自宅まで来るよう頼みました。大勢のジャーナリストが詰めかけ、玄関先で囲み取材のようになりましたが、アレクシエーヴィチ自ら現状を語りました。

 アレクシエーヴィチ自身がジャーナリストですからね。

 アレクシエーヴィチは外出すると誰かが尾行しているとも話しました。

 この日アレクシエーヴィチの自宅にはリトアニア、ドイツ、ポーランド、スロバキア、チェコ、スウェーデンの大使が集まり、支持を表明しました。

 

 リトアニアにいるチハノフスカヤはポーランドを訪問。首相に面会し、また英語で演説をするなどして、ベラルーシの現状を語り、支援を呼びかけました。

 ワルシャワの通りには、チハノフスカヤを歓迎するプラカードなどをかかげたベラルーシ人、ポーランド人が大勢集まりました。

 ポーランドに脱出したメンバーや国外退去させられたメンバーとも再会できました。

 

 今日午後6時からミンスク市中心部でコレスニコワ氏の解放を求めるデモ集会が始まりました。

 20分後には治安部隊が現場に到着。「この集会は認可されていません。解散してください。」と拡声器で呼びかける警察。

 そして、次々とナンバーのないマイクロバスにデモ参加者を乗せていきます。ほとんどが女性です。年齢もさまざまです。

 堂々とした態度で護送車に入る人もいれば、「助けて!」と叫ぶ女性もいます。

 

 ハッカー攻撃を受けた内務省アカデミー(防衛大学)のサイトが、復旧したものの今日の夜8時に再びハッカー攻撃を受けました。トップページで大学名が「防衛大学みたいなもの」に書き換えられ、「サイバーパルチザン」と名乗る人物が犯行声明を出しています。

 

 


ベラルーシのコロナウイルス感染者73402人。死者数726人

2020-09-09 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 9月9日の書き込みです。

 ベラルーシのコロナウイルス感染者数は73402人になりました。1日の新規感染者数は194人です。

 死者数は726人になりました。

 71999人が回復しました。

 160万件を超える検査数となりました。

 

 1日の新規感染者数が減りません。人が密集するデモ集会、定員オーバーの留置所などが原因でしょうか。


コレスニコワ氏、逮捕。また野党幹部メンバーが拉致、拘束

2020-09-09 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 国外退去命令に逆らって自分のパスポートを破った野党調整評議会メンバーのコレスニコワ氏は、今日、ミンスク市内の留置場に移送されました。

 単なる身柄拘束ではなく、すでに逮捕されたことになったので、収容センターへの移送ではなく、留置所に入れられ、今後取り調べによっては起訴、裁判へ・・・という流れになりそうです。

 

 同じく野党調整評議会のメンバー、マクシム・ズナク氏も今日、身柄拘束されましたが、覆面姿の身元不明の男たちに取り囲まれて、拉致されたようです。

 


野党調整評議会メンバーがウクライナへ国外追放されかかったがパスポートを破り捨てる

2020-09-08 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 9月7日、ミンスク市内の路上で覆面姿の男ら数名に携帯電話を取り上げられ、黒いミニバンに押し込められて拉致された、野党調整評議会の幹部メンバー、マリヤ・コレスニコワ氏ほか2名のメンバー(広報担当アントン・ロドネンコフ氏とイワン・クラフツォフ事務局長)とが、9月8日の朝、ウクライナとの国境地帯にいることが目撃されました。

 2名のメンバーは越境して、ウクライナに入国できたようです。しかしコレスニコワ氏はウクライナへの国外追放を断固拒否するべく、自ら自分のパスポートを破り捨てました。

 パスポートを所持していない人はウクライナの入国管理局が入国拒否するからです。

 ベラルーシ国内に残ったコレスニコワ氏は身柄拘束されました。

 ベラルーシ政府側もそれを認め、大統領自ら、コレスニコワ氏はウクライナにいる妹のところへ逃げようとした、とロシアメディアのインタビューの質問に答えました。

 しかし、本当にウクライナに逃げたいと思ったのなら、パスポートを自分で破り捨てたりしないでしょう。

 

 今、情報が交錯しているのですが、ウクライナに入国した2人のメンバーは、ウクライナの国境警備隊に身柄拘束されたというニュースが入っています。

 しかしウクライナ政府側はこれは事実ではないと発表。

 いろんな立場の人がいろんなことを言っていて、真実がまだはっきり見えてきません。

 続報があったら、また書き込みます。

・・・

 ウクライナに入国した二人の野党調整評議会のメンバー、広報担当アントン・ロドネンコフ氏とイワン・クラフツォフ事務局長はコレスニコワ氏と同じ日に拘束されました。

 9月8日にウクライナで行われた記者会見の席上で、二人はこのように述べました。

 9月7日の朝、ジャーナリストから、コレスニコワ氏と連絡がつかない、何か知らないかと電話がかかってきました。二人もコレスニコワ氏に電話をしたものの、出ません。しかし、コレスニコワ氏の携帯電話が自宅にあることはコンピュータのおかげでわかったので、二人はコレスニコワ氏の自宅に向かいました。しかし自宅は留守。

 マンションの外へ二人が出るとそこに警察とミニバンが待ち構えていました。そして二人は車両に乗せられ、警察署に・・・ではなく組織犯罪・汚職捜査局へ連行されました。

 そこで40分ばかりいたのですが、拘束の理由など説明は全くありませんでした。その後二人は手錠をかけられ、頭に袋をかぶせられました。

 そしてどこか別の建物に連れて行かれ、手錠と目隠しをされたまま、4時間放置されました。

 午後2時ごろだったか、手錠と目隠しは外されましたが、そのままKGBに移送されました。

 そこで午後9時半まで拘束されていました。というのがロドネンコフ氏の話です。

 クラフツォフ事務局長も同様に組織犯罪・汚職捜査局に連行されましたがロドネンコフ氏よりいろいろ尋問を受けたようです。

 3人の担当官が身元は明かさずにクラフツォフ事務局長に質問をして調書を取ったようです。質問の内容クラフツォフ事務局長の前職のことだったようで、職権乱用の疑いがあると言われたそうです。尋問は午後3時半から午後9時まで続きました。

 そして、「今すぐ国外へ退去しろ。そうしなければ裁判にかけられ、5年から12年の刑になるぞ。」と脅されました。

 クラフツォフ事務局長は以前、こういうことを想定しており、コレスニコワ氏と、このような事態になったらどうするか話し合ったことがありました。そのとき、国内での野党の活動を続けるため、国外退去命令が出ても拒否しようと、決めていたそうです。

 KGBは「自分の車に乗って自分で運転して越境する。コレスニコワ氏も連れて行く。」という選択肢があると言いました。

 クラフツォフ事務局長はコレスニコワ氏が国外退去を強制されているらしいと感じました。

 その後クラフツォフ事務局長はKGBに移送されたときにコレスニコワ氏もKGBにいるのだろう、と予想しました。そして3人を合流させて、そのまま国境地帯へ連れて行かれるに違いないと考えました。

 ロドネンコフ氏にはKGB職員らしき二人がやってきて、自分を含め他の二人を助けたいだろう、そのためには越境するしかない、と説得してきました。

 これから取り調べのため、18ヶ月は留置所で暮らすことになると言われました。

 ロドネンコフ氏は三人で越境することに同意しました。

 

 その頃にはこの3人が所在不明になっているとメディアも騒ぎ始めていたのですが、問い合わせに対し警察は、拘束についての情報はないとしていました。

 (警察は拘束していなくて、KGBが拘束している、というところでしょうか。)

 コレスニコワ氏の親族(おそらく父親)は捜索願を警察に提出しています。

 

 こうして三人は三台の車に分乗させられ、(最初の20分間は頭に袋をかぶせられていたそうです。)他にも数台の車が取り囲んだ状態でウクライナ国境地帯へ向けて連れて行かれました。

 その車の中にはクラフツォフ事務局長所有の車もあり、本人が運転するよう強要されました。

 ミンスクからウクライナの国境まで5、6時間かかりますが、車両の列は一度も止まりませんでした。その間、車の中で、「コレスニコワは不安がっている。二人でなだめるように。」と言われていました。

 ベラルーシの国境出国管理局に到着すると、三人はやっと顔を合わすことができました。するとコレスニコワ氏はふだんどおり、とても元気なようすでした。国外に出るなどさらさら考えていないことが、二人にはすぐ見て取れました。

 出国審査をした係員は、コレスニコワ氏の姿を見ると、とても長くパスポートと見比べていましたが、「マーシャ、ありがとう。」と言って通したそうです。

 国境地帯(ベラルーシ出入国管理局とウクライナ出入国管理局の間にある中立地帯)に三人を連れてきた係員たちはクラフツォフ事務局長所有の車に残りの二人を移動させ、三人そろってウクライナに出国させ、自分たちはベラルーシ側に残ろうとしました。クラフツォフ事務局長は運転席に、ロドネンコフ氏は助手席に。そして係員は後部座席に無理やりコレスニコワ氏を押し込みドアを閉めました。コレスニコワ氏は「私はどこにも行かないわよ!」と叫んでいました。

 その車の中に三人のパスポートがあるのを見つけると、コレスニコワ氏は自分のパスポートを細かくちぎってしまいました。その破片を握ると、車の周りにいた係員たちに向かって投げつけました。そして後部座席の窓から身を乗り出して外に出ると、走ってベラルーシ出入国管理局の方向、つまりウクライナとは反対方向へ走って逃げて行きました。

 しかしすぐに係員たちがコレスニコワ氏を追いかけて、他のマイクロバスに押し込んでしまいました。

 そして残りの二人にも「ベラルーシ側に戻れ!」と命令が出ました。すると国境地帯すぐそばの森の中から青いマイクロバスが急に出てきて近づいてきたので、クラフツォフ事務局長は車を急発進させ、出せる限りのスピードを出して追っ手を振り切り、ウクライナ側の入国管理局に走り込みました。

 この森から出てきた青いマイクロバスが何だったのかよく分かりません。これに三人を乗せて越境させようとしたのか。あるいは越境がうまく行かなかった場合の護送用だったのか。

 ともかくクラフツォフ事務局長の頭の中にあったのは、コレスニコワ氏がパスポートを破ると、ウクライナ側は入国させることができないので、コレスニコワ氏をウクライナに出国させる計画が失敗したこと、そしてそれはKGBの大失態で、それを目撃証言するであろうクラフツォフ事務局長とロドネンコフ氏は、邪魔な存在になってしまい(最悪の場合、KGBに消される?)何が何でも拘束しなくてはいけなくなったこと、そして拘束されたら刑務所に最低5年は放り込まれてしまうことなど・・・です。

 クラフツォフ事務局長は必死でアクセルを踏みました。ベラルーシKGBは行く手を遮断することは全くできず、自分たちも車に乗って後を追いかけてきました。

 しかしクラフツォフ事務局長はウクライナの入国管理局に逃げ込むことに成功。ウクライナの出入国管理局の職員はすぐに二人をかくまってくれました。

 もちろんウクライナ側に拘束されることなく、無事に二人はキエフにたどり着くことができました。

(三人とも国外退去させる計画が失敗したので、「残る二人がウクライナの悪しき策略により、拘束されてそれでウクライナ国内にいるのだ。」・・・ということにベラルーシ政府側はしたかったのかもしれません。)

 後でクラフツォフ事務局長の車の中を調べると、ウクライナに入国するために必要な書類が三人分、ちゃんと用意されていたそうです。

 例えばコロナウイルスの検査結果(もちろん三人とも陰性結果。検査を受けていないのに。)、旅行保険、さらにはクラフツォフ事務局長とロドネンコフ氏名義のキエフからトルコ行きの飛行機のチケット(もちろん片道)、コレスニコワ氏名義のウイーン経由ミュンヘン行きの飛行機のチケット(もちろん片道)などがばっちり出てきたそうです。

 二人はすでにウクライナで居住できる許可も出て、これからはウクライナの支援者とともにベラルーシの野党活動を続けるそうです。

 二人は事態を飲み込み、国境をすぐに通してくれたウクライナ国境警備隊と出入国管理局職員に感謝の意を表しました。

 

 同日、ロシアのメディアのインタビューで、ベラルーシ大統領はこのように述べました。

「あの野党メンバーの三人は以前から国外へ出ようと準備していたのです。飛行機のチケットなども予約してたのですよ。そして一人が自分で運転する車に乗って、ウクライナへ向かった。国境地帯に差し掛かり、男二人は、女一人(コレスニコワ氏)を車から捨てたのです。道中でですよ。道中で。あの二人はよくそんなことができましたね。ベラルーシ国境警備隊は当然規則に則って彼女を拘束しました。」   

 

 野党調整評議会幹部は、コレスニコワ氏の所在を探し回り、モズィリ市の国境警備管理局のどこかに拘束されていると思われると発表しました。

 同日、ミンスク市内ではコレスニコワ氏の解放を訴えるデモ行進が行われ、多数が拘束されました。 

 

 またミンスク市勝利広場から独立広場に向けて政府支持者によるデモ行進も行われました。

 ベラルーシの国歌を歌い、ベラルーシ国旗のほか、ロシア国旗やソ連国旗をかかげる参加者もいました。